部長、狼狽する
聖シアルネ大図書館──。
巨大なドームをいただく、独立した建造物。
頭上に高く広がる天井には、神話をモチーフにした天井画が一面に描かれている。
吹き抜けになっている円形の大空間の周囲には、ドームをめぐる4層の回廊。
その各回廊のすべてに、放射状に配置された書架が並んでいる。
妙な感動が、わたしをおそった。
だって、これは観光じゃない。
それほど旅行好きではないわたしでも、人並みに名所旧跡に行ったことはある。
でも、それはいつも一過性で、数時間のうちに、その夢の世界とは別れなければならない。
でも、これはちがう。
わたしは、これから数年間、この図書館のある日常を過ごすことができる──。
教えられた通り、回廊の2階を巡り、突き当たりの扉を開ける。
長い廊下。
学生や先生たちが、まばらに行き交っている。
この建物は、真上から見れば鍵穴のような形をしている。
円形のドームから続く、直線部分には、この学院の教官たちの個人研究室や、一部のクラブの部室があった。
文藝部の部室は、8番目の部屋。
開けっ放しの扉をのぞきこんだ、そのとき──
バンッ
「リージス!」
部屋の中央に置かれたテーブルに、握りしめた紙を叩きつける女子生徒。
走ってでも来たのだろうか、肩にかかったセミロングの髪は乱れて、ぐしゃぐしゃだ。
だが、テーブルの向かい側──椅子に座って本に目を落としたリージス先輩は、顔を上げもしない。
「説明しなさい、いったいどういうつもりなの!」
「読書中だ。静かにしてくれたまえ」
「図書館通信は、反体制の瓦版じゃないって、何度も言っているでしょう!」
「ああ、ポーニア……君には、真実の報道と反体制活動の違いもわからないのかね。実に嘆かわしい」
ポーニアと呼ばれた女子生徒は、くしゃくしゃになった図書館通信をリージス先輩に突きつける。
「『魔法実習に家系差別か 属性試験前に<初級回復魔法>を強制』。こんなこと書かれたら、図書委員会がやりにくくなるでしょう!」
「なぜだ。図書委員会の職責は、生徒への読書勧奨活動と新刊購入の選書委員会を主催することだろう。権力におもねる必要などない」
「そういう問題じゃないの。ただでさえなり手が足りないのに、教授会と喧嘩していると思われたら、ますます後輩が入ってきにくくなるのよ!」
とにかく、これっきりにしてよね!と言い放つと、ポーニアは猛然と戸口に向かってきた。
わたしは逃げもかくれもできず、扉の前で立ち尽くす。
「……あなた、ひょっとして新入生?」
「は、はい」
「あのろくでなしに勧誘されたなら、やめておきなさい。こんな部、潰れればいいのよ」
フンッとリージス先輩をにらみつけると、ポーニアは足を踏み鳴らして去っていった。
「あの……リージス先輩」
「やあ、ミズハくん。来てくれたんだね」
勧められるままに、先輩の向かいに座る。
「さっきの方は……」
「ポーニア・ベラヒム。図書委員長だ」
「この、図書館通信が、どうかしたんですか?」
「つまらないところを見せたね。図書館通信は、図書委員会が発行するが、内容は代々、文藝部が編集しているんだ。だが、彼女はわたしの編集方針が気に入らないらしくてね」
わたしは記事に目を落とす。
「魔法実習に家系差別か 属性試験前に<初級回復魔法>を強制
例年、初回の魔法実習で、新入生を対象に実施されている属性試験に、今年度から<初級回復魔法>の試験が追加されていたことが判明した。<初級回復魔法>の試験に合格しなかった生徒は<属性魔法>の試験に進むことができておらず、今後の実習では<進度別>に班分けされて、クラス内で異なるカリキュラムが採用されるという。
本紙は、その意図について教授会に取材を申し込んだが、本稿執筆時点で回答はない。ある教官は匿名を条件に、こう話す。『教官の中にも疑問を持つ人はいます。入学時から<初級回復魔法>が使える生徒は、家庭で魔法を体系的に学んできた貴族階級の生徒に多い。平民出身の生徒は通常、授業の中で切磋琢磨しながら回復系魔法を学ぶのです。なぜ、今年度から急に方針を変えるのか』。
