部長、ひらめく
「ふわあぁぁぁぁ」
我ながら、情けない声であくびをしながら、わたしは部屋を出た。
ルームメイトのディーズは、わたしが起きたときには、もういなかった。
昨夜、部活の朝練を見学にいくと言っていたから、そのまま教室に向かうのだろう。
久しぶりの学生生活。
社会人との一番のちがいは、時間だ。
とかく、編集者の朝は、遅い。
コミックの部署などは、午後3時を過ぎるまで、誰も編集部にいないことだってある。
もちろん、それは真夜中まで作家や漫画家と打ち合わせをしているから。
だけど、これからは毎朝、規則的な生活を送らなきゃいけない。
「ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう」
教室棟に向かう廊下では、女子寮に暮らすお嬢さまたちが、上品な挨拶を交わしている。
──王都の貴族の家の子かな。
そんな姿を見ていると、なんとなくわかる。
王都の貴族は、都会の上流階級。狭い貴族社会の中で、入学前から互いのことを知っているのだろう。
廊下をポツリと、ひとりで歩いているのは、たぶん、それ以外の生徒たち。
地方の貴族出身者や、一般家庭の子供たちだ。
わたしは、もちろん「ポツリ組」だ。
男爵家であるルブルグ家の現当主夫妻が後見人とはいえ、ミズハ家は誰も知らない田舎の名家、ということになっている。
それに……ほんとうの「水波家」は、東京近郊にある、庶民ど真ん中の家庭なのだから。
わたしのホームルーム、第二教室に入る。
この学院の教室は、どこも天井が高い。
床は階段状になっていて、最後尾の席の高さは、中二階と言ってもいい。
鈍いアメ色に光る、アンティーク感満載の木製の長机。
椅子は、教会の礼拝堂のように長いベンチになっている。
座席は決まっていないので、好きな場所に動くこともできた。
──この眠気は絶対やばいよね……一限目は、うしろのほうで聞こ……。
眠気がふっきれないわたしは、ゾンビのような足取りで階段教室を登る。
──よっこらしょ……ん?
席に腰をおろして、教室を見渡すと、前方の列の人口密度が異様に高かった。
──うしろはこんなに空いてるのに……。
そう思ったとき、時を告げる鐘の音が鳴り響いた。
同時に、教室の一番前の扉が開かれる。
青みがかった銀髪をなびかせて、教壇に向かう人影。
その人は──シスター・ターニア。もとい、ここでは、ロベリーナ先生だ。
なるほど……クラスのみんなは、男子も女子も、シスター・ターニアに少しでも近づこうと、前のほうにひしめきあっていたらしい。
シスター・ターニアのうしろから、さらに何人かの生徒が小走りに教室に駆け込んできた。
その中のひとりが、わたしを見つけると、猫のようにすばしこく駆け上ってきた。
わたしの斜め前の席に滑り込んで、ニヤッと笑ってみせたのは、ルームメイトのディーズだった。
シスター・ターニアは黒板の前に立つと、教室を見渡して言った。
「剣術部志望の者も、全員そろったか」
凛とした声。
シスター・ターニアは、剣術部の指導員と言っていた。
ディーズたちは、剣術部の朝練に行っていたのだろう。
「よろしい。では、授業を始めよう──」
授業の時間は、飛ぶように過ぎていった。
はじめて聞く、魔法の話。歴史や理論──いつの間にか、すっかり眠気もさめていた。
「そうだな……ラン・ミズハ。立ちなさい」
名簿をちらと見たシスター・ターニアが、おもむろに言った。
「はっ、はい!」
「あなたは、いま、なぜ立った」
「シスター……ロベリーナ先生が、立て、とおっしゃったので……」
わたしが口ごもると、シスター・ターニアは目を細めた。
「いや、その通りだ。ありがとう、座っていいぞ。みなも見ていた通り、彼女はわたしの言葉を聞いて、立ち上がった。わたしの言葉を、彼女が理解して、行動に移したからだ。だが──」
シスター・ターニアは、スッと腕を前に出して、言った。
「<刀剣召喚>」
黒い霧の渦が、シスター・ターニアの手元で巻き起こる。
次の瞬間、シスター・ターニアの手にはひと振りの白銀の剣が握られていた。
「金の<属性魔法>。周辺の環境から金属原子を呼び寄せ、形を作る。だが、考えてみてほしい。ミズハは、人間だ。わたしの言葉を<解釈>し、自ら行動を起こすことができる。だが、魔法ではどうだ。我々が口にしたり、心で唱える<詠唱>の意味を<解釈>し、実行に移しているのは、誰だ?」
──たしかに。誰だろう?
