第021話 麻酔薬・改
昼下がり、ヨナバル大森林の中央付近をトーマとルカはトレッキングでも楽しむように歩いていた。
「ルカさん。右前方から大物が1頭出てくるよ」
「了解。任せて! 」
大きな音を立てて木々の間から姿見せたのは死にかけのブラッディベアー。Bランクハンターでも苦戦する相手。弱っていなければAランクハンターでも油断できない強敵だ。
『グルルルゥゥー』
両手を振り上げ威嚇するブラッディベアー。
「とぉうぅー」
ルカはポケットから取り出した麻酔薬の小瓶を投げつけた。
バタン。ブラッディベアーは倒れる。
トーマの死神体質に惹きつけられて来る死にかけの魔物たちは、トーマが鎌で魂を刈り取ることで簡単に倒せるのだが、ルカが麻酔薬の効果を試験がしたいというので、強い魔物だけはルカが倒している。
ルカの麻酔薬で気絶した死にかけの魔物は、とどめを刺さなくても、薬が切れる前に寿命を迎えることになる。
「えっへん。さすがこのルカさん特製の麻酔薬は効果てきめんだね」
ルカは両手を腰に当てて、満足そうに頷いた。
ブラッディベアーもひと嗅ぎでこん倒する麻酔薬。薬師ルカが作る薬の中で危な過ぎて販売できない薬の1つだ。悪人の手に渡ったら大変である。
自信のあった麻酔薬が、アンデットドラゴンとトーマに効果がなかったことをルカは気にしているようだが、そもそも普通の薬師ならアンデットドラゴンに効くかもなどと少しでも期待したりはしないだろう。
「この森も久しぶりだなぁ。師匠の家はここから近かったよね?」
ルカが思い出したようにトーマに確認する。
「うん。でも今は結界が張ってあるから入れないよ」
「そうなんだ。それは残念。
でも、ちょっと寄ってみましょう。麻酔薬のストックがもう少なくなっちゃって。ちょうどあの家の辺りには麻酔薬の素材が色々生えてるのよ。トーマがいれば保存も問題ないしね。収納魔法って便利よね」
王城で散々使用したのでルカの麻酔薬は在庫切れ寸前だった。
ルカが麻酔薬の試験を終わりにしたので、それからはトーマが鎌を振り振りして寄ってくる死にかけの魔物を退治しながら森の中を進んだ。
現れた途端に倒されていくので、普通に歩くのと変わらないペースで歩く2人。
ちなみに、死にかけではない、普通の魔物はトーマの気配に怯えて近づいて来ることはない。
長きに渡りヨナバル大森林の中心に居を構え、森のすべての生き物たちから恐れられてきた不死者の王のタヒネ。そのタヒネをその体内に取り込んだトーマ。
ヨナバル大森林の生き物たちはトーマの中にタヒネを感じ、決して近づいて来ることはない。ただ、実戦経験がほとんどないトーマはその大き過ぎる力をまったく扱い切れないため、実際にはタヒネよりも弱いのだが。
トーマとルカはタヒネの屋敷に到着したが結界が張られているので中に入る事は出来ない。強力な結界に守れた屋敷は、もちろんトーマが最後に見た時と何も変わっていない。
空から酔っぱらったドラゴンが落ちてきても壊れないほどの結界だ。何かあるとは考えられない。
ルカは懐かしむようにその外観を眺めたが、すぐに満足し目的の素材の採集にむかう。
「こっち。すぐ近くよ」
迷いのない足取りで進むルカの後をトーマは素直について行く。
「まずは、あれね。ヒヨスキア・ニジュ」
ルカが示したのはこの辺によくある草だった。けれど、トーマはこれが麻酔薬の原料になっているとは知らなかった。
トーマもルカを手伝って葉を集めていく。
「あとは、あのアトロパ・ヘラドンとあっちがニコ・マクラタね」
しばらくの間、黙々と採集作業を続けた。
「トーマ、気分が悪くなったりしない?」
ルカはじっくりとトーマの顔を覗き込んだ。それは一流の薬師が持つ一流の観察眼、心配されているわけではないとトーマはすぐに気が付いた。
採集しているのは麻酔薬の素材なので、採集している時にも多少は影響を受けるものだった。だがトーマはなんともない。
トーマは首を横に振った。
「少しも何にも感じない?」
「うん・・・」
白く細い指を顎に当てて考え込むルカ。
「これじゃあ、どれだけ精製してもトーマには効かないかもしれないわね」
ルカは呆れ顔で肩を竦める。
「そういうもの?」
「例外ももちろんあるけどね。原料でまったく影響がないなら薬にしても効果は期待できないかな・・・」
ルカのその言葉にトーマは閃いた。それじゃあ。僕が苦手な草を素材に使えばいいかもしれない。ちょうどその植物に覚えがあった。
「ルカさん。付いてきて」
「トーマ、どうしたの?」
嬉しそうに走り出したトーマの後を、ルカは追いかけた。
「これ!この植物は僕苦手」
トーマの言葉に目を見張るルカ。
「うーん。これは試したことはないな。でもトーマが苦手というなら」
ルカは慣れた手つきでその葉を切り取った。
