違う汁にしてくれ。
イラストは清瀬です。
《かんたんキャラクター紹介》
◆三島一臣(21・♂)……外見・和種×ハスキーの大型犬といった風情。チャラい外見でお調子者キャラながら人間関係を観察し姑息に立ち回っている。
◆七原千彰(29・♂)……外見・黒目・黒髪。痩せ形ながら鋭角的なパーツは少なめ。『仕事はできるが、何を考えてるのかまったくわからない男』。(三島評)
◆新名昴(19・♂)……双子の兄。特技・早とちり・空耳。動物。
◆新名晶(19・♀)……双子の妹。特技・即時訂正。ボーイッシュ。
◆宮蔵青(23・♂)……どっかの島の出身。人懐っこく感情豊か。落ち着きがなく、目を離すともう消えている。
◆藤村蓮樹(23・♂)……おっとりと育ちの良いイケメン御曹司。3年間の期限付きで修行中。『顔のわりにモテない』(三島評)
◆武蔵野糸鶴(むさしの しず・25・♀)……通称『シズ』。広報担当。店のブログ更新が趣味の域に達しており、端末を手放さない。
◆久慈継穂(28・♂)……実直な性格。居るだけでそこはかとない安堵感。『クマさんっぽいイメージ』(三島評)。
◆志村すみれ(31・♀)……外見・オリエンタル系の美人。最悪すぎる第一印象のため、三島には大変嫌われているが、スタッフの人望はあるらしい。
◆森見修(33・♂)……バリスタ。眼鏡。おしゃれパーマ。『だるい。エロい』(三島評)
◆信永(59・♂)……ベテランフロアマネージャー。
◇清瀬陽世(27・♂)………以前『paigue』で働いていた。現在は食品関係に強い企画プロモーションの会社に勤務。3年前に七原となにかトラブルがあったらしい。
「信永さんに森見さん。久慈くんも、おひさしいぶりがっこー」
と、上下にあるストッパーを外した信永さんに迎え入れられるようにして、入ってくるなりその男は言った。はじめから訪問の予定があったのだから、正面入り口のドアが開いていたはずなのにわざわざテラス側から入ってくるあたりに、なんとなく馴れ合った者同士の空気を感じる。
風体は、上から黒の野球キャップ、タイトなの黒のジャケットに、細身のグレーのスウェットパンツ。インナーは濃いめのブルー系のシャツだろうか。それなりに高そうなアイテムを着崩しているところが鼻につく。友人にも着道楽っぽいのは何人かいるけれど、なんとなくそういうのとは違う感じがする。
「参ったなー。久々にこの辺歩こうかと思ったら、途中で降ってきちゃうんだもん。知ってたらランクル回してきたんだけどな」
ランクルだろうがランボルギーニだろうが構わないが、わざわざ言わなくてもよくねーかと思う。愛車が軽トラでも同様のことをのたまうのであれば、話は別だが。
「それは大変でしたね。傘か、タオルはご入用ですか?」
「やー、さっき降り出したばっかだし、大丈夫っす。帰りはタクシー呼ぶんで」
言いながらぐるりと見回した視線の動きが、ある一点で少しぎこちなくなったような気がした。俺か、俺のとなり。もしくは森見。
「なーんか、……懐かしいっつーか、4年も経つとけっこー知らない顔ばっかになるもんですねー。で、もしかしてみなさん、勢ぞろいってやつですか?」
「志村以外は、だね。ちょっと話してたら盛り上がっちゃってこんな時間になったんだけど。も少ししたらみんな帰るよ」
拭き終えた食器類を、飾り格子の嵌めてある吊り戸棚へ仕舞いながら、森見が応える。
「へー。仲良っすね。何話してたんですか」
「んー?世界の汁物ナンバーワンは何だろうねーって話」
空々しさしか感じられない会話にすっかりと辟易し、よそ見をしながら頬杖をしていた手から、あご先が滑り落ちそうになる。
この人が適当なのはいつものことだが、今回のこれは特にひどかった。虚言もここまでさらりと言ってのけられると、疑惑を口に出す方が無粋に見える。人を煙に巻く手本のような手並みに、ぐつぐつと煮えかけていた毒気が抜ける。
ふと気付くと、さっきまで絶え間なく囀っていた双子たちが、今はぴたりと静かになっている。そういえば彼らは極端な内弁慶というか、よっぽど馴染みの客相手の時でさえも、借りて来た猫のように、首を縦に振るか横に振る以外の意思表示しかしなくなるため、客受けは悪くなくても、フロアではほとんど役立たずなのだった。瞳孔が開いたかのように微動だにもせずに鎮座している様子は、まるで未開の地の土産物屋に並べてある、置物のようである。
「あっは。この子たちは双子ちゃん?可〜愛いね」
急に水を向けられて、双子たちはシビシビと置物としての硬度を増した。今や指先でつついただけでも、2体そろってころんと後ろに転がりそうだ。
