部長、ささやく
「さて……どういうことなのか、お話しいただけますわね」
教会関係者が宿泊するときに使うという、質素なベッドと机だけの小部屋。
外を確認したネルーさんが、扉を閉めてから修道女のアステルさんに言った。
わたしたちはベッドに腰を下ろし、アステルさんは机の前の椅子に座った。
「これは、あの方の、名誉にかかわることですので……どうか、ご内密に……」
アステルさんが、ためらいがちに言う。
わたしは、ニッケと話していたときのアステルさんの態度を思い出して、たずねた。
「あの方、というのは、シスター・ターニアのことですか」
「はい……。どこからお話ししましょう、シスター・ターニアが、この救貧院に派遣されてきたのは、3年ほど前のことでした……」
そこから、アステルさんが話してくれたのは、こんな話だった。
シスター・ターニア、本名ターニア・デミアナ・ロベリーナ、24歳。
彼女は、聖騎士団副団長ロベリーナ卿の次女で、才色兼備。
幼い頃から古文書を読みこなし、剣の腕でも兄に劣らないと評判の少女だった。
<こっち>の世界での、お貴族様の社交界デビューである大舞踏会を終えてからは、求婚者があとを絶たなかったが、すべて断り、みずから神の道へ進むべく、修道院へ。
教皇庁では、神代考古学の専門家として頭角を現したが、なぜかこの施設に派遣されてきたのだという。
「……シスターが、はじめて、ここにいらっしゃったときは、まるで天使が人の姿をかりて天から降りていらっしゃったのかと、そう思ったものです……」
アステルさんは、頬をあからめて、そう言った。
「あれは、シスターがいらっしゃって、半年ほど経った、夜のことでした……」
その晩、子供たちの様子を見回る当番だったアステルさんは、仕事を終えて、自室に戻るところだった。
階段の下から、奇妙な音がする。
走り疲れた人のように、ハァハァと、苦しい息の音──。
普段は使わない地下2階まで降りたところで、アステルさんは、階段にすがりつくように倒れているシスター・ターニアを見つけた。
「わたしが駆け寄ると、シスターが顔を上げました……。その顔は真っ赤で、目が潤み、そして──」
「……そして?」
「シスターは……わたくしに、いきなり、くちづけを……」
──ひょええええ、なんだこれ! のろけ話かっ!?
その夜は、なんの会話もなかった。
アステルさんは完全に動転して、何を言っていいかもわからず、無言でシスター・ターニアを支え、部屋まで連れて帰ったのだという。
翌日、廊下ですれちがったとき、シスター・ターニアは、アステルさんにささやいた。
「……昨夜、発見したのだが……この建物の地下には、封印された<地獄の部屋>がある。
シスター・アステル、あなたは決して、地下3階には近づかないように……」
──<地獄の部屋>? あれ……どっかで聞いたような……。
「<地獄の部屋>……おそらく、禁書が集められた図書室ね」
ネルーさんが、くちびるに指を当てながら言った。
「禁書……?」
「教会がまだ強大な権力を持っていた時代、教義に反する書物や、禁忌とされた<外道魔法>を説いた本を、教会が封じていたと聞いたことがあるわ。その収蔵庫が<地獄の部屋>と呼ばれていたはずよ。
コレクションの中には、外道魔法そのものが仕掛けられた<魔導書>もあったとか……」
そのあとすぐ、教皇庁からの指示で大改修が行われた。
建前上は「崩落の危険があるため」とされていたが、<地獄の部屋>の存在を確認したことを、シスター・ターニアが報告したためだとアステルさんは直感した。
地下3階への階段は封鎖。
階下にいくには、院長室に保管されている鍵を使って、二重に設置された扉を開けなければならない。
「……それからは、何事もなかったように、ときが過ぎていったのです。
わたくしも、シスター・ターニアとは実の姉妹のように打ち解けて暮らせるようになっていました。