切り口から広がる濃厚な刺激臭。
「むはっ」
ルカは顔を背けた。
「ルカさん、大丈夫?」
声を掛けたトーマは、しかめっ面で不気味笑うルカを見て顔が引きつる。
「ぐふふふっ」
必要な素材を一通り採集し終えたトーマは、タヒネの屋敷の傍に戻ってきた。
トーマは魔法で木々を切り倒し、地面を平らに整地し、亜空間に収納していたルカの薬店を取り出した。トーマには簡単な作業だ。
ルカの要望だった。新しい素材をルカが試さずにはいられなかったのだ。
それからしばらく、ルカは作業場に籠って麻酔薬の改良に明け暮れた。ルカの弟子であるトーマも勉強としてその作業を手伝った。
食料などはストック分があるので問題なかった。それに、肉や果物などはトーマが森に入って簡単に採集してきた。
トーマが見つけた新素材コンドロ・トメントは、麻酔薬作りに慣れたルカでさえ毎日1回以上は倒れる強烈な代物だった。
麻酔薬の改良には時間がかかったが、ルカはその合間にトーマの修行も行ったのでトーマが暇を持て余すことはなかった。ルカは従来の麻酔薬を含めた色々な薬の作り方をトーマに仕込んだ。トーマはそれらをスムーズに習得していった。
「完成よ! 」
トーマが素材の採集から帰って来ると、ルカが両手を腰に当ててふんぞり返っていた。
わざわざ扉を開けるタイミングに合わせたのだろう。トーマは気付かない振りをしてあげた。
ルカは小瓶を突き出した。
「効果10倍よ! トーマ覚悟はいいわね!? ぐふふふ 」
「えっ、覚悟ってなんですか? 」
「完成したんだから試してみないと」
「それは、つまり僕が被験者? 」
「そうよ。他にいないじゃない。それともトーマがドラゴンを捕まえてきてくれるの? 」
そう。トーマは自分を昏倒させるための麻酔薬作りをせっせと手伝っていたのだ。
トーマは薬店の扉から50メートルほどの所に立たされている。
分厚いマスクをつけたルカが、麻酔薬・改を投げつけ、扉を閉じて店内に退避するというルカの考えた計画だ。計画というほど緻密さはない。
投げつけなくてもトーマが自分で蓋を開ければ良いだけなのだが、それを口にしたトーマは、ルカから変な生き物を見る目で見られた。
「トーマ、いくよー! とぉうー!! 」
ルカが手首のスナップを利かせて投げた小瓶は、狙い通りトーマの足元で割れて麻酔薬・改をぶちまけた。麻酔薬の小瓶を投げされたらルカの右に出る者はいない。
(うぐっ)
ルカの期待に反して、トーマは耐える。
耐える。
耐える。
(・・・これはダメなやつだ)
トーマはダラダラと冷や汗をかきながら『深淵の陰幕』を唱えた。自分の周囲半径50メートルほどを遮断する。麻酔薬・改がこれ以上周囲に拡散するのを防ぐためだった。
これはトーマだから耐えられる。ルカの作り出した薬は麻酔薬などという生易しいものではない、これ以上拡散したら気絶だけじゃなくて、犠牲になる生き物がたくさん出かねなかった。
麻酔薬・改は、かなり危険な代物だった。効果10倍どころではない。
仮に王城に投げ込んでいたら、1本だけで敷地内のすべての生き物をこん倒させる威力があるだろう。
トーマは『深淵の陰幕』を収縮させ内部の麻酔薬・改を消し去った。遮断する前に周囲に広がってしまった麻酔薬・改に関してはもうどうしようもない。
トーマは無造作に薬店の扉を開け、叫びそうになった。
そこには不気味な笑顔で床に伸びているルカがいた。隙間から入ってきた麻酔薬・改に堪えられなかったようだ。
翌朝。
トーマが薬店を収納魔法で亜空間に収納し、2人は出発する。
ルカのポケットには通常タイプの麻酔薬の小瓶が入っている。麻酔薬・改は危険度が高過ぎるので通常使い禁止と決まった。
「悲惨なことになってるね」
倒れた魔物や動物がそこかしこにいる。無論ルカの麻酔薬・改の犠牲者だ。幸い気を失っているだけで、時間が経てば回復する。と見込まれる。
「昨日は南風だったからね。風下にいるとは運が悪かったね」
他人事のようにのたまうルカである。
ヨナバル大森林の外縁に近い位置までやってきても、まだまだ倒れている動物がいた。というか、まだ動いている生き物を見ていない。
「うーん。嫌な予感がしてきたよ」
ここまでどれだけ倒れている魔物や動物を見ても、自ら作り出した麻酔薬・改の効果にニヤニヤしているだけだったルカが、急に神妙な事を言い出した。
つまり、かなりマズイことがこの先で起っている。トーマは覚悟した。
「何でしょう?」
「えっ! トーマは7年もこの森に住んでてこの先に何があるのか知らないの?」
「うん。外縁部には出ていかないようにタヒネに言われていたから」
トーマの返事にルカはぷぷっと笑った。
「えっ、笑うとこ? それよりもこの先には何があるの?」
「えっとね・・・獣人の村があるはずなんだよね」
「・・・・・」




