部長、膝をつく
「はぁぁぁぁぁ……」
聖シアルネ学院の長い回廊を歩きながら、わたしは深く溜め息をついた。
頭のうしろで両手を組んだディーズが、器用に自分の猫耳をかきながら言った。
「くよくよすんなって。ランの魔法がすごいことは、みんなわかったんだからさ」
「だってぇ……」
<静謐の湖>、レンリル湖に<雹雷雨>を叩き込んだあと、わたしは修道士のアーガス先生に、こんこんと説教された。
「いいですか、魔導士たるもの、魔法が人々に与える影響にも、十分気を配らなければなりません。<気象改変>のような大規模魔法は、多くの人に目撃され、影響を与えるのです。その力は、人々を威圧する。恐怖と猜疑心を生む。それは魔導士と、この社会の人々との良好な関係にヒビを入れるものです。感情だけではない。湖に漁船が出ていたらどうします。魚が死滅していたら? 我々は、人々の生命と財産を傷つけるかもしれないことを、強く自覚しなければならないのです。それが、力を持った者の義務なのです。それなのにあなたは──」
──ああああああああああああ、もう……。
だいたい。
元はと言えば、あの感じの悪い、長身・銀ピアス男のヒューレン・デルセンが悪いのだ。
戦闘用の<魔法剣>をひけらかしたりしてさ……。
……でも、わかってる。本当に悪いのは、わたしだ。
他人の言動にイライラしたくらいで、強力な魔法を使ったりしてはいけない。その教えは正しい。
たとえば、わたしが<死ね>と言ったら人が死ぬ魔法を手に入れたとして、ムカつくたびに人を殺していたら。
魔導士たちが、それほどまでに、なってない人格の者ばかりだったなら。
そんな世界は、きっと、ロクでもない。
剣術部の稽古に向かうディーズと別れ、わたしはひとりで寮に向かった。
「……あなた、ミズハさん、と、おっしゃったかしら」
回廊に5、 6人で立ち話をしていた生徒たちの中から、声がした。
輪の中心にいる、お嬢さま然とした女子。
金髪の見事な巻き毛をゆらした、リジーナ・イベリスタだ。
「差し出がましいようですけど、お作法に慣れていらっしゃらないのね。どうか、お気をつけになってね」
「……それはどうも、ご親切さま」
こわばった笑顔で答えて、足早に通り過ぎる。
「まあ、なんだか怖い方……」
「どちらからいらっしゃったのかしら……」
「南方の辺境地域らしいですわ……」
お嬢さまたちのヒソヒソ声が聞こえている。
──ああ、もう今日はダメだ、わたし。
クラスメイトにツンケンしてもしかたないのに。
何を言われても、ネガティブに聞こえる。
社会人として、そんなドツボにはまったことは、何度もあった。
少しは成長したと思ってたのに、まるで心まで<16歳化>したみたいだ。
こういうときは、早く帰って、眠るに限る。
わたしは、走るように寮に入る角を曲がった。
ドンッ
誰かにぶつかり、わたしは思い切り、尻餅をつく。
「いたっ……ご、ごめんなさい」
スッ、と、わたしの目の前に、長い指をした手が差し伸べられた。
「大丈夫かい」
低くて、甘い声。
シャープなフォルムの眼鏡をかけた、男子生徒が立っていた。
知性と教養がにじみでる顔。おそるべきイケメン度。
そして、どう見ても「先輩」と呼びたくなる、落ち着いた雰囲気。
「さあ」
わたしが手を取るのをためらっていると、先輩はごく自然にわたしの背を抱いて、立ち上がらせた。
「見かけない顔だね、新入生?」
「は、はい」
「すまない、人を探していて、注意を怠った。僕はリージス、2年生だ。よければ、君の名前を教えてくれないか」
「ラン……ラン・ミズハと言います」
「そうか、君が──」
リージス先輩は、長い指で眼鏡を直した。
切れ長の瞳が、わたしを見つめる。
「あ、あの、なんでしょう」
「ラン・ミズハ。唐突だが、クラブ活動は、何にするか、もう決めてしまっただろうか」
「あー……きっと、勉強だけで精一杯だし、もう部活はいいかなって……」
「いや、それは違うぞ!」
リージス先輩は眼鏡を輝かせて、断言した。
「学院の卒業時に問われるのは、魔導士に必要な、豊かな人間性。その重要な評価のポイントが、クラブ活動での実績だ。そのため、この学院には、諸先輩が立ち上げた、さまざまなクラブが存在する。剣術、舞踏、音楽、美術、天文、生物……。だが、君にはぜひ、我が部に参加してほしいっ」
──へっ?
「このリージス・ルドボロン、部長として、君に膝をついて請おう。ラン・ミズハ。どうか、我が文藝部に入部してはくれないだろうか」
リージス先輩は、さっと地面に片膝をつき、わたしの手を取った。
まるで、婚約でも申し込むみたい──
その犯罪的な美しさに、頭が真っ白になりかける……だが。
──ちょっと待って。ルドボロン?
「あのー……リージス先輩?」
「なんだい」
「先輩って、ルドボロン伯爵の──」
「長男だ。バーニン・ルドボロンは、わたしの父にあたる」
そういって、リージス先輩はニヤッと笑った。
青児部長を心の友と呼ぶ、酒飲み仲間のルドボロン伯爵。
その息子──ってことは、わたしが何者か、というより、わたしが編集者だと知っているってことなの?
熱心すぎる勧誘の真意がわからないまま、わたしはあいまいにうなずいていた──