第002話 死に愛される
ヨナバル大森林。
結果からいえば、プラタの邪推が正解でシェリーが不正解だった。心の美しさは関係ない。哀しいかな真理である。
これまで大森林から離れた屋敷にいてさえ、死にかけの魔物を引き付けていたトーマが森までやってきたのだ。その効果は凄まじかった。
シェリーとトーマ、それに御者を務めた使用人トーマスの3人は馬車を下り森に入った。見張り役の兵士は馬車と共に森の外で待機している。
獣避け鈴を鳴らしながら緊張して歩くトーマスを余所に、シェリーに手をつながれたトーマは満面の笑みだ。なんせ忌み子として隠されてきたトーマが屋敷の外に出たのは生まれて初めてのことで、目に写るものすべてに興味を示した。
さて、獣避けの鈴というのは、獣避けの鈴であって魔物避けの鈴ではない。周囲の様子に目を光らせていた忠実なるトーマスは魔物の姿を見つける。
「お嬢様! 魔物が」
蔦払いとして手にしていた小さな鎌を頼りなく構える。本来なら鉈だろうが、使い慣れない鉈では年老いた脆い手首を痛めてしまう可能性が高い。そこで、使い慣れていた庭の草切り用の鎌を持参していた。トーマスは思慮深い老人であった。
緊張するトーマスの前に姿を見せたのは血を流し足運びさえ怪しい魔物。森に慣れた領民たちであれば苦も無く逃げ切れるだろう。
トーマスははてと考える。女、幼児、老人の3人組と死にかけの魔物はどちらが速いだろうか。
「ここはこの老骨が防ぎます。お嬢様は坊っちゃんを連れて森の外へお逃げください」
夢にみていた騎士のようなセリフ。トーマスの一世一代の見せ場は、シェリーの現実的な反論によって流される。
「森の外に逃げ出したとしても、見張りの兵に捕らえられこの子は処刑されてしまうでしょう」
シェリーはトーマを抱え上げ、森の奥へと駆け出した。慌ててその後を追いかけるトーマス。が、子供の危機に直面し箍が外れたお嬢様の足は速かった。みるみる放され、置いていかれてしまうトーマス。
「お嬢様ぁー。おっ、お待ちください」つい心にもないことを叫んでしまうトーマス。必死だった。
どれだけ走っただろうか。トーマを抱えたシェリーは立ち止まる。もちろん老い先短いトーマスの願いを聞き届けてあげようと考えたわけではない。
行く手を、いや、周囲を魔物に囲まれていた。
(黒いもやもやがいっぱい)
トーマは一人のん気なことを考えていた。
そこに息も絶え絶えに追いついたトーマス。老人が1人追加された所で危機的状況は変わらない。しかし、しかしである。トーマスの手にはしっかりと鎌が握られていた。どうせ役に立たないからと、途中で投げ捨てなかったトーマス。エライ。
トーマスは手傷を追い凶暴化した熊のような魔物の一撃でその生涯を閉じた。首が変な方向に捻じ曲がっているので苦しむ事はなかっただろう。
彼の死は決して無駄ではない。忠臣トーマスは文字通りその命をかけて彼にしかできない役割を果たしたのだ。
衝撃でトーマスの手から投げ出された鎌は、シェリーとトーマの足元に落ちた。偶然ではなく必然である。本人さえも知らないことだが、トーマは≪幸運の女神の加護≫を授かっているのだから。それも恨みつらみなどの怖い話が苦手な女神が与えた最上級の加護である。
次に鎌を手にしたのはシェリーである。誠に残念だが、仕方のないことではあった。3才児に鎌を持たせても、切るのは自分の指くらいだ。親であればそう考える。子を想う母の無償の愛の前には、≪幸運の女神の祝福≫も敵わない。
トーマを守りながら死にかけの魔物たちに必死に鎌を振るシェリー。トーマスよりはがんばった。最後にはトーマを庇うように抱きかかえ地面に伏した。
標準よりは軽いシェリーだが、トーマには十分過ぎるほど重かった。皮肉にも母の愛のお陰で、大ピンチに陥るトーマ。
トーマは動かなくなったシェリーの下から、這い出そうと藻掻くが、魔物たちはのんびり待ってはくれない。
だが安心して欲しい。シェリーが死んだことにより、≪幸運の女神の祝福≫がその力を遺憾なく発揮する。熊の魔物の一撃がシェリーだけを払いのけ、シェリーの手を離れた鎌はトーマの目の前へ。
ついにトーマのその小さな手に鎌が握られた。
トーマスが長年草刈りに使っていた古い草刈り鎌である。特別な要素はない。古い道具には魂が宿り特別な力を得ることもあるが、この鎌はそういった特別なものではない。これから起こることは鎌の力とは関係がない。純粋なトーマの力である。
鎌を手に立ち上がったトーマ。その身にまとっていたのは黒い襤褸ではなく、貴族の子弟らしいちょっと上等の服だ。
ずりずりと脚を引き摺って向かってくる死にかけの魔物に、トーマは鎌を振った。
目測を誤り、空を切る鎌。トーマは鎌と自らの腕の重さに引っ張られて転んだ。重心の高い3才児の体はバランスが悪い。
しかし、もう大丈夫。そう、トーマの視界に入っていた何体もの魔物たちは、そのたった一振りでまとめて魂を刈り取られていた。
