第004話 出発
出発の準備は数日の内で整った。
「あとは、屋敷を結界魔法で覆って準備完了よ」
タヒネは手早く魔法を唱え、結界魔法を発動させた。ほとんどの魔法を無詠唱で操るタヒネが詠唱するのは珍しい。
余程強力な結界を張ったのだろう。酔っぱらったドラゴンが空から落ちてきても破れないような。
「もうここに戻ってくるつもりはないよ」
「ええ、トーマはそうでしょうね。でも、トーマが死んだあと、私は戻ってくる予定なの」
永遠の時を生きるタヒネはトーマと心中するつもりはない。トーマを観察するために魂だけの存在となってトーマの身体に宿るが、それは一時的なものだ。
トーマが死をむかえる時にタヒネの魂は脱出する。トーマに預ける生命力もきちんと返してもらいタヒネは元通りに復活する。タヒネが用意したのはそういう魔法だ。
「えっ、そういう計画だったの」
ちょっと落ち込むトーマであった。
そんなトーマを無視し、タヒネはその身体に貼り付けていた血肉を消し去る。7年振りの本来の骸骨姿。
独特の艶を持ち仄かな輝きを放つ髑髏姿のタヒネを見つめるトーマ。
「あれ?久しぶりに見せるから気味悪いかな」
モデルのようにその場で一回転。タヒネは本心を隠しておどけてみせた。年の功である。
「えっ?違うよ。綺麗だなと思っただけ。
それに自分でも変わってると思うけど、骸骨姿に安心感を覚えるんだよね。どうしてかな」
それは前世までは自分も骸骨だったことからの、同類に対する親近感だろう。
そんなこととは夢にも思わないタヒネの心は弾む。やっぱりトーマを拾って正解だった。
「これで準備は完了。私の魔法が発動したら、その鎌でサクッとやっちゃってね。タイムラグはなるべく少ない方がいい。
ないとは思うけど、万が一魔法が失敗して消えてしまってもそれは私の責任。トーマは一切気にしなくていいからね」
タヒネの言葉にトーマは頷く。
「あと、生命力は全部きちんと吸収するんだよ。あとで返してもらわないといけないんだからね」
トーマは頷く。
「あとあと、魂が定着するまでの期間はわからないけど、結構時間がかかるからね。なんせ5000年分だからね。数か月で終ればいいが、年単位という可能性もある」
トーマは頷く
「あとあとあと、その間のことはわかってるよね。危険な冒険なんかしちゃダメだぞ。魂の定着前にトーマが死んだら私まで消えてしまう可能性が少なからずあるんだからね」
ドラゴンを筆頭に強者などいくらでもいる。油断大敵だと注意しておきたくなる気持ちはトーマにもわからないではない。しかし・・・トーマは右手に持った鎌の握りを確認する。
「あとあとあとあと、あっ待って!」
トーマは鎌を構えていた。
「トーマ。冗談でもダメよ。まだ魔法掛けてないから。それ振ったらホントに死んじゃうからね。わかってるね」
トーマは渋々右手を下す。
タヒネが最後に確認したのは、魂が定着するまでのトーマの過ごし方だ。
トーマは王都に滞在する予定になっている。人が多くて色々な刺激があるだろう。そして安全だ。
フリケナ王国の歴史は古くドラゴンを退治した初代国王が、そのドラゴンの屍の上に王城を築いたのが発祥だとされている。タヒネはそれを事実だと教えてくれた。老いて死にかかっていた老ドラゴンに人間の英雄が止めを刺した、というのが本当の所らしいが、止めを刺せただけでも人間にしては大したものだとタヒネは褒めていた。
王都での生活はタヒネの知り合いを頼ることになっている。その知り合いがちょっとそそっかしい性格らしく、忘れているといけないからとタヒネは魔法で連絡を飛ばした。
全ての準備を終え、タヒネは魔法の詠唱をはじめた。
空中に光り輝く魔法陣が次々と重なり重厚な層を形成していく。かつてないほど張り詰めた空気を纏うタヒネ。古代魔法の中でも一部の強力な魔法でのみ使用する積層型魔法陣。
