部長、暴走する
バアン!
机を叩く音。
わたし、水波らん、29歳は、フロアの入り口でビクリと身体を震わせる。
「局長、いいんですかぁ! このままでは、<こっちの世界>のコンテンツは、ネズミーやマーブルしかないと、<あっちの世界>の人間に思われてしまうんですよ!?」
また、やってる──。
東京・文京区。K出版第四コミック編集部。
部長の青児友也が、コミック事業の統括局長に食ってかかっているのだ。
「これじゃあ、日本のコンテンツ・ビジネスはおしまいですよ!」
「いやいや、そうは言ってもねえ、青児くん」
押され気味の局長は、メガネを直しながら、反論する。
「うちのアニメ化作品だって、ネットフニックスで帝国に配信されはじめたんだし、当分は様子見で、いいんじゃないかねえ」
「まだそんなことを言ってるんですか!」
部長が激昂して言う。
「言葉が通じる異世界なんですよ!? 国際展開なんてもんじゃない。翻訳コストもかからないんだ。なぜ、あっちに支社を作って、直接コンテンツの売り込みをさせてくれないんですか!?」
……そろそろ、「何言ってんだこいつ」と思ったでしょう、はい。
解説しよう。
20XX年、秋。
月の裏側から、もうちょっと離れたところに。
突如として月の半分ほどの直径の、レンズ状のものが出現したのです。
東京からも、肉眼で見えた。
まだ学生だったわたしも、空を見上げて、まじビビりました。
就活とかしてる場合じゃないんじゃないかと思ったものです(なつかしい)。
当然、米国もEUも中国もロシアも、ビビりまくりで、世間は騒然。
各国が密かに、あるいは公に準備していた宇宙軍がいっせいに出動。
映画みたいに、次々と宇宙船が飛び立ちました。
わたしみたいな素人は、へえ、地球の技術も捨てたもんじゃないのね、と思ったりしたわけ。
<宇宙レンズ>に近づいた宇宙船からは、全世界にネット中継。
地上波でも放送されて、視聴率は75%だったとか。
わたしも見ました。ええ、見ましたとも。
空間が歪んで見えるレンズの向こうから、銀色に輝く物体が、スーッと現れた。
大きなペーパーナイフみたいな宇宙船が一機、空間を貫くように。
そして、おもむろに、彼らからの通信が入る──。
「異世界の同胞諸君、こんにちは!」
……は?
その、底抜けに友好的な来訪者は、わたしたちを「異世界人」と呼んだ。
だから、わたしたちも彼らを異世界人、と呼んでいる。
多元宇宙を旅する方法を編み出した彼らは、隣(?)の宇宙の住人である、わたしたちと、国交……もとい、「界交」を求めてきたのだ。
それが、約10年前であーる。
で。
全地球的な大論争が起こりました。
この異世界と、国交を結び、通商交渉を進めるべきか。
ところが、商魂たくましい一部の国が、「地球統一での方針を」と叫ぶ諸国を無視して、さっさと<あっちの世界>と通商協定を結んでしまったわけ。
何しろ、<あっちの世界>と<こっちの世界>は、<宇宙レンズ>を通して移動し放題。
資源も商品も、どんな物体でも持って通れるというのだから、ビジネス的には地球が2個になったようなもの。
あらゆる分野の潜在市場が、一気に2倍になったのだ。
はじまってしまったものは、しかたない。
どの国も、われ先にと異世界との交渉をはじめたのです。
もちろん、少子高齢化が進む日本の企業にとっても、一発逆転の大チャーンス!