慌てて起き上がったトーマは、突然倒れてしまった魔物たちに驚かない。そういうものなのだろう。トーマは3才児らしい柔軟な頭脳を持っていた。
左側、後ろ側、右側、右利きのトーマは反時計回りに順序よく鎌を振り、集まっていた死にかけの魔物たちを一層した。
シェリーの亡骸を見つめるトーマ。その顔に悲しみはない。
トーマの死神体質が彼の感情を抑制しているわけではなく、これまで彼の近くに死がなかったためだ。まだ死というものを理解していない。
(やっぱり黒いもやもやが消えている)
トーマは屋敷を出発する前から、シェリーとトーマスに黒い靄を見ていた。誰にも話してはいけないというシェリーとの約束を守り、シェリーにも伝えなかった。その黒い靄が消えている。
死神が目印とする黒い靄は、寿命や病気、怪我などによるゆっくりと訪れる死のみに対応しているわけではない。他殺、自死、事故死、あらゆる突発的な死にも対応している。
どうして転生したトーマが死神の力を保持したままなのかはわからない。それも本来の一振り一殺からかなりパワーアップしている。死神業界に知れたら産業革命が起るだろう。
シェリーの傍らで立ち尽くすトーマ。そこに現れたのは不死者の王。ドラゴンと並び称される世の理を超えた超越者。
骸骨が纏うのは豪奢に飾り立てられた漆黒のローブ。そこにあしらわれた宝石を買い集めるのは例え王族であってさえも困難だろう。
骨だけの細く長い右手には背丈ほどもある杖が握られている。
稀代の魔法使いが死して尚その魔法への探求心を失わずアンデットになり、更に1000年以上に渡り研鑽を積むことでようやく至ることのできる高み。
その姿を目した者には等しく死がもたらされるという伝説の存在。
死が具現化したような存在は、山のような魔物の屍を取るに足らぬ小事とでもいうようにちらりと一瞥だけし、悠然とトーマに近づいた。
皮も肉もない骨はそれぞれの繋がりをどのような力を代償として保っているのだろう。厳かに口を動かした。
「何やら惹きつける感覚を得たのでわざわざ森の奥から出てきたが、これは出てきた甲斐があったというもの。思わぬ拾いものじゃ」
髑髏にぽっかり空いた二つの窪みの中で闇の炎が揺れている。
トーマはやってきた存在を観察していた。漆黒のローブからほのかな安心を感じるのはどうしてだろうか。
(黒いもやもや。とっても濃い。すごい)
トーマはおもむろに鎌を振るった。
「ちょちょちょちょっちょっちょーーー!」
不死者の王は叫びながら横っ飛びで地面に転がり、目に見えないその波動を避けた。流石は超越者である。だが、予備動作なし、殺気なしの一振りを避けるのがよほどギリギリだったのか、演技を忘れている。台無しである。
(避けられた)
当然のようにもう一度鎌を振ろうとするトーマ。
不死者の王は瞬時に間合いを詰めると、トーマからさっと鎌を取り上げた。
「ちょーーーーと!これはダメ。ダメなやつー。
魂を刈り取られちゃうから。危ないでしょ! アンデットには絶対使っちゃダメ。聖魔法なんて目じゃないから、サクッとイッちゃう。
だれぇ―? 考えなしに幼児にこんな危険物を渡したの。本当に困るんですけどー」
鎌を取られたトーマ。夢中で遊んでいたおもちゃを取り上げられた幼児がすることは決まっている。意地悪された悲しみから、大声で泣いた。
涙をボロボロと流し鼻水を盛大に垂れて大声で泣く幼児に、オロオロする不死者の王。年だけは一人前どころか、1人で何百人分も重ねているものの、魔法一筋で子供の取扱い方法などわからない。
潔く諦めトーマが自然に泣き止むのを待った。永遠の時を過ごす不死者の王は気が長かった。
「おばさん、誰?」
トーマが不死者の王にはじめてかけた言葉である。
「おばさんじゃないから。お姉さんだから! というか、よく女だとわかったわね」
おばさんどころかお婆さんさえ遥かに越えてすっかり骸骨なのだが、不死者の王は生前、ボンキュッボンの美女だった。自称ではなく事実である。
彼女のアイデンティティーとして魂に深く刻み込まれている。
骨だけの生活にすっかり馴染んでいるが、生身だった頃を回想するなら、それはもちろん若かりし頃の見目麗しい姿。結果、幼児相手でも譲れない大人気なさである。
「まあ、いいわ。このお姉さんがあんたを拾ってあげましょう」
トーマの視線に気づいた不死者の王。
「ダメダメダメ。この鎌はダメ。没収です」
トーマの両眼から再び大粒の涙が溢れ出し、あたふたする不死者の王。
「あーっ、わかった。わかったから。泣かないで。泣くの禁止です。なぁーくぅーのぉーきーんーしー。
鎌はね・・・今すぐは渡せないけど、もう少し大きくなったら返してあげるから。ねっ、それでいいでしょ。ねっ。ねっ」
しぶしぶ頷いたトーマの手を取り不死者の王は森の奥にある屋敷へと帰る。