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編集後記は異世界から。  作者: 瑞波らん
王都邂逅篇
16/33

部長、参加厳禁

レダニス救貧院、地下2階の一角。

最深部に続く、封鎖された階段が、薄明かりの中に遠く見える。


物陰に隠れて廊下の様子をうかがっていたわたしの背に、ずっしりと()()()()()()()が乗った。


「……ぜんっぜん、動きがないじゃないのぉ」

「デュルレさん……胸が……」

「あら、ランったら、ウブなんだから」


──この人は……(怒)


デュルレ・ファナーシ──妓楼(ぎろう)<黒薔薇>の主人にして、陸軍予備役中尉。


今夜の(よそお)いも黒衣だったが、以前にお店で見たような、光沢のある豪華なドレスではない。

修道女が着る衣装のように、幅の広い(えり)

一見、落ち着いた服のようなのに、よく見ると胸元や二の腕のあたりはメッシュになって、肌着らしい黒いレースの模様が浮き上がっている。


「……静かにしていろ。()どられるぞ」


暗闇の奥から、冷たい声がする。

<黒薔薇>の用心棒、スピアだ。


ここにいるのは、5人。

わたしとネルーさん、デュルレとスピア、そして修道女のアステルさん。


今夜ばかりは、部長もニッケも、参加厳禁だ。

ネルーさんのところで<女子会>をするんだと、苦しい言い訳をしてどうにかごまかしたのだった。


時刻は、真夜中を過ぎていた。

ほぼ完全な、闇。

感じられるのは、冷たく、少し湿った石の感覚。

みんながすぐそばにいると知らなければ、逃げ出したくなってしまうだろう。


「……来るわよ」


ネルーさんがつぶやく。

息を殺して、階段のほうを見つめる。


コツリ、コツリ。


小さな足音。

階上から、弱々しい光がさしてきた。

人影。

深くフードをかぶっていて、顔は見えないが、たしかに女性だ。


金属のこすれるカチャリという音がして、光が一気に小さくなる。

扉を通ったのだ。


足音を忍ばせて、扉の前に急ぐ。

錠前が開いたままになっている。

スピアを先頭に、ネルーさん、わたし、アステルさんと続き、最後にデュルレが階段を降りた。


地下3階。

物理的にも魔術的にも封鎖されてきた空間。

空気がいっそう(よど)んでいる。


「……なんてこと」


ネルーさんが<感知>した痛みをこらえるように、こめかみをおさえた。


──わたしにも、うっすらと見える。


廊下の中央部に、アステルさんが言った通り、壁から光が漏れている場所がある。

その壁から、ヌメヌメとしたツタのような<何か>が()い出して、壁や天井を覆っている。

それは、ドクンドクンと、血管のように脈打ってさえ見えた。


──物理的な存在ではない。

アステルさんやスピアには、まるで見えていないようだ。

だが、わたしには見覚えがあった。

子供たちの<意識>に、根を生やしていた、あの毒々しい<何か>。


光が漏れる壁の前に立つ。

ひそひそと、ささやくような声、声、声……。

壁の中から、笑い声にも悲鳴にも聞こえる<何か>の声が、漏れてくる。


スピアが石壁に手を当て、力を込めると、隠し扉が音もなく開いた。

なんの抵抗もなく……。

それだけ、この部屋を封印していた魔法の効力が、薄れているということなのか──。


<地獄の部屋>。

室内は、想像以上に広い。

床面がさらに掘り下げられている。実際には地下4階の深さがあるのだろう。


そんな空間に、6列、黒い書架が据えつけられ、重厚な書物が並んでいる。

入り口から続く石段を、慎重に降りていく。

書架に並んだ本は、大きさも形状もさまざまだ。

なかには、刻印の入った鎖で厳重に縛られているものまである。


そして──

扉の正面。中央の通路を数メートルほど進んだ先に、開けた場所があった。

立ったまま本を閲覧するのだろう、書見台が並んだ、閲覧用の大きな長机。

その机の前に、フードをかぶった人物が立っていた。


その人物は、いままさに、書見台に置かれた本を開こうとしている。

毒々しい、深紅の皮表紙の、書物──。


「シスター・ターニア!」


ネルーさんが声をあげる。

女性が、あわてたように振り返る。