はい、と手を挙げた生徒がいた。
シスター・ターニアが、うなずいて名前を呼ぶ。
「リジーナ・イベリスタ。言ってみなさい」
「<根源>ですわ」
いかにもお貴族さまらしい、豊かな巻き髪の少女が、さも得意げに言った。
「よろしい。魔法にも、我々の<意識>に呼応し、現象を起こす<主体>があるはずだ。その呼びかけの対象が<根源>であるとされている。魔導哲学では、これを<根源仮説>と言う」
シスター・ターニアは、<根源仮説>と黒板に書き込んだ。
「長い魔法研究の歴史を経てもなお、<根源>の正体は解明されていない。ゆえに、<根源仮説>は、学術的には仮説の域を出ない。だが、この仮説は広く信じられ、文化や宗教にも大きな影響を与えている。たとえば、我が教皇庁では<根源>とは<神の顕現>、つまり、神がこの世に与えたもうた奇跡のあらわれだと位置づけているわけだが──」
フッ
わたしの耳に、かすかに鼻息が聞こえた。
小馬鹿にしたような音を立てたのは、わたしたちと同じく、後列の席に座っていた男子生徒だ。
顔は、イケメン風だけど……死んだような目をして、いかにもつまらなさそうに窓の外を眺めている。
──何、あいつ。なんか感じ悪い。
その男子がつけている銀のピアスが妙に癇にさわって、わたしはわけもなくイライラした。
午前は座学。
午後は校庭での実習だった。
とはいえ、最初の課題は<初級回復魔法>。
骨の髄まで、この魔法がしみついているわたしとしては、張り合いがない。
「<初級回復魔法>」
なんの苦もなく発動させると、宮廷医だったラミング先生は、ふむ、とだけ言った。
得意不得意はあっても、<初級回復魔法>ができる子は結構多く、とくに上流貴族の家庭の子は、当たり前のようにこなしてみせる。だが一般家庭から来た子は、なかなか発動させらない。
──あー、そうか……。
わたしは、なんとなく理解した。
家族から魔法教育を受けられなかった彼らは、魔法に目覚めたときに使えるようになった、特定の種類の魔法に能力が偏っているのだ。
わたしだって、ネルーさんたちが教えてくれなければ、<禁止挿語>しか使えなかったかもしれない。
「……あわてなくていいんですよ、誰にでも魔法の得手、不得手というのはあるものです。では、<初級回復魔法>ができた方は、アーガス先生に<属性魔法>の傾向測定をしてもらってください」
ラミング先生は白々しい笑顔で言ったが、<初級回復魔法>ができるかできないかは、あきらかにクラス内の格差をあらわしていた。
──<初級回復魔法>ができなくても大丈夫、なんてネルーさんたちは言ってたけど、これって結構シビアよね……。
上流貴族が多くなったグループに混じって移動を始めると、ディーズが隣に来て、小声で言った。
「……最初はいつも、全員で<属性魔法>のテストだって聞いてたんだけどな」
「そうなの?」
「ウチは苦手だなー、こういう微妙な感じ……」
<属性魔法>の傾向測定の課題は、シンプルだった。
12ある属性それぞれについて、自分ができるもっとも難しい魔法をやってみせなさい。
10人ほどの先生が採点官になり、わたしたちは適当に列を作って、順番を待つ。
お嬢さまのリジーナをはじめ、上流貴族の子供たちは、<炎よ>、<水よ>、<氷よ>とスタンダードな<属性魔法>を披露していく。
