わたしの名前
「う~」
教室の自分の席で先生から返ってきた漢字の練習帳を見ながら私はうなっていた。
昨日、宿題が出た。
自分の名前を漢字で10回書いてくること。
先生が言うにはもう小学3年生になったんだから、これからはひらがなではなく漢字で名前を書けるようにしようと言うことだった。
10こならんだわたしの名前、「田村優花」。
そこには赤ペンでなおされたあとがあった。
「優」の文字。
田も村も花もうまく書ける。
でも、「優」の文字だけうまく書けない。
棒が一本たりない。心がぬけている。
先生から書かれたコメントには「おしい! もう少しがんばろう!」と書かれていた。
私はくちびるをとがらせながら前の席を見た。
同じように練習帳をひらいている田中一くん。
10こならんだその漢字には大きな花丸がつけられていた。
わたしは思った。
ずるい。
わたしだってもっとかんたんな漢字の名前がよかった。
それならわたしも花丸をもらえたのに。
「田村優花」の「優」の字をにらみながら、わたしはらんぼうに練習帳をとじた。
「優」の字はちっともうまく書けないまんま。
それでも名前だからなんども書かなきゃいけない。
なんだかもやもやした気持ちのまんま、わたしは自分の名前を書き続けた。
ある日、算数のテストが返ってきた。
名前をよばれて行くと先生に言われた。
「はい、田村さん、がんばったわね」
「え?」
それって……。
わたしはドキドキしながらわたされたテストを見て「あ」と思った。
右上に大きく100と書かれていた。
わたしは「わあ」となった。
点数を見つめながら席にもどる。
100点なんてはじめてとった。今回はたくさん勉強したからだ。帰ってお母さんに見せよう。
そう思ってにこにこしながら「100」の数字を見つめた。
その時、あることに気付いてしまった。
「あ」
小さく声を出す。
100の横に書かれた自分の名前。
「優」の漢字をまちがえていた。
「…………」
わたしはきゅっとくちびるをかんだ。
家に帰ってチャイムを押すと、お母さんが「おかえりなさい」とむかえてくれた。
「ただいま……」
そう言いながら家の中に入る。
「お母さん、これ……」
「ん?」
手に持っていたテストをわたす。
お母さんの顔がおどろきに変わる。
「わあ、すごい。100点じゃない。優花、たくさん勉強してたものね」
顔いっぱいに笑って、そう言ってくれるお母さん。
わたしは「うん……」とうなずいた。
お母さんはふしぎそうにわたしの顔をのぞきこむ。
「どうしたの? うれしくないの?」
わたしはむすっとしながら返す。
「名前の漢字、まちがえた」
「え? あ、ああ、優の字?」
「……せっかく100点だったのに」
「仕方ないわよ、まだ優花にはむずかしい漢字だし」
「わたし、もっとかんたんな漢字の名前がよかった……」
「優花……」
「この名前、きらい……」
「…………」
ぼそりとそう言ってお母さんを見ると、なんだかかなしそうに笑った。
「そう、ごめんね」
なんだか心がずきりとして、わたしはにげるように自分の部屋に走って行った。
次の日、国語の授業で先生が言った。
班ごとにお友達の名前を漢字で書いてみましょう。そうして、それぞれの名前の漢字について話してみましょう。
わたしは「また名前か……」と思った。
6人で席をくっつけて、それぞれの名前について話した。
班の子が言った。
「優花ちゃんの名前は「優」がむずかしいんだね」
その言葉にわたしはまたくちびるをかんだ。
そんなのわたしが一番思ってる。
でも、いやな空気にするのはいやだから笑顔をつくって返した。
「そうだね、わたしも田中くんみたいな名前がよかったな」
田中くんがわたしを見る。
それから、すこし考えて言った。
「田村さんは自分の下の名前の漢字を説明する時、どんな風に説明するの?」
「え?」
どういうこと?
首をかしげると田中くんは言葉を足した。
「ほら、名前を言った時にきかれることがあるでしょ。どんな漢字ですか?って」
「ああ、優しい花、だけど……」
そう言うと田中くんはにっこり笑った。
「いいなあ。ぼくはね、漢字の一ですって言うんだ。田村さんは優しい花なんだね。そっちのほうがぜんぜんいいよ」
「あ……」
ああ、そうか。
他の班の子も言ってくれた。
「本当だ、それってすてきだね」
わたしは「ありがとう」と言った。
大切なことに気付けた気がした。
その日、家に帰ってチャイムを押すと、お母さんが「おかえりなさい」とむかえてくれた。
わたしは「ただいま」と言って、お母さんの顔をじっと見た。
「なに? どうしたの?」
お母さんがふしぎそうに私の顔をのぞきこむ。
わたしは言った。
「あのね、昨日は自分の名前、きらいって言ってごめんなさい」
学校から家までの帰り道、この言葉をどうやってつたえようと思っていた。
「優花……」
「わたしね、この名前、好きだよ」
お母さんの目を見て心をこめて言う。
お母さんはうれしそうに笑った。
「そう、ありがとう」
わたしもなんだかうれしくなって、おんなじように笑った。
わたしの名前は田村優花。
これからわたしは何回、名前の漢字をたずねられるんだろう。
「どんな漢字ですか?」ってきかれたら答えるんだ。
優しい花ですって。
そのたびにわたしはこの名前が好きになるんだと思う。
今はうまく書けないけれど、たくさん練習してうまくなろう。
だって、これがわたしの名前なんだから。