部長、反省する
「ゔゔゔ……」
わたしがうなると、本をひざにおいたルブルグさんが、困ったような顔で笑った。
「慣れませんか……」
「王都の中では平気だったんですけど……」
ネルーさんも、隣に座ったルブルグさんそっくりの、困った顔で微笑んだ。
「……郊外の道は、揺れるものね。少し、休む?」
「いえ……みなさんにご迷惑ですし……」
王都の西方。
比較的、道がすいている旧街道を、わたしたちは馬車で進んでいた。
いよいよ、聖シアルネ学院への入学の日が近づいていた。
王都から<静謐の湖>、レンリル湖の近くまでは、鉄道が通っている。
けれど、貴族の子弟は伝統的に、馬車で行列を組んで入校するのだそうだ。
わたしたちの乗る馬車の前後にも、従者がふたりずつ、馬に乗って隊列を作っていた。
コンコン
窓ガラスを軽く叩く音。
顔をあげる。
ガラスごしに、赤髪のニッケがわたしをみつめて、「だいじょうぶか」と口を動かした。
うん、とうなずく。
ニッケは、従者の格好をして、行列に参加してくれているのだ。
「ミズハさん」
読書中の本に目を落としたまま、ルブルグさんが、わたしの名を呼んだ。
「はい……?」
「<初級回復魔法>は、車酔いにも有効だそうですよ」
「え……」
ネルーさんが、そうね、と微笑んだ。
「よければ、かけてあげましょうか」
「いや……ぼくは、ミズハさん自身が挑戦してみることを勧めるね」
「あなた、だってランは……」
「<初級回復魔法>が、うまく使えない。でも、必要は発明のなんとやら、と言うだろう? ピンチの今こそ、コツをつかめるかもしれないよ」
ルブルグさんの目が、わたしの目をまっすぐに見た。
「……わかりました。やってみます」
わたしは、胸に手を当てて、目を閉じた。
……考えるべきことは、ひとつ。ルブルグさんは、あの日、そう言った。
──わたしには、できる。
スゥ、と息を吸い込む。
──絶対、できる。
「<初級回復魔法>!」
張っていた首筋が、すっと楽になる。
耳の奥──内耳──三半規管──リンパ液──流れが整って……頭痛が、消えた。
「まあ、ラン! ちゃんと、できるようになったじゃない!」
ネルーさんが、手を打ってよろこんだ。
──できた……。
「さあ、それは、もう、できることだと<認識>できましたね?」
ルブルグさんが、念を押すように、わたしの顔を見る。
「はい……!」
「成功、ですね」
<実験>、成功。
──わたしの<実験>に協力していただけませんか、みなには内密に……。
あの日。
みんなで入学の段取りを確認した日の夕方、ルブルグさんはそう言った。
「<実験>、ですか?」
わたしは、少し身構えた。
夕日に照らされたルブルグさんの笑顔は、どこか危ない雰囲気をたたえていた。
「あの<魔導書>は、あなたの<自意識>を改変し、イメージを定着させることができる。ならば、あなたに<魔法の概念>を定着させることもできるはずだ。わたしは、そう考えています」
「<魔法の概念>、ですか?」
「すでに、あなたも<属性魔法>をいくつか習得して、わかったと思います。結局のところ、魔法を使うという行為は、魔力で何を、どうするのか、という魔力操作のイメージをはっきり<意識>するということなんです」
それは、その通りだった。
水の分子をイメージして、その運動を<止めていく>と氷ができる。
空気をイメージして、その運動を<止めさせない>と風が吹く。
「<魔導書>に、セイジさんが描いた少女の絵を、あなたは『自分だ』と思って飲み込んだ。つまり、内容を書くのは他人でもいい。では仮に、わたしが<初級回復魔法>とは何かを正しく書いたとして、あなたが『自分はこれができる』と思って飲み込んだら、どうなるでしょう?」
「<初級回復魔法>が、できるように、なる?」
「あくまでも可能性のひとつです。それに、どんな副作用があるかは、予想もできません」
「副作用……」
ツカミンの繊維は、わたしの脊髄から脳までの神経にからみついている。ネルーさんは、そう<感知>していた。
「ただ、成功すれば、あなたには無限の可能性がひらけると言っていい。魔法の習得で行き詰まったときや、高度な上位魔法の仕組みを知ることができたとき、<魔導書>にその<概念>を書き込んで、飲み込めばいいんです」
「……なんだか、英単語を覚えるとき辞書を食べちゃう人みたいですね……」
「辞書を、食べるのですか、あなたの世界の人々は」
ルブルグさんは目を丸くした。
「とにかく……定着まで日数がかかるのは確かでしょう。<実験>するなら、チャンスは今しかありません。どうしますか?」
──どうするって、それは……
そして、現在。
馬車の列は、レンリル湖との中間地点にある宿場町に入った。
今日はここで一泊。学院に着くのは明日だ。
部屋に荷物を運び入れて、一階の食堂──兼酒場に降りていくと、聞き慣れた声がした。
「よう。どうだ、お貴族さまの馬車の旅ってのは」
ゴブレットを片手に、すでにお酒の入っている部長がそこにいた。
部長は、わたしたちの一行とは別に、鉄道で移動して宿場町に入っていた。
道中、部長の顔を知っている貴族とすれちがわないとも限らない。わたしの素性を隠すための予防策だ。
「大変でしたよ、酔っちゃって」
「あら、でも自分で治したでしょ」
あとからやってきたネルーさんが、笑顔で言った。
「自分で、治した?」