そんな中──
「……先生、面倒なんで<複合魔法>でいいっすか」
わたしの前にいた男子が、そう言った。
教室でシスター・ターニアの講義を鼻で笑った、感じの悪いやつだ。
見るからに修道士という風体のアーガス先生は、眉をひそめて言った。
「ヒューレン・デルセンくんだね。もちろん、かまわないよ」
ヒューレンは前に歩み出ると、軽く両腕を広げた。
「<風雪刃>……<炎雷刃>……」
シスター・ターニアがやったように、ヒューレンの両手には剣が生成された。
だが、左手の剣には渦を巻く風が巻き付き、きらめく氷の粒が舞い踊っている。
右手の剣に巻きついた炎の中では、紫色の雷がバチバチと音を立てていた。
──<魔法剣>。
風、氷、火、雷、そして金。
5個の<属性魔法>を同時に使ってみせたのだ。
でも、そのすごさよりも──
その剣が、あきらかに、戦闘のための<武器>であることが、圧倒的な威圧感を生んでいた。
「あー……もう十分だよ、デルセンくん。よくわかった」
アーガス先生が声をかけると、魔法の刃はスッと消え、ヒューレンはいかにもダルそうに後ろに下がってきた。
すれちがいざま、わたしを冷たい目でチラと見下ろす。
「……ガキばっか……」
──キーッ! 何よあいつ、何様よ!
「えー、では、ラン・ミズハさん」
「先生、わたしも<複合魔法>で、いいですか」
「はい? ああ、結構ですよ」
──あんなやつに、負けてられないんだから。
ネルーさんに教わった、<感知魔法>を全開にする。
自然と両腕があがって、わたしは天をあおいだ。
半径は──思い切って、1km。
空気中の気体分子をイメージして──
<集まるな>!
「ええと……ミズハさん、それは何をしているのかな?」
イメージに集中しすぎて、アーガス先生の質問が、遠くに聞こえる。
風が吹く。
エントロピーが増大する。
空気が上昇し、気圧が下がっていく。
太陽をさえぎって、雲が湧く。
それは渦を巻き、積乱雲となり、分子がこすれて雷が生じる。
空にバウムクーヘンのような黒雲がそびえたつ──
「<雹雷雨>!」
雷鳴がとどろき、バラバラと大粒の雹が混じった雨が降り始めた──
校庭の向こう、<静謐の湖>、レンリル湖の上だけに。
風、水、氷、雷、粒子をとらえる<感知魔法>と<禁則魔法>。
属性の数では負けてるけど、使った魔法の数は負けてない。
わたしは、心の中でつぶやく。
──部長、やりましたよ……。
学院に入る前の、最後の夜。
わたしの魔法を見て感動さめやらない部長に、あれこれ<属性魔法>の説明をした。
それを聞いた部長が、言ったのだ。
「……それじゃあ、お前、天気も変えられるんじゃねえの」
実は、ルブルグさんの訓練を受けながら、わたしもそれは感じていた。
風を動かし、空気から水滴を生み出す魔法。
その範囲を広げてやれば、雨を降らせることだって、できるはず──。
目をつむり、ゆっくり息をはいて雷雲を散らしたわたしは、達成感にひたりながら、振り返った。
──あら?
なんだか、みんなのわたしを見る目がおかしい。
「ラン、あのなー!」
腕組みしたディーズが、噛みつきそうな顔で言った。
「そういうことは、できてもしちゃダメだっつーの!」
「え……」
ななな、なんでー!?
どうやら、わたし、かなりやらかしたみたいです、部長──。