「あ、そうです。そうです。向かって左が新名すばるで、右があきら。私は武蔵野糸鶴と申しまして、フロアや配達と広報と、あとは契約農家さんとの橋渡しなどもしていますぅ」
と、ご丁寧に名前にはまる漢字までをレクチャーしている。
「シズちゃんか。よろしくね。最近美容室に行った?髪の毛のグラデーション、綺麗に入ってる。いいなー。俺もそういうの一回してみたいんだけど、客先であんまり攻めた格好するのもマズいしなー」
『paigue』では基本、清潔感を損なわないかぎり髪型や服装の制限などはされていない。
「え〜、もったいないですぅ。絶対絶対似合うと思うのに〜」
だんまりを決め込んだ新名兄妹に代わって説明を始めたシズも、珍しく緊張気味らしい。いつもならばこの流れで、面識のなさそうな人間すべての紹介を済ませてしまいそうなものなのに、流暢で後腐れもないキヨセのリップサービスに、へどもどと恥じらっている。頼むから、見ているこちらの方が気恥ずかしくなるようなリアクションはやめて欲しいものだと切に思う。
「清瀬。こっちが宮蔵、で、そっちが藤村。で、これが三島。みんな、裏方の担当」
いきなり使い物にならなくなった進行役を継いだ森見の声に合わせるように、「どうも」と頭を下げたり、各々当たり障りのないリアクションをする。紹介とは言ってもさらりと流すようなもので、覚えてもらうという意図が無さそうに見えるどころか、省きすぎて一部事実とは異なっているが、それで十分だと思った。正直なところ自分の紹介だって、山田でも太郎でも、なんでも良かったくらいだ。いつもなら人懐こいキャラの宮蔵も、シズや双子の緊張が伝播したのか、いつになく静かだった。
なんとなく異様な雰囲気だと思うのに、その異様さの原因が掴みにくい。もしかしたら自分は自分で多少テンパっているのかもしれなかったが、上滑りの状態で自己分析をしたところで仕方がないと思った。中身のない、建前上のやりとりなどはどうでも良いので、早いところ用件だけを済ませたかった。
「じゃ、そろそろ本題に移りますか。三島、飲み物淹れなおしたから持ってってくれる?」
「わかりました。ありがとうございます」
森見がカウンターにのせたトレーを受け取る。
「え?今ここで話すんじゃないんですか?」
キヨセが、意外そうな声を出す。拍子抜けしたような表情は、あながち演技というわけでもなさそうに見える。
「帰るって言ったでしょ。頭数だけ揃ってたって仕様がないんだし。話すのに残るのは、君ら当事者と、本日の管理責任者の三島だけ。あとは店側は全部閉めるから、帰りは裏口から出てね」
俺たちにというよりもキヨセに向けて、勝手知ったる”元”職場だろう、と思っているのが伺われる手つきで、出口方向を指し示す。
「へぇー………そうなんですか」
キヨセが、ほとんど初めて俺の顔と”三島”という名称を一致させる気が起きたかのように、しげしげとこちらを見る。
知らなかった。いつの間に俺は、管理責任なんてものを負わされていたんだろうと思いかけてから、これも即興の”アドリヴ”なのかと合点する。
思うにジャンルは同じ”人たらし”のようでも、土台が違う。
うちのバリスタは「おぎゃあ」と産声をあげた瞬間から、人という人を軒並みたらしこんできたのに違いなく、万が一、徒党を組んだ被害者訴訟原告団により、これまで無責任にばらまいた甘言の数々への突き上げを食らったのだとしても、この顔でこの声で、
「そう?でも、ちょっと幸せじゃなかった?俺は君といて、すごく楽しかったな」
なんてことを言われたら、大抵の人間は腰砕けになるような気がする。一本の矢で十数人の胸を同時に撃ち抜く程度の離れ業くらいなら、なんなくやってのけそうだ。
あっさりとキツネにつままれて悪酔いをしているシズは、あとで宮蔵にたっぷりからかわれることだろう。最近とあるネタでからかわれっぱなしだった自分としては、いい気味だと思わずにいられない。そういえばキツネじゃなくてワニだった───っていうのはどうでもいいか。
そうとなれば一刻も早く面倒なタスクを済ませるべく、キヨセへ目配せをしてから、先を促すように3人分の飲み物の載ったトレーを手に歩き出す。何にせよ今日の自分は信永さんを見ならって、ありとあらゆることを聞き流すことのプロに徹することに決めたのだから、いけすかないキヨセの言動ごときに、いちいち目くじらを立てている場合ではない。
「そういえば、結果は出たんですか?」
大人しくついて来るかに見えたキヨセが、すれ違いざま、カウンターに最接近したタイミングで聞いてくる。きょとんとした表情をした森見に向かい、「”世界の汁物”の」という補足をする。悪意を感じる唐突さと念入りな態度に、こいつはやっぱり無粋な奴だと思う。
