部長、姿を消す
目立たず。
あわてず。
さりげなく──。
わたしは、レセプションが行われているホールを、いくども巡っていた。
はたして、その目的は……
お料理! です!
「ネルーさーん、この鳥のロースト、緑のソースが最高ですよ〜」
「高地ガモの胸肉ね。サヴィネの実をおろしたおソースかしら」
「こっちのプディングもふわっふわじゃないですか〜」
「……ラン、ホールを何周したら、そんなにお料理が取ってこられるの……」
ふふふ、甘いなネルーさん。
編集者になりたての頃、下っ端のわたしは、文芸賞のパーティーの受付係ばかりやっていた時期があるのだ。
勉強になるからと、先輩に連れられて、他社のパーティーにも潜り込んだものさっ。
異業種は知らないけど、出版界のパーティーには不文律がある。
それは──
<自社が主催なら食べるな。他社が主催なら食べ尽くせ>
であるっ!
いやー、立食パーティーのお料理って、どうしても余っちゃいがちなのよね〜。
もったいないもったいない。
わたしは、もぐもぐと料理を口に運びながら言った。
「……ほれにひても(それにしても)、大公さまは、ほんとにパーティーには参加されないんですね」
「ええ。やはり、この場に大公殿下がお出ましになっては、<意味>が出てしまうもの」
「<意味>ですか?」
「たとえば、異世界を偏重している。伝統を軽んじている。貴族の身分を軽視してる。
そんなことを言う人が、出てこないとも限らない」
「それなら、『客人よ、ちょっとわしの部屋で話そう』っていうのはダメなんですか。
あんなに部長の話に食いついたのに、また日をあらためようとおっしゃったのは、意外でした」
「大公殿下がセイジさんをお召しになったら、パーティーは主賓を失ってしまうでしょう。
せっかく用意された宴も味気ないものになってしまう。
大公殿下は、このお料理を用意した給仕の者たちの気持ちまで考えていらっしゃるのよ」
ほおお、さすが王さま。
やっぱりご配慮のレベルがちがいます。
会場の前方にいる部長のほうを、ちらと見る。
部長と言葉を交わそうと、たくさんの貴族が集まっていて、そこだけ人口密度が高い。
──やっぱり、大公殿下のお言葉をもらった商人なんて、お貴族さまが放っておかないんだよね。
ほんの数十メートルの距離だけれど、部長が遠くの人のように思える……。
ま、そのおかげで、わたしはこうしてお料理に集中できるんだけどさ!
「おお、セイジ! 我が友よ!
そなたなら、大公殿下の信を得ると確信しておったぞ!」
部長を囲む人だかりの中から、そんな大袈裟なセリフが聞こえた。
盃を高くかかげて、赤ら顔の貴族が部長にハグしようとしていた。
ネルーさんが笑い出しそうな声で、わたしに耳打ちする。
「……あれが、ルドボロン伯爵よ」
……なるほど、部長の飲み友達ですか……
それにしても、部長が救貧院のパトロンである伯爵と接近したのは、偶然なのだろうか──。
「ネルー。久しいな」
低く渋い声がした。
振り返ると、紺色の軍服に身を包んだ、巨漢が立っていた。
はち切れそうな厚い胸板。
髪の毛は、たぶん一本もない。
そして、その頭皮にまで筋肉が浮いて見えるのではないかと思えるほど、頬や首周りの筋肉が盛り上がっている。
年齢は──不詳。50歳? 60歳?
「おじさま」
ネルーさんが、明るい声を出した。
「ラン、こちら、父の古いご友人で、第二近衛師団長のサー・デモク・イダイアよ」
わたしは、あわててプディングを飲み込んだ。
「むぐ……は、はじめまして、ラン・ミズハです」
「うむ……」
まぶたまで、分厚い筋肉でできていそうな、サー・イダイアは表情を変えずに、わたしを見すえた。
……なんか、すっごい威圧感なんですけど……
「息災か」
「はい。おじさまもお変わりなく……」
「いや、寄る年波には勝てん。後進に身を譲る日も遠くなかろう」
ネルーさんが、まあ、とサー・イダイアの武骨な手を取った。
「……そんな、まだまだ昔に劣らず、壮健なお身体ですわ」
「これ、よさんか……」
わわ、なんだなんだ、どういうご関係?
