序
とりあえず、これで今日の予定は消えた。
キャンセルのラインメッセージに、どの角度から見てもトゲの感じられなさそうな、当たり障りのない表現を選んで貼り付ける。そうして携帯を布団の上に放り投げてから勢いをつけて起き上がり、そこかしこに衣類等の散乱した床を大股で横切って、ペットボトルのお茶を取り出しながら冷蔵庫の中身を覗き込む。
目に入ったのは、納豆と、ビニール袋の中で液状化した何か。だけどそれがなんだったのかを、すぐには思い出せなかった。買ってから忘れてしまうだけの時間が、すでに経過しているということなのだろう。何にせよ、指定のゴミの日まではこのまま庫内に留めておくしかない。
扉を閉めかけたところで、思い出す。これは、3ヶ月くらい前にリセが来た時に、花畑やブーケのような鍋とサラダを作った時に余らせたものじゃなかったか。たしか、映えないとか、イメージじゃなかったとか、そんな理由で使われなかった食材だ。リセは、見せる目的以外の料理にあまり興味がない。
そろそろコンビニ以外の場所へ買い物に行かないとな、と思う。このままじゃ遠くないうちに体も財布も干ばつにまっしぐらだ。だけどやっぱり、せっかくのオフ日に自炊などする気になれない。いや、オフじゃなくてもしたくないのは同じか。食べたいものはたくさんあっても、財政と折り合いをつけるのは難しい。
ふと、好物の唐揚げとビールを腹いっぱいに食べたのはいつだったっけなと考えながら、サッシの向こう側に淀む空の白色を見上げた。
社会人になってはみたが、なんだかパッとしない。仕事は日々それなりに忙しくて、忙しいけどたまに、これって俺以外の誰がやったっていいんじゃないの?とか、思わなくもない。というより、ほぼ毎日そんな感じ。
こういう感じが延々と続いていったとして、どうなるんだろう。別に何か大きな問題があるとか、目に余るほどのストレスを抱えているから辞めてしまいたいとか、そういうんじゃないけれど。
リセのことも。仕事でどうしても都合が合わなかったりして、止むを得ずこちらからキャンセルをすることが重なるうちに、フォローをすること自体、重たくなっている。悪いのはどう考えたってこっちだろう。
リセは可愛いし、ユーモアもある。度を越した我儘でむやみに人を傷つけることもなく、むしろ、どの程度の我儘が自分を引き立て、人の心をくすぐるのかを、わかってやるタイプだ。スペシャルなイベントが大好きで、冗談みたいなお姫さま扱いに喜ぶことだって、付き合うのもそう苦じゃない。だけど、それがずっと続くとなれば………。
目に見えるルーティーンが義務的なものに思えてきて、おざなりになっていたことも事実だ。今の今で断りを入れるというやり方に、批難の意図や多少の悪意が透けて見えたんだとしても、自分に怒る権利はないと思う。むしろ出先で待たされなかっただけ親切だったかも、と思っておく。
いい時はいい。さらに言うと、社会人になる前はもっと良かった。その時にはわからなかったけれど、地に足もつけないほどに身軽だった俺たちは、その中で一喜一憂を繰り広げては、まるで舞台の中心人物にでもなったかのように過ごしていた。だけど地上に降りてきてわかったことは、恋人に涙声で呼びつけられたからといって、いつでもどこにでも駆けつけられるほど生活は易しくないということ。夢や理想でだけでは、飯は食えないということ。健やかなる時も病める時もずっと誰かと一緒に居るって思うのは、今は想像しただけできつい気がする。
恋人を思い浮かべた時に漠然と、『代償』や『ギブアンドテイク』という言葉も一緒に転がり出てくるということが、果たして恋の終わりを意味するものなのか、幼い恋愛を脱却し、現実との折り合いをつけることの始まりなのか、俺にはわからない。
顔を見て、話をすれば、楽しいな。一緒に居てよかったなって、きっと思える。だけど、仕事で疲れたからとか、なんか今日はだるいとか、そんな言い訳を頭の中で並べているような今の状況では。
別れるにも、楽しく過ごすにも、いろいろなものを消費する。過ごした時は空気と変わらない質量を持って、風船のように空へ飛んでいく。
いったい俺は、何がしたいんだ?
今の自分にわかることは、土壇場のキャンセルに腹が立つよりホッとしているということが万が一バレでもしたら、それこそが悲劇だってこと。
続きます。