部長、感極まる
「もったいないわねぇ、これだけのお宝、また封印しちゃうなんて」
ひび割れた長机に腰かけたデュルレは、長い脚をぶらぶらさせながら、破壊された書庫を見渡した。
怪物から救い出したシスター・ターニアは、アステルさんとスピアが上層階に運んでいた。
あとの仕事は、この部屋の安全を確認して、再度封印することだ。
「……眺めてないで、ちょっとは手伝ってくださいよぉ」
積み上げた禁書を運びながらわたしが言うと、デュルレが舌を出す。
あとから来たネルーさんは「求めるだけムダ」と冷ややかに言うと、わたしが積み上げた隣に運んできた本を置いた。
「それはさておき……念のために、この<地獄の部屋>を丁寧に<感知>してみたの。
この部屋の禁書の中で、強力な魔法が封じられているものは、ほとんどないと思う」
「……わたしにもなんとなくわかります。ヤバい本には触らないようにと思って……」
わたしのような素人にも、凶々しいオーラのようなものが見える禁書は、いくつかあった。
下手に触って、また何か出てきたりしたら大変だ。
そういう書物の封印や拘束が破れていないかは、ネルーさんがチェックする。
わたしは、無害そうな書物たちを片付けて、まとめる作業に集中していた。
──今度、封印されたら、また何百年も誰の目にも触れないかもしれないもの。
本というのは、実は、結構いたみやすい。
背に細かいホコリがたまってしまうと、ページの間にも粒子が入って、取りきれなくなる。
サイズのちがう本を重ねて平積みすると、圧力で、小さい本が大きな本に沈みこみ、表紙が汚くなったりもする。
まして、<地獄の部屋>に集められた書物は、日本ではお目にかかれないような、立派な革装の本ばかり。よく、こんな地下に放置されてカビだらけにならなかったものだ。
「……それにしても、魔法のかかっていない本は、どうして<地獄の部屋>にあるんでしょう?」
わたしが言うと、デュルレが歌うように答える。
「異端、異教徒、異文化、異種族、教会以前の古代の知識。
改革派の僧侶、政治家、思想家の書物、あるいは科学者の論文、そして魔導書──。
この部屋が作られた旧時代の教会は、それはそれは強い権威を持っていたのよ。
その威光おびやかす、あらゆる書物は禁書とされたでしょうね……」
──なるほど。
通路ひとつ分の書物を片付けきって、わたしは隣の通路をのぞきこんだ。
倒れかかった書架から、なだれのように、大量の本が床に落ちている。
これまでに片付けた本よりも小ぶりで、飾り気のない装丁。
なんだか、庶民的な印象だ。
──うん、危ない本はなさそう。
確認してから、一冊、拾い上げる。
──ん?
本を閉じる一瞬の間に、目に入った版面。
そこに、違和感をおぼえた。
わたしは、閉じてしまった本を手に、少し迷った。
魔法がかかっているかはともかく、ここにあるのは禁書ばかり。
デュルレが言ったように、政治的・社会的・宗教的に、なにかしらヤバいことがある本なのだ。
だから、なるべく中身は見ないでおいたほうが無難なはず──。
でも、いま見えたものは、編集者として放ってはおけない。
わたしは、もう一度、禁書を開いた。
「……」
やっぱり、そうだ。
「……こ、これっ!!」
おもわず、声がうわずる。
「どうしたの、ランっ!?」
「なによぉ、変な声出して」
ネルーさんとデュルレが同時に反応する。
「これ……な、なんだか、わかりますか──!?」
わたしが、禁書を開いて見せると、二人は怪訝な顔をして近づいてきた──
数十分後。
石の隠し扉が開く。
スピアが戻ってきたのだ。
「……シスターはもう大丈夫だ。明日の朝には──お前ら、何やってんだ?」
わたしたち3人は、むさぼるように、次から次へと床に落ちた本を開いては、中をのぞきこんでいた。