「ネルー、親しき者にも遠慮というものがあろう。
他人の身体を勝手に<感知>るでない」
「第二の父とお慕いする、おじさまの珍しい弱音、お身体が心配にもなります」
なんだ、ネルーさんが<感知魔法>で健康状態を探ったのか。
「ふむ……ならば、娘と思うて、悩みの種を明かそうか」
「あら、なんですの」
「……城内に不審な動きありとの<草の者>の報告があった。
そなた、何も<感知>じぬか」
「いえ……これといって……」
「術ではない、か……」
サー・イダイアは、部長のほうに厳しい視線を向けた。
「<ネズミ>どもが、ただ探りを入れにきたのならよいが……」
「……セイジさんが、賊に狙われると?」
「いや、何が起こるか、まったく読めぬ。
思いがけず、<異界の魔女>まで、この場におるようだからな」
……<異界の魔女>?
って、わたしかーい!?
「おじさまなら、事情はご存知のはず……ランはたまたま、<こちら>で魔法に目覚めただけの民間人ですわ」
「聞いておる。悪意はない、と」
そうだとしても……と、サー・イダイアは、ものすごい<圧>のある視線でわたしを見た。
「……感心せぬぞ、ネルーよ。
亡き我が友、忠臣サー・ローズンの娘ともあろうものが、術を操る異世界人を許しもなく城内に入れるとは」
「す、すみません、わたしがどうしても来たいって、わがまま言ったから……」
にゃー、我ながら、めちゃめちゃマヌケな謝り方……。
そのとき、ネルーさんが、聞いたこともないような低い声を出した。
「……おじさま、この子の術くらい、このわたくしが抑えられないとでも思って?」
「ふん……戦場を離れても、腕は落ちぬと……まあ、よかろう。
いずれにしろ、今宵の城は、見た目ほど穏やかではない。
ゆめゆめ、気を抜くでないぞ」
「父の忠告と思って、ぬかりなく」
ネルーさんがツンとして答えると、サー・イダイアは目を細めて、少し微笑んだようだった。
「ふふ、まったく、いつまでも鼻っ柱の強い娘よ……。
その魔女に肩入れするのはよいが、軽挙で愛する夫君の家名に傷をつけるでないぞ、ネルー」
巨漢の割に、足音も立てずにサー・イダイアは去っていった。
わたしは、おそるおそるネルーさんに声をかける。
「あの……なんか、雰囲気悪くしちゃいましたよね、わたし。ごめんなさい」
「あら、いいのよ。軍人なんて、みんな、あんなものだから。
頑固一徹。謹厳実直。疑心暗鬼。わたしの父も、そうだったわ」
「ネルーさんって、戦争に行ったことがあるんですか」
「あら……聞いていないのね」
ネルーさんは、一瞬、悲しそうな顔をした気がした。
「わたしとペレル……それにニッケも、10年前の南方戦役では同じ小隊に所属していたのよ」
「じゃあ、デュルレさんの?」
「ああ……中尉のお店には行ったのよね。スピアにも会った?」
「はい」
「そう、じゃあ、<生き残り>とは、ほとんど顔を合わせているわ」
──<生き残り>……。
触れてはいけないことのような気がして、わたしは黙った。
そこへ、ルブルグさんが、厳しい顔でやってきた。
「ネルー、ミズハさん、セイジさんを見なかったかな」
「あれ……部長、ルブルグさんと一緒だったんじゃ……」
「人に話しかけられて、少し目を離したすきに、見失ってしまったんです」
「あなた、心配だわ。さっき、サー・イダイアが、城内に賊がいる可能性があるって」
「なんだって──」
そのとき、ホールに続く長い廊下の向こうから、甲高い悲鳴が聞こえた。
気がついたときには、わたしたちはざわつく会場を背に、全力で駆け出していた──。