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ハカナキ  作者: 梅屋凹州
外譚

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天業の話すこと プールの仙人

 天業(てんごう)の話をする。


 天業――柳生天業は、アメリカで働く両親の下に生まれた。

 天業の両親は、生まれてくる我が子を異国の地で育てることを望まなかったらしい。

 それゆえ、天業は赤ん坊の頃――正確にはこの世に生まれおち、病院から退院したその日から、隣家の柳原家に預けられることになったのだという。


 私が六才で塩ヶ浦、つまり柳原家にやってきたときには、一才の天業はすでに柳原家の一員のような顔をして、私を異星人でも見るような顔できょとんと見上げてきた。

 私にとって天業は、居候の先輩、という訳だ。


 赤ん坊のときから柳原家で暮らし、柳原家の食事を食べ、柳原兄妹にばつっこ(末っ子)としてテディベアのように可愛がられ育った天業は、自分のことを柳原家の一員だと思っている節がある。

 実際に、天業は柳原家の兄妹の言うことにへいこらと従う。「うん」しか言えなかった幼少期に比べたら、だいぶ自己主張するようになったのだが、人間はそう易々と変わらないのか。それとも、三つ子の魂百まで、ということなのか。


 そのような成長過程を経た天業少年も、今年ついに高校に進学した。

 大きな反抗期こそなかったものの、天業はどうにも淡々としすぎた子供になった。クールというより、何事にも素っ気ないのだ。長舟に言わせると、「お吸い物より小吸物って感じだよな」と言う。正直意味がわからないが、私としては、育て方を間違ったのかな、と少し心配になる。


「曜さん、何書いてるんですか」

 冬を迎えると、柳原家の茶の間のテーブルは正方形のコタツに変わる。テレビの近くに置かれたストーブの上で、底が黒くなった薬缶がしんしんと蒸気を立たせていた。お湯を沸かせるついでに隣で炙ったスルメは、すっかり丸まり巻物のようになっていた。

 私の真向かいに腰を下ろした現在の天業が、私の手元を見ながら尋ねてきた。

 私は鉛筆を走らせる手を止めないまま、正直に答えた。


「天業の回顧録。ぼくとの出会いから今までの思い出を書いてる」

 天業はすんと遠い目をし、「そうですか」といかにも納得したように頷くと、「なんで書こうと思ったのか」と誰へとも言えない突っ込みをする。天業という少年は、意見も言われなければ文句も言わないかわりに、突っ込みだけはこなす不思議な少年だった。


「天業との回顧録!? 読みたーい!」

 ふと、私の右斜め向かい、天業の左隣に座った初楽ちゃんが、こたつのなかで足をバタバタさせながら声を上げた。

 そして思った次の瞬間には行動しているのが常の初楽ちゃんは、私の了承を得ることもなくさっそくノートを覗きこんだ。「ふんふんふん」と犬が鼻を鳴らすようにせわしなく頷き、「ああ、こんなことあったわー」と懐かしがる。


「『一才、天業は喋らない。お腹が減っても喋らないので、いつご飯を食べさせるかおおいに悩む。二才、天業は喋らない。おじさんに相談して二人で児童病院に連れていくが、発達に問題はないとのこと。しかし、やはり喋らないので、心配である。三才、保育園に預かる。天業は誰とも喋らない』。……あははは、ナニコレー!! ぜんぶ事実だっちゃ」


 初楽ちゃんは大笑いして天業の腕を肘で突いた。天業はまた冷めた表情をして、「そうですかね」と呟く。この二人、幼少期からずっと一緒に過ごしているわりには、会話のキャッチボールが出来ていないのだった。初楽ちゃんが投げる剛速球を、天業はミットもなく身体で受け止め、吹き飛ばされているかのようだった。


 初楽ちゃんはひとしきり笑ったあとで、「あ」と何か思い出したような顔をした。

「そういやさぁ、昔、天業プールでいなくなったことあったよね。あれ、何才のときだっけ」

「え? そうなの?」

 それは私の知らない情報だった。

 天業に目をやると、「あぁ、ありましたね」と、ほうじ茶の入った湯飲み茶わんを傾けながら、あっさりと頷いてみせた。


「たしかぁ、みんなで観光ホテルに旅行に行ったときだよね。天業、プールでいなくなっちゃったの。ね、ね、おにいちゃん?」

 初楽ちゃんが兄・長舟の足を蹴りながら同意を求める。カメの如くコタツにすっぽり入ってゲームをしていた長舟は、

「んー? んー……」

 だるそうに記憶を掘り起こそうとしている。

 居間でうつ伏せに寝そべりながらTVゲームをするのは、お金がない日の長舟の定番スタイルだ。長舟の元気は、財布の中身に比例する。だるそうなのはつまり、そういうことだ。