デュルレが歓喜に満ちた顔で、スピアに手招きをする。
「スピアちゃんも、お・い・で」
「……お前らまで、妙な術にかかったんじゃないだろうな」
ネルーさんが、真っ赤な顔を本からあげて言った。
「それはないわっ」
「……おい、大丈夫か、ネルー。ヤカンみたいになってるが……」
わたしは、本をかかげてスピアに言った。
「とにかくっ、これを見てください!」
スピアは眉をひそめながらやってくると、わたしが差し出した本を手に取った。
「なんだぁ……? 『騎士さまぁ』『ああ、姫君、今宵こそ、この我が剣を……』『そう、騎士さまの剣をわたくしの中に』……」
真っ赤になったネルーさんが、大慌てで手を振った。
「だ、だ、だ、だめです、ハレンチな! 声に出さないで!」
デュルレが、あっははははは、と高らかに笑った。
「愉快よねえ、旧時代の修道士たちが、コツコツ集めて封印した禁書に、こんなものが混ざっているなんて。
ランの話だと、こういうものは<あっち>の世界にもあるそうよ、なんて言ったかしら──」
「成人マンガですっ」
わたしは、興奮気味に言った。
「でも、大切なのは、内容じゃありません。マンガですよ、マンガ! これって、<こっち>の世界にも、マンガというカルチャーが存在していたってことですよね!?」
そうなのだ。問題は、中身ではない。
この棚に集められていたのは、たしかに成人向けのマンガばかり。
つまり、禁書とされたのは、内容が問題だったからで、マンガが禁止されていたとは限らない。
だが、<こっち>の世界、少なくともレガシス公国で、マンガという表現を目にしたことは一度もない。
この国の歴史のどこかで、マンガという文化は、失われてしまった。
でも、人々がマンガを愛した時代があったことは、たぶん、たしかだ。
「みんな、マンガ、読めてますよね。これ、読み方わかりますよね?」
「そ、それは、絵物語にセリフがついているのだから、難しいことはないわ。これなんて、絵もすごく上手だし──」
ネルーさんがいうと、デュルレがひやかす。
「ふーん、ネルーはそういう構図が好みなの?」
「ちっ、ちがいます、わたしたちは文化の話を──!」
「なによ、ムキになって。か・わ・い・い」
これは、出版社にとって大きな可能性だ。
この国の人たちは、マンガを読むことができる。
自然なものとして、受け入れることができるのだ。
そして、たぶん──描くことも。
この大発見を、シスター・ターニアの話をせずに、どう部長に説明したらいいだろう──?
すっかり浮かれていたわたしは、救貧院をあとにするまで気がつかなかった。
自分の持ってきたポシェットに、小さな<珍客>が飛び込んできていたことに──。
翌朝。
クタクタに疲れ切ったわたしが部屋を出ると、階下からいい匂いがした。
「おあようございあす……」
あくびをしながら食堂に入ると、瓦版を読んでいた部長が、うろんな顔でわたしを見た。
「昼前まで、よくおやすみで。昨日の女子会は、相当ハデにやらかしたみたいだな」
「このいい匂いは……」
「おう、食うか。向かいの親父さんがパンをわけてくれたんだ」
「なんか……いつもとちがいますね」
「おおよ、見て驚け」
部長は手袋をはめて、台所のオーブンを開く。
中のプレートを引き出して、顔ほどもある大きな丸パンを皿にのせた。
ナイフを手に戻ってきた部長は、ホカホカしたパンの真ん中に刃を入れる。
ジュワ……
熱で溶けた油が、にじみ出てきた。
「これ……チーズですか?」
「正解だ。あまり手に入らないから普段は作らないんだが、お前があんぱんを教えてくれたお礼にだとさ」
「わあ……あれ、でも部長、わたしが起きてこなかったら、これひとりで食べちゃってたんじゃ……」
「そりゃあ、お前、起きてこないほうが悪いだろ」
何よそれ!