「ランったら、馬車の中で急に<初級回復魔法>ができるようになったのよ」
「ほお、あれだけ苦労してたのにな」
ふうん、とわたしの背後で不機嫌そうな声がした。
「ニッケ」
「お前、また俺の知らないところで──」
「嫉妬かね?」
ルブルグさんがニッケの肩にポンと手を置く。
「しっ、嫉妬じゃねえよ、また何かやらかしてるんじゃないかと……」
「束縛する男は、嫌われるよ」
「グッ……」
一同がテーブルについて、わたしの入学前、最後の晩餐がはじまった。
16歳設定で学園生活に入ったら、当分、お酒とはさよならだ。
わたしは、宿場町の名物ビールに舌鼓を打ちながら、みんなとの食事を心から楽しんだ。
そして、夜。
わたしたちは、町外れの草原にいた。
夜空は晴れて、星あかりがやさしくあたりを照らしている。
足元には、一面に白い小さな野草の花が咲き乱れていた。
「おい、ミズハ。みんなをこんなところまで連れてきて、どうしようってんだ」
ほろ酔い加減の部長が文句を言う。
あたりを確認していたルブルグさんが、首を縦に振る。他人の目はない。
「みなさん──」
わたしは、少し緊張しながら言った。
「この世界に来て、なぜか魔法が使えるようになって、いろんな事件に巻き込まれて、でも、なんとか乗り越えてこられたのは、みなさんのおかげです。ほんとうに、ありがとうございました」
「ラン……」
ネルーさんが、瞳をうるませる。
「それに、青児部長には、仕事もそっちのけで、この世界で生きていくことに必死なわたしを見守ってもらって、実は感謝してます。いろいろ、助けてくれて、ありがとうございました」
「実は、は余計だろ、お前」
部長は、鼻の頭をかきながら言った。
「わたしには、まだちゃんとした恩返しはできないけど、せめて、少しでも心に残るものをお見せしたいと思って、ルブルグさんに助けてもらって、出し物を用意したので、ご覧ください!」
おっ、いいねいいね、と部長が手を打った。
岩の上にルブルグさんがハンカチを広げて、ネルーさんを座らせる。
ニッケは、倒木に腰をおろして、ひざにひじをついた。
わたしは、木々に囲まれた草原の中央に立った。
──わたしには、できる。
息を吸って、風を感じる。
草花から漂う、甘い香りを含んだ空気。
そこにまじった、湿気──水の粒。
「では、はじめます!」
半径は10m。生き物を傷つけないように、空気の中の水分だけを使って──
「<凍結乱舞>!」
澄んだ氷の粒が、周囲の空間を舞う。
この氷を、もっと大きくして──
「<氷華結晶>!」
氷の粒が集まって、数十個のクリスタルに変わる。
本番は、ここから──
「<氷晶分光>!」
氷のクリスタルが瞬時に輪切りになって、たくさんの六角柱が草原の上を舞う。
そのひとつひとつが、星の光を七色に分散させる。
白い花畑が、色とりどりに照らされる。でも、まだ足りない──
「<光源召喚>!」
わたしの上に、12個の小さな光の球が浮かんだ。
この光を──
「<強制指向>!」
光を束ねて、プリズムに向ける。
白い光線は七色の虹になる。花畑は、きらめく極彩色の絨毯だ。
空中でゆっくり回転するプリズムの動きにあわせて、万華鏡のように表情を変える。
──できた。
みんなの記憶に残るような、美しい景色を作りたい。
<初級回復魔法>を食べる<実験>のとき、わたしがルブルグさんに頼んだのだった。
魔法の組み合わせや全体の演出まで考えてくれたので、わたしは<飲み込む>だけで済んだ。
名付けて、<光彩展開>。
ルブルグさんとネルーさんが、しきりに拍手を送ってくれる。
ニッケは、あっけにとられたような顔で、手を叩く。
部長は──あごがはずれそうだ。
わたしは術を解くと、ネルーさんに習った通り、淑女らしくお辞儀をした。
「いやあ、すばらしい。すばらしかったよ、ミズハさん!」
ルブルグさんが満足そうに言う。ネルーさんがわたしを抱きしめる。
「ほんとうよ、ラン。すばらしい贈り物だったわ。ただ──ペレル、あなたは、どうしてランが光の<現代的属性魔法>を使えるのか、教えてくださらないかしら」
笑顔を向けられたルブルグさんが、うっ……と、わかりやすいうめき声を出した。
座り込んだままだった部長は、突然、ガバッと地面に手をついた。
「ミズハッ、すまんっ」
「ど、ど、どうしたんですか、部長」
「元はと言えば、俺が強引にお前を連れてきたんだ。そのせいで、ただのひよっこ編集者だったお前が、あんな大魔導士みたいなことになっちまって……」
「何言ってるんですか。わたしは魔導士としてもひよっこですよ」
でも──ほんと、遠いところまできちゃったな。
わたしは、部長のくせのある髪を、ぽんぽんとなでた。
「魔法が使えるなんて、夢みたいな世界に連れてきてくれたんですから、文句はありませんよ」
「ミズハ……」
「ただ──最後まで、責任、取ってくださいね」
ちょうど、そのとき──
草原を、はるか遠くに見下ろす丘の上。
<遠隔感知>を解除した人影があった。
「……なかなか、おもしろそうな子ね」
人影は、そうつぶやくと、背後の森に広がる闇にとけるように、去っていった──
第1部にあたる、「王都邂逅篇」は完結です!
第2部、「学院騒乱篇」もがんばって書いていきます。
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