「んだ。あったなぁ。俺たちで天業探しても、どこにもいねくてさぁ。親父にごしゃがれるわ、大変だった」

 兄の援護射撃をもらった初楽ちゃんが、こたつのなかで足をバタバタさせながら言う。

「そうそう! んで、ホテルの人に天業見たか聞こうと思って、しばらく探したっけ、見つかったんだよねー」

「……あぁあ、そんなことあったねぇ」

 私もようやく思い出すことが出来た。


 あれは、私と長舟が十才、初楽ちゃんが六才、天業が五才のとき。

長舟の父、貞宗さんに連れられ、柳原一家と居候たちは東北のとある観光ホテルに宿泊した。


 当時はまだバブルの真っただ中にあり、観光ホテルはかつてないほど賑わいを見せていた時代だ。どこのホテルにいっても大型プールがあり、温泉やゲームセンターは充実していた。大人たちも子供たちも、休暇に訪れたホテルを満喫しようとしていた。大人にとっても子供にとっても、楽園のような環境だった。


 当時小学生の長舟と初楽ちゃんも、ホテルに到着するなり、荷物を置いてプールへ出かける算段を整えていた。

「初! このホテルのプール、スライダーあるんだってよ!」

「スライダー!? やりたーい!」

 目的地を決めるやいなや、兄妹は水着に着替えてすっ飛んでいった。

当時の柳原兄妹といったら元気と体力が限界突破していて、まるでロケットブースターが背中についているような有様だった。

 子供たちの爆走を止めきれないと悟りきっている貞宗おじさんは、長舟の背中に大声をかけた。

「コラァ長舟ぇ! ちゃんと初の面倒みろよぉ!」

「わかってるー! いくぞ、初!」

「うん!」

 兄妹はホテルの廊下を元気よく走っていく。

 柳原家の父、貞宗おじさんは苦笑いしつつ、唖然とする私に声をかけた。


「まぁず、おとなしくしてるってことねぇのな。……曜くんはどうする?」

「ぼくは……お茶を飲んでから行きます」

「んだな、ゆっくりすればいいさ」

 長舟にそっくりな笑顔を向ける貞宗おじさんに、私は笑みを返した。

他所の家から居候を預かってくれる柳原家の家長は、寛容で、私にとっての大恩人でもある。


 私はおじさんのために細々と役立てるのが嬉しかった。

 貞宗おじさんのお茶を淹れて、家から持ってきたリュックからお菓子を広げた。おじさんと長舟が食べるスルメと、初っちゃんのチョコとポテチ、天業用のジュースを取り出したとき、私は気づいた。


「……あれ? 天業がいない」

 貞宗おじさんもいっしょになって首を巡らせたが、やはり天業の鳥の巣頭がない。おじさんがぼんやり呟いた。

「いねぇな。長舟さくっついていったのか?」

「たぶん……」

 とは言ったものの、私もおじさんも、特に心配しなかった。柳原兄妹のいるところ、天業あり。普段、地蔵のように動かない天業が行方をくらますときは、長舟か初楽ちゃんの側にいると決まっていたのだ。


 私はすっ飛んでいった三人を案じながらも、長旅の疲れを癒すべく、お茶菓子を広げたのだった……。



「で、お兄ちゃんとあたしと天業でプールいって……そのあとだよね? 天業がいなくなったの。アンタ、あんときどこさいたの?」

「あのとき……」

 思い出すように天井を見つめた天業は、やはり淡々と語りだした。



 そのあとの三人の話を聞くに――。

 プールにたどり着くやいなや、柳原兄妹は、一目散にウォータースライダーに向かっていった。スライダーはプール中を駆け巡るような凶悪な奴で、怖いもの知らずの柳原兄妹は嬌声をあげながら走っていった。