かぶっていたフードがはずれて、顔が見えた。


──なんて、きれいな人だろう。


そう、思った。

青みがかった銀髪。

スッと通った鼻。

切れ長の瞳の上に、毛先の巻いた長いまつげが並んでいるのが、遠目にもわかる。

当惑、そして、恥じらいの表情──。


だが、その瞬間、彼女の姿が視界から消えた。

禁書から濁流のように溢れ出したツタのような<何か>が彼女に巻き付いていく。

美しい目は(おお)われ、耳は(ふさ)がれた。


ツタはとめどなく本から流れ出て、あたりを埋め尽くす。

そして、泥のようなツタに押し上げられて、シスター・ターニアの身体が宙に浮かんだ。

下半身に巻きついたツタは幹のように太くなり、彼女の身体と一体化している。

まるで、邪神の像か何かのように、まがまがしい姿──。


「ああ……っ」


アステルさんが叫ぶ。

──ん? ちょっと待って?

アステルさんにも、これが見えている──?


「こいつ……具現化しやがったっ」


スピアが苦々しい顔で言うと、ヌルヌルと伸びてくるツルを(つるぎ)で切り払う。


シスター・ターニアの(のど)をかりた<何か>が、甘い声を出した。


<ああ……アステル……ようやく……ようやく、ここまで来てくれた……>


ドス黒くぬめったツタが、アステルさんに向かって飛びかかる。


──ひっ


わたしが身を縮めると、デュルレがパチリ、と指を鳴らした。

触手のように伸びてきたツタは、いっせいに白い炎をあげ、灰となって崩れ落ちる。


「……もうちょっと、(つや)っぽい相手を期待したんだけど」


デュルレが、さもつまらないという顔で言う。


異形と化したシスター・ターニアは、そんなスピアやデュルレの反撃には構う様子もない。

ただ、ひたすらアステルさんに呼びかけつづける。


<わたしは……ずっと……求めていたのだ……>

<アステル……そなたを……>

<なぜだ……なぜ、逃げる……>

<さあ……わたしのもとへ……っ!>


ドウッ

不意に、黒いツタが大波のように、アステルさんに覆い被さってきた。

わたしは、とっさにアステルさんを突き飛ばす。


「ラン──!」


ネルーさんの叫びが聞こえた。


黒い波に、飲み込まれる。

ヌメヌメと、生臭く、湿ったツタの感触。

だが、その感覚は次第に麻痺していく。

強烈なビジョンが、頭に送り込まれてくる。

目をかたく閉じているはずなのに、周囲が明るい。

そして次の瞬間──


目の前に、アステルさんが見えた。


天使のような笑顔。

甘い髪の香り。

肌に触れる温もりを感じる。

やわらかな、くちびるに触れる……。

これは、アステルさ……ん……じゃない……。

でも……触れ……て……いたい……。


……ダメだ、ダメだ、ダメだ。

ゾクゾクと突き上げる欲望で、意識が融けてしまいそうになる。

これは、()()()()()()()()()()

きっとこれが、シスター・ターニアの心の奥底にあった願望なんだ──。


耳元で響くアステルさんの吐息に、理性が消し飛んでしまいそうになる。

わたしは、崩れそうな<自意識>の中で、叫んだ。

──<禁止挿語(やめなさい)>!


ドサッ

自分の身体が、床に叩きつけられるのがわかった。

わたしに巻きついていたツタが、腐ったようにしおれていく。


「ラン、大丈夫かっ!?」


アステルさんを守りながら、スピアが叫ぶ。


「……あの本の中に、すごく生々しい、アステルさんがいる……」

「わ、わたくしが?」


アステルさんは、困惑した表情を浮かべた。


「なるほど……<生命傀儡(パペット・アニマ)>ね」


デュルレが、低い声を出した。


「<生命傀儡(パペット・アニマ)>?」

「人間の生命を使って動かす<生き人形>。精霊魔法を応用した、外道魔法よ。

強力な術者なら、この世には存在しない怪物を実体化させることだってできる。

それが、あの本の場合──読む人を誘惑し、幻想の(とりこ)にする<魅惑の存在>を生み出すんでしょうね」

「……なんで、そんなことを……?」


わたしが聞くと、禁書をにらみつけていたネルーさんが、吐き捨てるように言った。


「……()()()自身が、楽しむためよ」


──あいつって……?