……の、はずだった、のだが。
結果として、日本は、この流れに完全に取り残された。
まずは、官。
ファースト・コンタクト以来、霞ヶ関には、11万3489件の審議会、検討会、審査会、協議会など会議体が作られた。
たとえば、
「異世界農産品の検疫体制にかかる検討会」
「異世界との往来における防疫体制検討審査会」
「世界間の知的財産権保護に関する専門家会議」
「異世界における邦人保護にかかる事前協議会」
……キリがないわ。
次に、政治。
日本の政治家は、異世界への不安を持つ有権者に配慮して、こう繰り返した。
「えー、異世界問題につきましては、各審議会において、専門家のご議論をお願いすることとしまして……」
「まずは、国民のみなさんの安全と安心を第一に考え、決して経済優先ではなく……」
さらには、民間でも。
ある日のニュースは、こんな感じ。
『……速報です。経団連と連合は、日本企業に勤める労働者が、企業の方針によって異世界への転勤を強制されることはなく、異世界ビジネスについては労使の協議に基づき、慎重に対応するとの合意文書に署名しました。
この合意は、今後の日本の異世界ビジネスの指針となるものと見られ……』
……で。
結局、日本が<宇宙レンズ>を建造した異世界の帝国イズナマニアとの通商交渉に入ったのは、OECD加盟国で、うしろから2番目。
その間に、国連と帝国が、「急速な交流拡大は、双方の世界で、文化の衝突を引き起こし、民衆の不安を煽る可能性がある」という点で合意。
貿易相手国数や輸出入量を制限し、10年ずつ段階的に基準を見直す、いわゆる「バレンシア世界間貿易体制」に入ることになった。
日本は実質、帝国との経済交流のチャンスを逃してしまったのです。
すべりこみで唯一、日本が通商協定を結べたのは、レガシス公国。
帝国の船に「おみそ」のように大使が乗ってきた、友好国のひとつで、人口はイズナマニアの10分の1。
異世界の惑星ペンテラの永世中立国で、「伝統と歴史を守る」ことをモットーにした、中世のような王様のいる国だけなのです。
わたし、水波らんは、そんな動乱の時代に、普通に出版社に就職。
週刊誌の編集や、ウェブメディアの運営を担当したあと、今年ようやく念願のコミック編集部に配属された。
とはいえ、この第四コミック事業部は、「コミックを中核とした新規ビジネスの開拓」がミッション。
わたしが憧れていた紙の週刊誌や月刊誌ではなく、ウェブやアプリにオリジナル漫画を載せるのが普段の仕事。
その新分野開拓チームのリーダーが、さっきから怒鳴り散らしている青児部長だ。
「もう、ウェブでサブスクをいくらやったって、頭打ちなんですよ。それだけじゃ、何も新しくない。
異世界の人間だって、漫画読むでしょう!? 異世界にだって作家もいるかもしれない。
どうして、そのチャンスに踏み出さないんですか」
「そ、それはそうだがね……。行くと言っても君、あっちで仕事しようなんていう物好きがいるかね」
「俺が行きますよ!」
「君、ひとりで仕事はできないよ。ひとりで行って、君が倒れたらどうする」
「そのときは、そのときです」
「会社というのは、そういうわけにはいかんのだよ」
「じゃあ、誰か適当につけてください」
「適当にって君、会社からの命令で異世界に行けとは言えないよ」
「誰か、ひとりくらいいるでしょう、やる気のあるやつがっ!」
部長が、くるりと振り返る。
みんな、巻き込まれまいと目を伏せる。
「誰も、いないのかっ!?」
青児部長は、猪突猛進。突っ走りはじめると、誰も止められない。
異世界でも、あの世でも、強引に連れていかれそうだ。
「……どういう状況?」
「はい!?」
後ろから声をかけられて、不覚にもわたしは声をあげる。
背後に音もなく立っていたのは、なんと社長だ。
先代の息子で、40代で代表取締役の座についた社長は、神出鬼没、社内のあちこちに顔を出す。
「おお、ミズハ!」
部長の野太い声がする。
あきらかに、よろこんでる
わたしは、こわばった顔で室内を見る。
「あ、あの、いまのは社長が……」
社長が、よう、とわたしのうしろから顔を出す。
青児部長は、のしのしと歩いてくると、わたしの両肩に手を置いて、くるりと社長のほうに向き直らせた。
「社長! 俺とミズハとで、異世界支社をやらせてください!」
「ちょ……ぶ、部長」
社長は、へーと声をあげると、一瞬だけ考えて、言った。
「いいんじゃない。やってみれば?」
ほえ……?
こうして突然、わたしは「異世界転勤」することになったのだった。
読んでくださって、ありがとうございます。
コツコツ書いていきたいと思います……!