 その背を天業は追いかけようとしたが、スライダーへの階段を上る前に、係員に止められてしまったのだという。

「ぼうやは、身長足りないから駄目だよ」

「?」

「ぼうやは、スライダーには乗れないんだ。ここで待っててね」


 係員に止められまごついている間に、天業は柳原兄妹とはぐれてしまった。

 天業は柳原兄妹の背中を視線だけで追いかけたが、二人は天業に気づくことなく、階段を駆け上がっていった。


 五才の子供は、かくして大きなプールで一人きりになった。

 天業は浮輪をしたまま、その場にぽつんと立ちすくんでいたが、やがて柳原兄妹を探すべくプールサイドをてくてく歩きだした。

 

 観光ホテルの屋内プールは、サッカースタジアムぐらいの広さがあった。

 プールのなかは大勢の家族連れで賑わい、むっとするような熱気が漂っている。人の熱気と塩素の匂いが交わって、プールは独特の雰囲気を醸し出していた。

 大人用、子供用、流れるもの、水槽のように深さのあるもの―――と、大小あちこちに点在するプール。トロピカルジュースやアイスを売る売店。カラフルなビーチベッドに横たわりくつろいでいる見知らぬ大人たち。

 ウォータースライダーは配管のように蛇行して、下から見てもどこにたどり着くかさっぱりわからない。


 五才の子供にとっては、心細くなる要素ばかりだったと思う。

 それでも天豪は泣き騒ぐような子供ではなかったから、ひとりで長舟と初楽ちゃんを探し続けたそうだ。


 プールを彷徨い歩いた天業は、やがてプールサイドの突き当りに差しかかった。

 そこに、人ひとりが通れるほどの、すりガラスの扉があることに気づいた。


 分厚いガラス戸は、旅館などにある露天風呂へ繋がる扉によく似ていた。厚くて重くて、開くのにやけに難儀するようなやつだ。

 しかし、今にして思えば不自然でした、と天業は述懐する。

 たいていの屋外プールは一階に作られているものだ。だが、柳原兄弟と来た屋内プールはホテル内の三階にあり、そこから屋外エリアに繋がっているとは考えにくい。したがって、外に繋がる扉があるはずもなかった。


 しかし、当時の天業にそんなことはわからず、目の前にあったその扉を開けたという。


 扉の向こうは、吹き抜けのエリアとなっていた。

 ヤシの木と南国の花が咲く、亜熱帯のような景色。足元は学校のプールによく似た打ちっぱなしのコンクリート。少し視線を傾けると、陽光とおぼしき光の影が見えた。

 ただし、その光ははっきりと見えなかった。外に出たはずなのに、室内と同じく蒸気がもくもくと立ち込めているせいだ。そこにあるはずの太陽は蒸気に隠され、光輪だけが鈍色に光って見えた。

 天業は、どうして外なのにもくもくしてるんだろう、と幼心に奇妙に思ったという。


 天業がきょろきょろと周囲を見回していると、蒸気の奥から、一人の老爺がやってきた。


「ぼく、どうしたのかな?」

 いま思い返すとひどく奇妙な老人でした、と現在の天業は語る。


 老人は、腰が曲がっているせいか妙に背丈が低く、足や腕は枯れ枝のように細かった。

 頭髪から眉毛、髭まで、全身に一切の体毛がない。肌は皴だらけなのにつるつるとして、真っ黒で、蒸気のせいか緑色の光沢があるように見えたという。よれよれになった薄い白のTシャツからは、地肌が透けて見えており、やはり濃い緑に見えた。