(やっぱりかっこいいな)
10才になったトーマは、そのマイペース振りにも磨きがかかっている。
やがてタヒネを包んでいた魔法陣は音もなく収束した。
トーマは鎌を振った。
◇ ◇
王都から伸びるたくさんの道の中で最も粗悪な道。それはヨナバル大森林へ続く道。
その道をてくてくと歩く黒髪の少年。もちろんトーマだ。
かつて大森林に入るときに来ていた貴族の子弟風の服ではなく、街の子供風の飾りの気のない服に身を包んでいる。武器も杖も持っていないが、大切な草刈り鎌を腰の後ろ側に挿していた。
王都までは子供の足でも半日ほどの距離だ。
単調な道にも飽きてきて、何か面白いことは起こらないかなと期待しているトーマ。しかし粗悪な道とはいえここは王都の近郊。魔物も出なければ、盗賊たちも活動していない。いわゆる安全な道であった。
行程の半分ほどやってきたところで、トーマは道の脇に降りて遅めの昼食を食べることにした。そこに1羽の鴉が優雅に舞い降りてきた。
美しい黒い翼。トーマの中の古い記録が刺激される
「お前、鴉か?」
トーマにとって“鴉”とはあの1羽だけを示す言葉だ。
「カァー」
トーマの言葉を理解したのかどうか、鴉は甲高く1度だけ鳴いた。
「・・・これから王都に行くんだけど。一緒に行く?」
なんで俺、鴉なんかに話しかけているのだろうか。トーマは自問する。
「カァーカァー」
行かないということかな。もし言葉が通じているならだけど。
「・・・食べる?」
「カァー」
夕方、トーマは王都の外壁に設けられた門の1つに到着した。
いくつかある門の中で最小の門だ。ここから伸びる道が繋がるのがヨナバル大森林なのだから、この門を利用する者は限られている。採集目的の王都の住民か、魔物狩りのハンターくらいだ。
つまり基本的には朝にこの門から出ていった者が夕方にこの門に帰ってくる。そういうのんびりとした門だ。
そんな事情を知らないトーマは素直に道の終着点であるこの門から王都へ入ろうとした。門番もまさかやってきた少年がヨナバル大森林の中から来たとは考えもしない。別の大きな街道から王都にやってきて、外壁沿いを移動してこの門に辿り着く。たまにそういう変わり者がいる。
「おう、坊主。まっ黒とは珍しい髪の色だな。王都の住民か?それとも余所から来たのか?身分証を出してくれ」
門番はトーマを怪しんだわけではない。王都に出入りする際には誰でも身分証の提示が必要だった。治安維持のための当然の措置だ。
(タヒネさん以外の人と話すのは随分と久しぶりだな。あっタヒネさんはアンデットだから人じゃないのかな。でも元は人だから、アンデットになっても括りとしては人のままかな)
門番を無視してマイペースなトーマである。
既にトーマの行動や思考は取り込んだタヒネに筒抜けなのだが、まだタヒネからのリアクションができないのでトーマはそのことに思い至らない。後で色々怒られるのだ。
「おい、坊主! ボーっとしてどうした?もしかして身分証がないのか?」
トーマは我に返る。
「はい。身分証はありません。その代わり、この紹介状を持たされています。これを見せたらなんとかしてくれるって」
トーマは1通の手紙を門番に渡した。
門番は受け取ったものに驚く。この世界で紙は貴重品だ。書物は一般的ではなく庶民には手が届かない高級品であるし、魔導書になると貴族など余程の金持ちにしか購入することはできない。タヒネの屋敷で紙に囲まれて過ごしたトーマは知らなかった。
「ああ、すまねえが、俺は字が読めないんだ」
そして、そのような環境下なので、トーマから手紙を渡された門番は当然のように身分証に使われる決まった名詞や記号以外の字が読めなかった。
「えっ?」
驚くトーマ。
「えっ?」
驚かれたことに驚く門番。