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bloom wonder  作者: 逢坂汀
17/17

止まっているのか、動いているのか

 宮蔵はチワワのイメージですが、初期設定には『動きが速すぎてまともに写っている写真がない』と書いてあります。

 

 では、本編をどうぞ……。

「よし、宮蔵。今すぐに用件を言え。気が変わったっていうんならべつに言わなくてもいいが、その場合これだけ飲んだら俺は帰る」

 トイレに立ったついでにカウンターから受け取ってきたビールのジョッキをドンとテーブルに置くなり、宣言した。


 滞りなく終えた仕事終わりに、駅近くの高架下にある行きつけのうちの一軒の飲み屋に来ていた。朝一番で見せた思わせぶりで神妙な様子から一転、昼休み中もここへ来る道すがらも、宮蔵(みやくら)のテンションはチュールを鼻先にぶら下げられたチワワのごとく高いまま、生きるためエラに酸素を送るために一時も休むことなく泳ぎ続けるサメのごとくしゃべり続け、それは店に来て席に着いてからも変わらなかった。

 俺も鬼じゃない。朝の様子から察するに、相当言いにくい内容なのだろうと察しはついたし、宮蔵にも宮蔵なりの情緒の整理というものが必要なのだろうと考え、空洞にも似た大きな瞳で、あらかじめインプットされているランダムな記号の羅列をまるで楽しく人と会話しているかのようによどみない抑揚で滔々(とうとう)と読み上げ続けるAIを思わせる、宮蔵の尽きることのないおしゃべりにだまって耳を傾ける努力はした。努力はしたが、3杯目のジョッキに口をつけたあたりで、はじめは小刻みな貧乏ゆすり並だったストレス強度がついに光の速度を振り切ったかのような精神的境地に達し、無重力空間に投げ出されたかのような激しい虚脱感と目眩(めまい)および視界の暗転などといった諸症状に見舞われ、がちがちと噛み合わない歯の隙間から意味不明の言葉がこぼれ出しそうになっている自分に気付き、そのままいったんトイレへ退避。3分ほどのインターバルをはさみ気を取り直したのち今に至った……というわけである。

 悪夢のような異次元ホラーをサブリミナルほどになるまで(さい)の目に切り分け、内容の精度はそのままに圧縮したのち、脳のひだに無理やり詰め込まれたかのような気分だった。たった5分間、から元気でしゃべっていただけで、人の心のうちにある狂気の端っこをめくりあげてしまうとは、こいつの精神状態が尋常じゃないと見るべきなのかもしれない。トイレにこもった3分間でそのように結論づけていた。

 宮蔵の会話からは常に重厚さも得るべきものもかけらもないが、ここまで絶妙におかしかったことは、未だかつてない事態だった。

 もののけ姫における祟り神パンデミック的な事態を防ぐためにも、とりあえず誠意を持って話は聞こうと腹を決めた。万一それが愛の告白だったりした場合、俺からの返事はお断りの一択のみだが、義理を果たした後は正式な飼育員である森見か久慈に丸投げする所存だった。

 たとえ一時的に落ち込むようなことになったとしても、よく寝てよく食って日光を浴びていれば、宮蔵のことだ。3日もすれば元どおり、息の根も止めそうなタックルをかましてくるくらいには元気になるだろう。たぶん。

 人類にはどうだかわからないが、動物にはモテるやつだ。公園に行けばやたらと犬猫や鳥が集まってくるし、ついでに飼い主でもひっかければよりどりみどりと言えなくもないだろう。たぶん。

 ……ウーパールーパーって、だいたいいくらくらいで売ってんだろうな。ていうか、見たことないけど本当にあれって売ってるもんなのか?

 そんなことを考えていた。


「俺さ、あのさ……俺」

「ああ、なんだよ?」

 虚を突かれたように黙り込み、言いにくそうに目を伏せる宮蔵は、これまでに見たこともない顔をしていた。この感じ、シチュエーションは、中学の時2学年上の女子に呼び出されて体験したことがある。思い起こそうとしてもその時の自分がなんと言ったのか、日々何を考えて生きていたのかすらもはっきりと思い出せないのだが、その後何度かその友人らしき女たちに石を投げつけられる襲撃を受けたような覚えはある。当時俺の住んでいた地域では昭和のヤンキーの意志を受け継ぐ残党たちが夜な夜な橋のたもとでバーベキューをしているというまことしやかな噂もあったくらいなので、謎の連帯感により一丸となって復讐を果たすというような風習もまた根強く息づいていたのかもしれない。思うに一丸となるための名目は俺でなくともなんでも良かったのだろうが、今となっては懐かしい青春の1ページだ。