──という怒りはさておいて、わたしは部長に言った。
「あの──経緯はお話しできないんですが、わたし、見つけたんです」
「見つけた? 何を」
「マンガ、です」
「はあ?」
「この国の旧時代に、書籍化された、マンガの山を見ました」
部長は、何も言わずに、椅子に座った。
「……ちょっと待て。いま、なんて言った」
「ですから、この国には、マンガが書籍化されて流通していた歴史があったんですよ! それに現代人でも、すぐにちゃんとマンガが読めるようになることもわかりました」
「……ルブルグの家に、あったのか」
「いえ、そうじゃないんですけど」
「じゃあ、どこで見た」
「そ、それは言えません」
「なぜ言えない」
「うーん……あ、取材源の秘匿、ですっ!」
「『あ』って、お前、明らかにいま考えたじゃねえか……」
部長は額に手を当てて、深く溜め息をついた。
「まあいい……この魔法の世界に来て、お前は妙なことにばかり首を突っ込んでるからな……。
だが、いまの話は聞き捨てならない。わかるだろ」
「はいっ……」
「現代のこの国には、マンガはおろか、書籍すらほとんど流通していない。
しかし、人々はマンガを読む習慣を、少なくとも昔は持っていた。完全なブルーオーシャン……。
これだ……これこそ、俺がイメージしていたチャンスッ!! ミズハッ!!」
部長が、急にわたしの手を握った。その目には、うっすらと感動の涙が浮かんでいる。
「は、はいっっ!!」
「よくやった!! お手柄だ!!!!」
パタ
部長が叫んだ瞬間、何かが落ちた音がした。
わたしたちは、顔を見合わせた。
事務室にしている居間をのぞく。
早朝に帰ってきたとき、机の上に放り出してあった、わたしのポシェット。
その口が開いて、床に何かが落ちている。
白い、四角いもの。
少し分厚い、文庫サイズの──
「なんだぁ? 束見本じゃねぇか」
わたしが拾い上げたものを見て、部長が妙な顔をした。
束見本。
書籍を作るとき、本文用紙の斤量やページ数を計画している本にあわせて作る、真っ白な本。
装丁家が、それを見本にしながら、表紙や背表紙のデザインをする、サンプルだ。
「束」つまり本の厚みの「見本」、だから、束見本。
中を開いても、本文は何も印刷されていない。
この小さな束見本も、中身は真っ白だ。
「そんなもん、この国にゃねぇだろ。<あっち>から持ってきたのか」
「いえ……」
何気なく、パラパラと最後までページをめくる。
最終ページに、小さな紙が貼り付けられているのに気づいた。
「うーんと……」
========================
魔導製本所クオリ
書名: 未定
判型: 小メント判
寸法: 小口3.5メント×天地4.9メント
表紙: AQプリンセス上質
本文用紙: 封霊紙 736ページ(連環仕様)
……
お願い: この仕様書は束見本と一緒に弊社にお返しください。
封霊紙は魔力を定着させますので、長期間放置すると危険です。
緊急制御が必要な際は、まず書名を付与してください。
========================
──ん、これって魔導書用の束見本……?
貼り付けられた仕様書のメモを、指でなぞる。
プルプル
本を持つ手に、違和感を感じる。
束見本が震えだした。
まるで生き物が身をよじるように、わたしの手から逃れようとするように。
「こっ、これっ、生きてるっ」
キュイイ
甲高い鳴き声。
背表紙が真ん中で割れて、小さなキバの生えた口が開いた。
「痛ッ……!」
束見本が、わたしの人差し指に噛み付いた。
「このやろっ……!」
部長が束見本をはたきおとす。
床に落ちた束見本は、憤慨したようにピョンピョンと部長に向かっていく。
気がつけば、もとのサイズよりふた回り以上大きくなって、口にもズラッとキバが並んでいた。
「おいっ、これ……どうにかならないのかっ」
「そ、そんなこと言われても──!」
──緊急制御が必要な際は、まず書名を付与してください。
書名。タイトル。名前。
もう、とりあえず、なんでもいい──
わたしは、目をつむって叫んだ。
「──『ツカミン』! <やめなさい>!」
……
……
……え?
急に静かになって、わたしは目を開けた。
わたしの足元で、束見本がピョンピョンと跳ね回っていた。
まるで、ご主人さまに駆け寄ってきた、小型犬みたいに。
こうして突然、わたしの異世界ライフに、新しい仲間が加わったのだった──。