それが、数ヵ月前──ちょうど、異世界からの来訪者が、この国にも来るかもしれないと噂になった頃──シスター・ターニアの様子がおかしいことに、気がついたのです」
シスター・ターニアは、昼間からボウッとしていることが多くなった。
以前は、手が空けば子供たちと遊んでいたのに、自室にこもって出てこない。
そして──最初の子供が、倒れた。
「……じゃあ、<奇病>はシスター・ターニアの様子が変わってから発生したんですね?」
「はい……今となっては、二つの出来事に関係があるとしか思えないのです……」
「それで、アステルさんは、シスター・ターニアが変わったのは、その<地獄の部屋>が原因だと考えているんですか?」
「考えているというより……見てしまったんです」
深夜。
廊下の向こうに、亡霊のようにゆらりと動く人影を見た気がして、アステルさんは階段に向かった。
ガチャリ。
地下から、重い金属の音。
こっそりと地下に向かうと、閉鎖された地下3階への扉の鍵が開いている。
シスター・ターニアだ……。
直感的にそう思ったアステルさんは、ランプを消して、暗闇の中を降りていった。
目が慣れると、地下3階の廊下の中ほどに、ぼんやりとした光が見えた。
おそるおそる近づく。
光が漏れているのは、扉ではなく、壁だった。
壁の石積みの中に、隠し扉が作られていたのだ。
その隙間に、目を近づける。
大量の書物が積み上げられた、黒い本棚。
ゆらめくランプの光はオレンジ色のはずなのに、室内は扇情的な赤紫色の光に満ちている。
その光の中で、書物を開いたシスター・ターニアは、荒い息を吐き、背をのけぞらせて──
「……も、もう、これ以上は、わたくしの口からは申し上げられません!」
アステルさんは、真っ赤になった顔を両手で覆った。
ネルーさんも、いつの間にか取り出した扇子で、あからめた顔を取り繕うようにパタパタとあおいでいる。
「とにかく……お話はわかりました。旧時代に封印されたはずの<地獄の部屋>から光が漏れていたということは、封印の魔法が破れてしまっている可能性が高いですわ。
シスター・ターニアを惑わせている魔法が何にせよ、その影響が外部に漏れ出て、子供たちの命を吸っていると考えていいでしょう」
「やはり……」
アステルさんは、涙を浮かべながら言った。
「シスター・ターニアの名誉を思って、ここまで誰にも言えずにおりましたが……そのために、ここまで子供たちを苦しめてしまいました。もう、どうしてよいか……」
「シスター・アステル、わたしに考えがあります。ただ、わたしたちだけでは、どうしても人手が足りません……。この件、女性だけで対処すれば、あなたの大切なシスター・ターニアをお守りすることになるでしょうか?」
──え、女性だけ……?
ネルーさんの言葉を聞いて、アステルさんはネルーさんの膝にすがるように飛びついた。
「はい……はいっ! どうか、シスター・ターニアと子供たちをお助けください!」
支社に戻ったわたしは、荷物を置くと、洗面器に張った水でバシャバシャと顔を洗った。
──水が、ぬるい。
何か飲みたくて台所に降りると、部長が棚を開いていた。
また、酒でも探しているのだろうか。
「おっ、ミズハ。どうだった。収穫ありか?」
「べっ、別にありませんでしたよ。誰も部長の作戦になんか、引っかかってくれませんでしたー」
「へーえ……」
気の抜けた声を出している部長に背をむけて、自分のマグを取ろうと手を伸ばす。
「……嘘、だな」
「ひっっ」
部長はわたしの耳元にささやくと、酒瓶を手に、さっさと廊下に出る。
「ばかっ、へんたいっ、セクハラッ!」
「なーにがセクハラだ、急に色気付きやがって」
笑いながら部長が階段を登っていく。
あんたはわたしのお父さんかっつーの!
ドキドキと脈打つ鼓動が、うるさい。
アステルさんの真っ赤な顔が、あたまをよぎる──。
男子禁制。
わたしたちの作戦の決行は、明日だ。
今夜は、絶対に早く眠ろう、無理にでも──。
意味もなく窓の外を眺めながら、わたしはそう、決意していた。