 この際躊躇(ためら)ったりとかはいいから、バンジージャンプでもするくらいのカジュアルな意気込みで、はっきりズバッと言って欲しい。そうしたら両手を広げて優しく受け止め……たりはできないまでも、そこそこのリアクションをする準備はある。できる限り軽いノリで流したいのだ。それが優しさというものなんじゃないのか。

 思うにこれは、何かの感謝祭なのだろう。人生におけるひとつのアニバーサリー期間(ウィーク)に突入したのだ。避けようと思っても避けきれない星の巡りのようなもので、きっと今週いっぱいはそういう取り決めになっているのだ。そう思えばいろいろと納得のいく光景が、止まっているのか動いているのかもわからん速度でメリーゴーランドのように眼裏(まなうら)で回転していた。

「なっ…」

「”な”?」

「七原さん…の、ことなんだけど……」

「うん?……ああ、うん」

 え、そういう感じ?俺じゃなくて、七原への恋バナの序章だったとか?としたら、すごいため(・・)だったね。いや、それならそれでもべつにいいんだけど。

 …………また?どゆこと?

 という、頭上にはばかるどでかい疑問符を思考の隅に寄せて、とりあえず今は聞き手にまわることに専念する。

「俺さ……俺、たぶん七原さんに恨まれてるんだよね」

「は?」

 手羽先にかぶりついたのち、ジョッキを持ちあげかけた手が止まる。

 ここまでにあがっていたはずのフラグの(ことごと)くを無視したような発言に、今度こそ声に出して疑問を(てい)する。

 つかおまえさ、七原とはほぼ絡みないじゃん。イマイチ意味がわからないんですが。つか、七原は人を恨むとかいうそういう負の感情を抱くという以前に、同僚を同僚としてきちんと認識してるかどうかすら怪しいやつだぞ?

 考えてもみろよ。異星人が、認識もしていない別の惑星の原人のことをいちいち憎んだり恨んだりするか?しないだろ。

 それともなにか?俺は今、あれじゃない別の『七原さん』についての相談を受けているのか?

「えっとね…………えっと、ちょっと前にいろいろあって、……そ、それからあんまりこの話をしたこととか、なかったんだけど、でも、……七原さんも三島っちにはちょっと心開いてるっていうか、なんか……ちゃんとコミュニケーションとれてるみたいだし」

 うん。それはいわゆる『大きな勘違い』というやつだね。君の言うところの『七原さん』とやらの心は初めから今の今まで遮蔽(しゃへい)しっぱなし。おかげで一緒に働きはじめて1年以上が経つ今でも、毎日が初対面なのかと錯覚を起こすほどに新鮮な関係性を保っている。そんなこんなで俺とあれはまともなコミュニケーションなんざとれてもいねーけど、そんなことはもうどうでもいい。つかおまえ、いくらなんでもたどたどし過ぎやしねーか?今にも泣くんじゃねえかというくらい言葉に詰まってんだけど、ダイジョーブなの?

 ────などというつっこみや訂正を入れたところで話が余計長くややこしくなりそうだったので、黙っていることにした。宮蔵は人懐こく饒舌ではあるが、話し上手なタイプでもない。これはもう聞くだけ話を聞いて、あとでまとめたほうが良さそうだ。

「まーいいわ。とりあえず聞くから、話せよ。その前になんか頼むか?」

 俺の記憶にある限り、さっきから宮蔵が温めるように手元で弄んでいるグラスは1杯目のはずだが、まだ半分以上も残っていた。普段は俺に劣らぬ旺盛な食欲の持ち主であるはずが、食べ物にもほとんど手をつけていない。

 店の中には始終方向性や規則性の不明な音楽(ロック系のインストゥルメンタルやハードなケルト風音楽など)がかかっていて、高架下にある物件なので電車の走行音にも事欠かないが、音楽好きのセレクトらしくそれが意外と悪くないBGMになっていたりする。

「ううん」

 さらに深く顔を俯けて、くらぐらと前後に揺らしている。飲んでいるのがノンアルコールだと知らなければ、酔っていると思うかもしれない。(宮蔵は飲みの場が好きなだけの下戸だ)小学校の時にストレスや緊張がピークに達すると、こういう仕草をするやつがいた。何を言おうとしているのかはわからない。ただ、がんばって、体勢を立て直そうとしているんだということは、なんとなくわかるのだ。普段が明るすぎるくらい明るいから、宮蔵のこういう一面を目にすることはほとんどなかった。

「宮蔵。べつに、今日じゃなくても、いつでも話は聞けるけど」

「……ダメ!今言う……今」

「おい、宮蔵…」

 帰ろうとしたわけじゃない。手持ち無沙汰でメニューでも開こうと伸ばしかけていた手を、叩き落とすかのような勢いでテーブル上にホールドされて、軽くびびる。……なんだって言うんだ、まったく。揃いも揃って七原がらみか。あんな宇宙人ひとりのために、みんなして一斉に調子を狂わさなくたっていいだろうに。ぐずぐすとした苛立ちに近いものが体幹のあたりに居座っている。