 老人の額のきわから頭頂部までは、親指ほどの長さもなく、正面から見ると、顔だけ突き出しているように見える。


 その不思議な老人は、天業を見下ろして、ニコニコと言った。

「ぼく、おにいちゃんたちと、はぐれたのかな?」

「うん」

 天豪は頷いた。すると老人はくるりと踵を返して、振り向きぎわに言った。


「あっちに、おにいちゃんたちがいたよ。おいで」

 まるで天業や柳原兄妹のことを知っていたような口ぶりだったが、当時の天業は疑うことなく老人についていった。


 老人に案内されるまま、天業は屋外プールを歩きだした。

 しかし、歩いていくにつれ、違和感はどんどん増していったという。


 屋外プール――と仮定したそこ――は、首元まで浸かれそうな深さといい、青々とした底といい、天業が幼稚園で見知っていたプールに、確かによく似ていた。


 しかし、サイズが妙に狭く、まるでお風呂の浴槽を掘って埋めたようなサイズなのだ。泳ぐには全く適していない。

 それが屋外のあちこちに落とし穴のようにあって、プールサイドの面積のほうが少ないほどだった。まるで、魚の養殖場のようだった。


 さらに老人に奥に導く。天業はその背についていく。

 二人の進路を形作る垣根のように、色とりどりの花が並んで咲いていた。大きくて鮮やか色の花弁は、南国のハイビスカスによく似ていた。赤、青、黄色、緑――。


 みどり。

 テレビでも絵本でも見たことのない、緑色の花に天業が気を取られて立ち止まると、老人がまた声をかけてきた。


「こっちだよ、ぼうや」

 老人がどんどん、蒸気のなかを進んでいく。天業はその背中を再び追いかけた。

 プールに咲くたくさんの花、風もないのに揺れ動く青の葉っぱ。屋外なのにもくもくとした蒸気は、道を進むにつれどんどん濃くなっていく。


「ぼうや、こっちだ。ふふふ、こっちだ」

 楽しそうに笑う老人の背がうっすらと見える。濃い霧の向こうに陽炎のように浮かぶ老人の背。黒緑色の背。


 そのとき、天業は決断した。


「ぼく、いかない」

 天豪は足をぴたりと止めると、すぐに回れ右をして、屋内プールへと駆けだした。

 その背中に、老人の声がかかった。


「ふふふ、どうしたどうした。おいで、ぼうや」

 構わず、天業はぺたぺたとコンクリの床を走った。

 老人の声には、聞く耳をもたないことにしたんです、と現在の天業は語る。だって、老人から遠ざかっているはずなのに、どんどん声だけが近くなっていたから。

 

 やがて、屋内プールの扉が見えてきた。天業は分厚いガラス扉に手をかけ、開けた。


 大勢の人の熱気。ウォータースライダーから聞こえる悲鳴交じりの嬌声。大人たちがくつろくベッド。

 懐かしい屋内プールは、すぐそこにあった。


「あっ! 天業!」

「探したぞ。どこさ行ってたのや?」

 聞き慣れた声がして、天業は声の方向を探した。

 柳原兄妹が、子供用プールから揃ってやってくるところだった。


 天業は二人に走り寄ると、言葉もなく長舟に抱きついた。

「ああーっ天豪がおにいちゃんに甘えてる! こらっ」

 初楽ちゃんに足をひっぱられたが、天業は長舟にセミのように抱きつき、プールから出るまで離れなかったという。


 ぼくなりに、怖かったんですかね、と他人事のように現在の天業は話を結んだ。


 その話を聞き終えた柳原家は、にわかに大騒ぎになった。

「天業が!? いかないって言ったの!?」「うそでしょ!? あの『うん』しか言わない天業が!? 自己主張したの!?」

 私と初楽ちゃんが顔を見合わせてぎゃあぎゃあと騒ぐ。長舟が、「あぁ、うるさいうるさい」と顔をしかめながらコタツのなかからのっそりと振り向いて、

「お前、喋れたんだな」

「いま喋ってるでしょ」

 天業は呆れたようにため息をつく。

 

「そんなことがあったんだぁ。初耳だよ」

 私はあらためて感想を言うと、天業はリンゴの皮をむきながら淡々と言った。

「まぁ、言うほどのことじゃないですから」

「言うべきことでしょ……。で、そのあとはなんともなかった?」

「はい。いつだったか、お屋形様にそのことを話したら……『ついていっても、悪いようにはならなかったかもな』、って」

「どういうこと?」

 初楽ちゃんが眉を跳ね上げる。天業はまたも淡々と答えた。


「ああいうテーマパークには、子ども好きのモノがよく紛れ込んでいるんですって。運動会とか、学校とか。ボクはからかわれただけじゃないか、と」

「まぁ、天業は可愛かったからねぇ。子供のころは」

 私が言うと、

「どういう意味ですか」

 憮然と答えながらも、天業は何事もなかったかのようにリンゴを剥き終え、四等分した。


「曜さん初楽さん、どうぞ。長舟さん、コタツの上にリンゴ置いておきますよ」

 ぼくたち三人はそれぞれ感謝を口にして、末弟の剥いてくれたリンゴを堪能した。



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