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bloom wonder  作者: 逢坂汀
2/17

調温作業

挿絵(By みてみん)



 洋菓子店『paigue(ペイジュ)』は、東から北にかけて田園風景、南側に幹線交通路や比較的若いインフラ整備の整った開発地区を臨める、程よく閑静で、程よく便利な住宅街から少し外れた場所にある。元々オーナーの持ち家だった古い洋館をリノベーションしたという店の歴史は古いものではなく、14、5年前の創業時からこの場所にあるのだと聞いている。避暑地のコテージや北欧の民家を思わすような、いかにもと言えばそれまでだが、洋菓子店らしく瀟洒(しょうしゃ)な作りの建物だ。

 元民家と呼ぶには若干(じゃっかん)広すぎる感のある敷地を(よう)する店舗は、そこだけ自然林の一角を切り取ったように樹木に囲まれており、まずは出入り口から向かって正面にレジ、そして洋菓子とショコラを並べたショーケース。左手にあるレジに連なるカフェカウンターとイートインスペースとの間はわずかに格子状の列柱で仕切られてはいるものの、可動性でストッパーを外せばほぼ完全なワンフロアにすることもできる。列柱の向こう側、広さにして20坪ほどの客席エリアは、太陽光を採り入れる明るい造りというよりも、日本の古い民家や隠れ家といったものを連想させる、陰影を含んだ落ち着いたデザインになっていて、春から秋にかけ天候の良い時期には店舗内にある出入り口から田畑を望む南東に面したウッドテラスへ出ることもできる。ルーフ付きのテラスでは葉擦れの音や鳥の鳴き声、風の向きによっては近隣の保育園から漏れ届いてくる子供たちの声をBGMに、店のスイーツと店のバリスタの淹れるカフェメニューを楽しむことも可能だ。

 余談だがまったくの個人投資の店舗としては珍しく、店舗の設計のみならず、研修項目にも、AED(民間でも使用可能な心肺蘇生装置)の使用法や、介助などの基礎的な知識や対応などが含まれるなど、バリアフリーを意識している。

 そんな風に、あらゆるお客様に対し心得るべきホスピタリティについてはわりときちんと教えられるのに、接客に関する細かいノウハウについてはやけに適当(っていうよりは、けっこうずさん?)であるという高低差が非常に謎ではあるのだが。

 それはまあ、さて置いて。

 

 バイト扱いの試用期間を含めれば、俺がここで働き始めてそろそろ1年が経とうとしている。最初は厨房での雑用、───越えるべき最初で最大のハードルが、作業する人の動線を邪魔しないということだった───次に店の雰囲気を掴むため、フロアで接客見習い──客に声を掛けられでもしない限りは、商品の補充や、庭木の葉っぱを寄せ集めたり、倒れた自転車を見つけては立て直すなど、店内外の整備・清掃に明け暮れていたのだが──で、店内ツアーの最後、半年くらい前に就いたのが、先輩パティシエほぼ直属の”補佐”だった。

 先輩パティシエの名前は、七原千彰(ななはらちあき)という。中性的な名前ながら、残念だけど男性だ。間違いなく、これまで俺の周りには居なかったタイプの。

 まだ30歳手前という話だが、雰囲気や見た目から歳が伺いづらいのは、年齢不詳というよりも意思表示というか、存在感というか、生気そのものの希薄さによるものが大きい気がする。はっきり言って何を考えているのか、表情からはまったく読めない。

 七原は、仕事に差し支えない程度には喋るけれど、仕事に必要な口以外、聞いたのを見たことがない。なので、俺個人が気に入らないからといった類の口の重さではないようだ。当然のように、面白みのあることも言わないし冗談にも乗ってこない。

 俺自身は無口とは言いがたく、叩かれる無駄口から舞い上がる情報(ホコリ)の中から、必要なものとそうでないものをより分け、人間らしい喜怒哀楽や(ほころ)びの中から親しみを見出すタイプだ。「とはいえこれも仕事なんだし。」とドライに割り切ってしまうには自分はまだ若く、拘束時間の占める割合も長すぎる。

 つい軽口を口走った際に訪れる沈黙は、いっそ異空間にでも迷い込んだんじゃないかと錯覚してしまうほどの静けさで、地上に居ながらにして、果てしない宇宙の広がりを感じることができる。圧巻の体感は、叶うものならば是非、人にもオススメしたいくらいだ。

 これがもし、自分好みの綺麗なお姉さんだったりしたなら、少しくらいは気が紛れたりもしたのだろうか。

 

 彼にはひとつ、大きな特徴がある。特徴というか、ハンデだ。それも、肉体的な。

 彼の左腕には損傷があり、そのための後遺症があるらしい。そのことは俺がサポートに就く際に事前に聞かされていたような気もするが、無表情と沈黙が苦痛すぎたあまりに、途中まですっかり忘れていた。逆に言えばうっかりと忘れてしまえるくらいに、七原の作業は滑らかで淀みなく、まるでライン上のダンスの軌跡を辿(たど)るような優美さすらあって、欠損を伺わせるようなスキも可愛げもなかった。だから、ボウルが床に落ちる派手な音とともにそれが中断された時になってはじめて、我に返るように「そうだった」と思い出したのだ。