関係者によると、近年、貴族階級の保護者を中心に、早い段階から高度な魔法を学ばせたいという要望が強くなっているという。卒業後の進路選択で有利になるためだ。<進度別実習>を建前に、家系差別的な教育が行われることになるのか。教授会には真意の説明が求められている」
──これは……なかなか、骨太ですな。
「……ちょっと意外です。文藝部って、小説を読んだり、書いたりするのかと思ってました」
「もちろん、それもありだよ。社会時評は、まあ、わたしの趣味みたいなものだ」
──なるほど。
「さて……ミズハさんが、部室に来てくれたということは、脈ありだと思っていいのかな?」
リージス先輩は、長い指で眼鏡を直しながら言った。
文藝部に入るのは、悪くない。図書館も素敵だし。ただ──
「……あのー、先輩」
「なんだい」
「先輩は、どうしてわたしを文藝部に?」
わたしが、異世界から来たこと。出版社の人間であること。
そういうことを知っていて、わたしを誘ったのか。これだけは、どうしても確認しておきたかった。
「そうだね。正直に言わないのは、フェアじゃない……」
リージス先輩は、椅子から立ち上がると、背後のキャビネットを開けて、書類入れを取り出した。
「……まったくの未完成だが、わたしが取り組んでいる作品──これは、南方戦役をテーマにした小説なんだ」
「え……」
「10年前の南方戦役には、公表されていない事実が数多く存在する。それを、自分なりに掘り下げて小説として書こうとしているんだ。ミズハ家は南方の名家と聞いている。それに、君の後見人は、あのルブルグ男爵夫妻なんだろう?」
「ルブルグさ……いえ、おじさまたちのこと、ご存知なんですか?」
「当然だよ。南方戦役のことを少し調べれば、<新月小隊>の名前は必ず出てくるからね」
「<新月小隊>……」
リージス先輩は、眼鏡を光らせて言った。
「<幻惑のデュルレ>を筆頭に、<氷結のペレル>、<天網のネルー>といった一級魔導士、<凄絶のスピア>、<疾駆のニッケ>といった伝説的な戦士を抱え、数々の戦果をあげた隠密部隊。その真実は、いまも隠されたままだ。君は、その<新月小隊>の魔導士たちに連なる家系なんだろう?」
──いやー、どうしようこれ。想像と全然ちがうんですけど……。
「ええと、先輩。わたし、親戚といってもすっごく遠縁だし、10年前は、まだ6歳だったので……」
「いや、それはいいんだ。ただ、少しでも彼らのキャラクターを教えてもらえれば、話にリアリティが出る」
「でも、それってつまり……わたしは、先輩の小説のネタ元ってことですよね?」
リージス先輩は、むっ、とわかりやすく狼狽した。
「不快……だっただろうか」
少しも嫌な気がしなかった、と言えば嘘になる。
でも、わたしだって週刊誌の編集をやっていたこともあるのだ。いまさら、他の人から<取材対象>にされたからといって、文句が言える立場じゃない。
「いえ、わかりました。でも、入部するには、条件がふたつあります」
「条件……」
「ひとつ。わたしが知らない<新月小隊>や南方戦役の話を、教えてくれること」
「それは、まったく構わない」
「もうひとつは……」
わたしは、図書館通信を手にとった。
「図書館通信に、わたしが自由に使っていい欄をもうけること。そのスペースの使い方については、文句を言わないこと」
「……いったい、何を──」
「それは、できてのお楽しみですっ。さあ、リージス部長、どうしますか?」
「……」
リージス先輩は、眼鏡を光らせながら、うなった。
「……いいだろう。交渉成立だ」
先輩は、おもむろに立ち上がって、テーブル越しに手を伸ばした。
「文藝部へ、ようこそ」
わたしも立ち上がって、その手をしっかりと握りかえした──。