「ああ、それね。ほぼまとまりかけたんだけど、そこにいる三島くんが、○谷園のお茶漬け押しで、どうしても譲らなくて」
「は。なに言ってんですか。○谷園のお茶漬け、最高じゃないですか。日本の心ですよ」
反射的に合わせながらも、なんだそのひどい濡れ衣は、と思う。
「民主主義的解決によれば、トップはダントツで、ク○ールつぶコーンスープで決まりなんだけどね」
世界の汁って言ってたわりに日本企業オンリーな感じに、どうでもよさが伺える。この投げやりさが女子に受けるんだろうか。
「あんなのは、ただの粒入りの黄色いにごり汁ですよ。言ったって全部コーンなわけじゃないですか。つまんないですよ」
「クルトンは、麦だよ…」
ぽそりと久慈くんが言ったので、「ほんとですよね!」とつい同意してしまい、仮想の議論はぐだぐだのまま終決してしまった。「ふ」と声が聞こえたような気がして横を見たら、七原が平然とした顔で俺を追い越していった。
なんだったんだろうと思ったが、続き歩いて来るキヨセの吊り上がった口角を見て、俺は自分のやるべきことをきっぱりと思い出す。
そう。本日の俺は、無になるのだった。
ロッカールームに入る七原にキヨセが続き、通るには開閉幅が足りないためにトレーを持ち直そうとした鼻先で、バタンとドアが閉まった。風圧を感じるほどの勢いで閉まったドアにあっけに取られているところへ、さらにガチャリと嫌な音までしたので、さすがに自分が締め出されたのだということを理解した。
「……そういうことをするかね、普通」
怒るというよりも、たった今足を踏み出そうとしていた場所に、誰かが掘っていた落とし穴があったことに気付く感覚に近く、あいつ、賢しげなツラをして、思ってた以上にクセモノじゃねえかと、思わず感心してしまう。
「でも、鍵閉められたんじゃな……」
空いた手で頭をかいて、思案する。ドアを叩くなどして仰々しく騒ぎ立てるのは好ましくないし、万一壊したりして弁償でもさせられたら、たまったものじゃない。
というか、小学生のいたずらじゃあるまいし、いい年をした大人が人を閉め出すという大人気のカケラもない手段を使ってまで立てこもって、なにをするつもりなのか………と、想像すること自体が普通に怖い状況である。
①怨恨 ②痴情のもつれ ③ただの冗談
シャレにならないことは嫌いなので、自分としては全力で3番のセンに一点張りしたいところなのだけれど、もしもいたずらの種明かしのタイミングに鮮度があるのだとすれば、すでに腐りはじめてもいい頃合いだ。
自ら名乗り出てしまった手前、努めて根拠を考えないようにしていた、志村の意味深すぎる発言を思い出す。
「七原という人間は、自分を轢き逃げした車が、ご丁寧に戻ってきて二度轢きする段になったのだとしても、じっとその場にうずくまっているような奴だと思わないか?」
「二度轢きって……」
お肉じゃないんだから。って、それは合挽きか。
「……頭の出来の良し悪しに拘わらず、壊れたレコードのように同じことを何度も繰り返すのは、人間のクセらしい。人生なんて、親の代から続くような因縁から、たまたま頭に隕石が落ちてくるような、因果律なんてものをまるっきり無視したような災厄でさえも、誰かや、何かのせいにしていたら、何処へも進めない。結局のところ、すべてのものは自分の責任の範疇で呑み込むしかないのかも知れないと、思う時もあるんだけどな。それでも、自分の耳に届く範囲で同じノイズを聞かされ続ければ、さすがにいい迷惑だと思うよ」
意味深すぎて、なんの喩えなのかもわからない。少なくとも、今の自分に答えられるような内容とも思えなかったので、黙っていた。
志村のほうも俺の答えなど、なにも期待していなかったんじゃないかと思う。相談や、ひとに話しかけるような体で、ただ、人に話すことで自分の心の整理をつけるような類のものなのかと、最後のセリフを聞くまでは思っていた。
「自力で諦めきれないのなら、ちゃんと息の根を止めてあげないと…」
………どうしてくれんだよ、志村。こんな場合の対処法なんて、研修の中には含まれていなかっただろ。こんなんじゃ残業代どころか、特別手当を付けてもらったところで、ぜんぜん割りに合わないじゃないか。
やってられるか。なんでこんなところで締め出しをくらってまで、俺が、おまえらのわけのわからない因縁なんかに付き合わなきゃならない。
トレーを足元に置き捨て、とぼとぼと来た通路とは逆方向へ歩き出した。
ありがとうございました。