ネルーさんは、デュルレに言った。


「中尉、術者の<意識>とシスター・ターニアを切り離します……わたしが<照準(マーク)>した場所を<射て>ください」

「いいわねぇ、なつかしいじゃない」


ネルーさんが目を閉じると、デュルレは豊かな黒髪をかきあげた。

デュルレのうなじに手を当てたネルーさんが、(つぶや)くように唱えた。


「<我が(まなこ)(なんじ)が眼……我が見しものを汝も見よ>」


にやりと笑ったデュルレの虹彩が、空色の光を放つ。


「……そんなお題目なくたって、<同期(シンク)>してるでしょ、わたしたちはッ──

焦点焼灼(レーザー・ナイフ)>!」


デュルレの周囲の空間が、歪んで見えた。

その刹那(せつな)──


無数の細い閃光(レーザー)が、曲がることのない針のように直線の軌跡を描く。

その光が、精密な手術のようにツタの急所を貫き、串刺しにした。


ギョオウェェェェェェェェェッ


絶対に、人間のものではない叫び声。


シスター・ターニアにへばりついていたドス黒いツタがボロボロと剥がれて、彼女の身体が床に投げ出される。

ツタは、苦しみに震える芋虫のように蠕動(ぜんどう)する。

それはウネウネとうごめいて塊となり、人間の顔のようなものが出てきた。


「ボ、ボ、ボクハァ……ユメヲォ、カナエテ、ヤルンダァァ……シアワセナ、ユメヲォォォォ」

「こいつが術者の<残りかす>かっ……正体、現しやがったなっ……!」


スピアが剣を構えて、巨大な顔に駆け寄り、地面を蹴って斬りつける。


ズバッ


叩き割られた顔は、苦しみに歪んだように見えた。

だが古い顔はすぐに溶けて流れ去り、傷口から、また別の顔がニュルニュルと生えてくる。


「ボボボボ、ボクガァァァァ、ミンナァァ、キモチ、ヨクゥ、シテ、ヤルゥゥ、グフフフフフフフ……」


スピアは身をよじり、食らいついてきた顔をギリギリで避けて、後退した。


「……<宿主(ホスト)>を奪われても動き回るなんて……スピア、本体は<魔導書(グリモワ)>よ、そっちを叩いて!」


ネルーさんが言うと、スピアはオオオオオオオと雄叫びをあげ、黒い塊に向かっていく。

繰り出されるツタを高速でかわしながら間合いを詰めたスピアは、ドンッと音を立てて踏み切り、高く跳躍した。


魔導書(グリモワ)>の怪物の真上から、剣に全身の力を込めて、落下する。

怪物は、待ち受けるように大きく口を開く。

巨大化した人間の歯が並んでいる。黄ばんで、汚らしい歯──。


バクウッッ


怪物は、飛び込んできたスピアを、丸呑みにした。


「スピアッ!」


わたしは悲鳴のような叫び声をあげる。


魔導書(グリモワ)>は、スピアを丸呑みにした姿勢のまま、ブルブルッ、と身を震わせた。


ブルブルッ、ブルブルッ……


そして、4回めに震えが来たとき、怪物の黒い身体は力なく、しおれはじめた。

まるで、泥の人形が、融けて、流れていくように。

そのネバネバとした粘液が融け落ちたあとに、人の形が現れた。


スピアだ。

長机に膝をめり込ませ、剣を突き立てた姿勢のまま、力を抜いていない。

その(やいば)は、<魔導書(グリモワ)>を貫き、書見台を割って、長机にまで刺さっていた。


さっきまで、腐った花のような香りの瘴気に満ちていた部屋の空気は、カビ臭い湿った地下室の臭いに変わっていた。

魔導書(グリモワ)>から流れ出た、黒くドロドロしたものは実体を失い、霧のように消えてしまった。

戦闘で破壊された書架や、あたり一面に散らばる禁書の山だけが、さっきの戦いが幻ではなかったことを物語っている。


「……終わった、か……」


スピアが剣を引き抜く。

すると赤い皮表紙の<魔導書(グリモワ)>は、乾物(ひもの)のように縮んでよじれ、色褪せた塊に変わった。


「シスター・ターニア……!」


アステルさんが、床に放り出されたシスター・ターニアに駆け寄る。

シスター・ターニアの衣服は、獣に食いちぎられたようにボロボロだ。

アステルさんが、自分の外套(がいとう)をかけて肌を隠し、抱きおこすと、シスター・ターニアが薄く目を開いた。


「──アステル……」

「……何もおっしゃらないでください」

「後生だ……このまま、わたしに死を……」

「そんなことっ……」


アステルさんが、ギュッとシスター・ターニアを抱きしめた。


「そんなこと、わたくしが許しません……!」


シスター・ターニアは、彫像のように端正な目を、再び閉じた。

その目尻から、すっと、光る涙がこぼれた──。

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