【prologue】
数年前に書いた小説を推敲して投稿しようと思います。
重たいお話や暗いお話が苦手な方はご注意下さい。
続き物です。
【prologue】
ルビーのように輝く唇が動く。
私はその隙間から発せられる声を聞くだけで、体の芯がふわふわと揺蕩うよう。
「ーーーー」
顔を火照らせ立ちくらんだ私を貴女は支えるように抱き締めた。
肌を刺すような冬の空気の中、私たちの周りだけが熱い。
二人分の体温が宙に舞っては北風に攫われてゆく。
こんなに幸せで良いのだろうか。
いや、幸せで良いのだ。
そう断言しよう。
人として最期くらい、幸せで良いのだ。
北風が一層力強く私たちの頬を撫でた。
温もりを求めて、抱き合う手にも力が入る。
そして抱き合ったまま、どちらからともなく横に飛んだ。
人間は重力に対し無力である。
崖から飛んだ私たちの身体は、落ちるままに落ちていく。
真下で待つ二月の海はさぞ冷たいだろう。
それでも、この腕の中に貴女がいる温かさで救われる。
雪のような真白な肌に
糸のように広がる絹の髪
頬は林檎のように紅く
ぎっと目を瞑っている
人間は死ぬ直前に走馬灯を見ると言う。
然しながら、生憎私はそんなものを見ている暇は無いようだ。
目の前の美しい貴女を、その死の直前を目に焼き付けねば死んでも死にきれない。
私以外には誰も見ることのできない顔。
私だけが唯一手に入れた美しい貴女の死に際の顔。
嗚呼、私だけのーー貴女。
鈍い音がして、身体に衝撃が走る。
気づけば、周りはすっかり濃藍の水に包まれてた。
腕の中の貴女は見えなくなっていた。