 いや、苛立っているのか、俺は。 

「あの傷。……七原さんのあの腕の傷。あれ、俺のせいだから」

「あ?どういうことだよ?…………あの傷って、おまえ、……だってあれは、3年以上前にできた傷だって聞いてるぞ。その頃おまえ、まだ店にいなかっただろ。つーか、おまえはいったい、何年前の話をしてるんだ。さっぱり意味がわかんねえ。とりあえず順を追って話してみろよ」

 掴まれていた手を引き抜く。下を向いたままの宮蔵と目が合うことはない。

「いたんだ、俺。……5年前に一度。『paigue』で働いていたから。でも、…………しばらく休職して、高卒の資格取って、それからまた再就職したんだ。本当はもう辞めようと思って、思ってたんだけど……また戻っておいでって……その方がいいからって、勧められて」

 完全なる初耳だ。というか、あえて触れないように、助長するとまではいかなくとも、勘違いを放置するように気をつけられていた話題だったのかもしれない。だとしたら宮蔵個人の意思というよりは、事情を知る者の”総意”なんだろうと察しはつく。

 てっきり(とし)の差通り、宮蔵は俺の2年先輩だとばかり思っていた。そうか、高校中退ね。

「……で?」

「俺、学校も勉強も嫌いだったけど、ずっとお菓子の仕事をするのが夢だったから、だから何回も店に通って5年前の春にやっと『paigue』に、アルバイトで雇ってもらって───」

 

 ───七原は、宮蔵の入った当初からいた古参で、(5年前なら七原は24、5歳ってところだろう)当時から今と変わらず才能だけはあるが愛想もへったくれもない孤高の変人キャラ(※ 俺的解釈)ではあったものの、ある頃を境に急に雰囲気が変わったらしい。宮蔵の記憶では、おそらく初夏から夏の盛りにかけてだった、とのことだ。今では信じられないことではあるが、七原も含めた店のスタッフ全員で、海に行ったことがあって、それが印象に残っていると宮蔵は言った。

 宮蔵の言い分では異星人ナナハラ(※ 以下全部俺釈)が時おり笑顔らしきものも見せるようになって(……本当かよ)心持ちではあるものの対応がやわらかくなって、周りの人間をずいぶん驚かせたらしい。

 俺だったら、気味が悪いと思ってまずはその裏にあるものを探ろうと考えるような唐突すぎる変容であっても、宮蔵の場合は単純に、これまでになかった優しげな雰囲気を(まと)いはじめた職場の先輩の変化を嬉しく感じて尻尾を振って近づいたのではないかと想像できる。なにしろ宮蔵は、俺が知る中でも群を抜いて素直な性格だ。(バカだけど)

 ある休日のこと、2日続けて七原が有給をとった珍事に「恋人でもできたんじゃないか」そんな風に話題になっていたのだが、その日たまたま同じ休みだった宮蔵が、偶然駅で電車に乗り込もうとしている七原を見かけ、背後から───

 背後から無邪気に、明るい気持ちで七原に声をかけた。

 肩に、手をかけて。

 その時七原の持っていた荷物が、肩から滑り落ちた。

 それが、どういう拍子だったのかはわからない。ただ、七原はどんなに愛想の良さを貼り付けて人間らしく”擬態”していたところで、触られることにたいする免疫は獲得し切れていなかったのだろうと、俺は推測する。宮蔵は、心臓が止まりそうなくらいに驚いたことだろう。

 荷物のなかから、布に包まれた包丁が転がり出た。

 ……ちょうど周囲に人はいなくて、その場でそれを目にしたのは、宮蔵だけだった。

 間にあったのはおそらく、すべての音も感情も笑顔も、心のなかにあったきらきらとした希望も、一瞬にして無に帰すほどの空白だ。

 七原は、無言で”それ”を拾い上げて、何事もなかったかのように荷物のなかへしまい、宮蔵にそっと耳打ちをした。

 「邪魔を、しないで欲しい」と。

 それだけ言って、電車に乗り込んだ。

 包丁という凶器を持っていたのだとしても、それは脅しではなかっただろう。七原がしたことは、ただの、単なる『依頼』だ。

 あいつには、自分のしたことがどれだけ心ない残酷なことだったのか、どれだけ計り知れない葛藤と後悔を宮蔵の胸に押し付けることになったのか、理解もできないのだ。

 わかろうとさえ、思わないのだろう。

 宮蔵だけじゃない。


 ……最悪だ。本当に、あいつは最悪だ。







 週末に1話ずつくらいのペースで書けたら先走っている設定との距離がちょっとはちぢまるのにと思っている今日このごろ。

 ありがとうございました。


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