 誤ってボウルを中身ごとぶちまけてしまった七原の顔は、よく覚えていない。その時の俺は、掃除をするのがほとんど自分の役目として身についてしまっていたので、反射のように速攻でボウルに取りついて、まるでなっていないであろう接客でお客さんに対応するのと変わらない調子で、「あ。全然大丈夫ですよ。もう片付けちゃったんで」なんてにこやかに言い、言ってしまってから相手が違うことに気付いたのだった。しまった、と思った。無駄に愛想を振りまいてしまって。

 だから、「ありがとう」という声は、俺の鼓膜(こまく)捏造(ねつぞう)した聞き間違いなのかと思った。無愛想な顔のままの七原が、そんなことを言うとは思いもよらなかったから。きょとんとしている間に七原は次の仕事に移ってしまっていたので、真相は未だ藪の中だ。

 気を付けてはいても、仕事が立て込んで注意力が落ちていたり、思ったよりもモノが重かったりなんかするとダメらしい。観察と、人からの話を総合した限りは。

 俺には俺の、人には見えない欠損がある。それは文字通り俺の目には見えるが、他人の目には映らない。

 不都合だったり不便がなかったわけじゃないけれど、今はそれを利用したり逆手にとる方法を知っている。自尊心の置き所さえクリアしたならば、他者の同情と優越を利用することは容易い。用もなく振りかざそうとは思わなくても、知った時の人の反応を観察することはある種興味深くもあり、他人を知るうえでのバロメーターとしても役に立つ。あとは、相手次第で”信頼”の量を調節する。たったそれだけのことで、誰を悪者にすることもなく、”不便”が”便利”に反転するのだ。

 とはいえ、単に割り切って人を区別するだけじゃなく、そういう中で面白いと思えるような人間関係を築けることだって、ちゃんとある。それに、選ぶ自由があるという点では、基本的に相手も自分も対等であるはずだ。

 仕事場で、友情だ絆だなんてクサいことは言わない。だけど自分で自分のことを理解してもらおうとしないことを、七原はさみしいとか、怖ろしいとは思わないんだろうか。

 七原とは、そういう話をしない。つーか、用がなければ話さない。

 こんなに話さない人間と、こんなに長い時間を過ごしたことなんて、これまでに無かった。

 

 七原の仕事の質は高い。

 比較して見ていると、他の人間がマニュアルを元に動いているように見えるのに比べ、七原の場合は、脳の裏側でタイミングやその時の温度や音、すべての動きをリアルタイムで更新して、ささやかな動きが最大の結果につながるように、綿密に組み替えているように思える。だけど思うだけ。俺自身の知識とか経験が伴った理屈じゃないから、実際のところはなんとも言えない。

 単に効率だけを見ていたら見えないものがあるのか。七原が作ったものには、七原の手だけが持つ効力が働いている……ように見える。何でかと言うと、理由は簡単。出来上がったものを見ただけで、”これは七原が作ったんだな”と、なぜか判ってしまうからだ。

 他の人間が同じ手順で同様のものを作っても、どういうわけかそれが無い。自分自身決して不器用な方じゃないという自負はあるが、すべてのことを詳細に真似てみたとして、似たようなものは作れたのだとしても、同じものを作る自信はない。

 わかるのは、専門学校で使っていたテキストなんかはほとんど何の役に立たないんだろうなってことくらいか。


 七原と、仕事仲間との不思議な関係。距離感のことを考える。

 『paigue(ペイジュ)』のスタッフは、繁忙期に入れ替わる臨時雇いを除けば、俺を入れて常時で総勢10名ほど。個人店の規模としては中くらいだろうか。

 定説になぞらえれば、規模が大きければ大きいほど人間同士の関係は希薄になるのだろうし、小さければその分、個人間にかかる摩擦は大きくなる。それは何もこういった店舗に限ったことではなく、グループの単位が「学校」でも「クラス」でも「国」であったんだとしても、集団の心理というものはあまり変わらない気がする。

 どこであろうと、集団に馴染まないものは弾かれる。いじめや排斥(はいせき)じゃなくたって、「尊重」や「擁護」というかたちをとった疎外だってある。

 店の人たちは、それぞれに個性が強くアクはあるけれど、基本的には「普通の範囲内」なんではないかと思う。全員を一括(ひとくく)りにすることは出来ないけど、どちらかと言えば「いい人たち」と言えるような。

 その中でも、やっぱり七原は異質だ。何かに抜きん出たものを備えていても、ああいった、極端にコミュニケーションが上手くない人間は、集団の中では例外なく嫌な感じに孤立してしまうものだと思っていた。いわゆる、「恰好(かっこう)餌食(えじき)」というやつだ。

 確かに、七原は馴染んではいない。仕事上での友好性を円滑に保とうという姿勢もなく、また馴染めていない人間によくある卑屈も、孤立への畏れも、びっくりするほど感じられない。もしかしたらそういう発想自体が無いんじゃないかとも思う。

 人間関係ってきっと、実利的な部分より「余計なもの」で出来ているのが大半だ。余計な部分で、人を好きになったり、嫌いと思ったりする。利用できる相手かどうかっていう打算だって、きっとそれよりもずっと弱い。好きか嫌いかという感情は、強いられたって、変えられるものじゃないから。

 だけど、なんか。この店の人間には、七原に対する距離の置き方に、「嫌な感じ」があまりない。

 愛想も打算も、喜怒哀楽を現すため誰かに振って見せるためのしっぽも持たない。七原が、嫌われていないということが、俺にはすごく変で、すごく不思議だ。


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