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ハカナキ  作者: 梅屋凹州
外譚

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不来方曜の話すこと・1 警告

  東北・奥州一ノ宮、塩ヶ浦神社のお膝元である港町、塩ヶ浦。

 古くからこの町には、東北各地より参拝客が訪ねてきた。

 昔の時代のこと、遠くからやってきた客たちは、詣でてすぐ帰途に着くことはなく、物見遊山がてら塩ヶ浦で足を休めることが多かった。

 そんな人々のために、地元の住民は様々な商いを始め、客人をもてなした。宿、茶屋、女郎宿、呉服屋、湯屋、芝居小屋、易者……。

 “拝み屋”も、その一つだ。

 “拝む”という字面から、拝み屋の生業を“祈祷”とイメージする人は多い。だが、その仕事の範囲は実に多岐にわたり、私の懇意にしている拝み屋のもとに訪れる客たちは、およそ六割が人生相談にやってくるという。

 自分の身の回りで起こった、常識では解明できない様々な事態、目に見えぬ不可思議な因縁、その正体を知るべく、彼らは拝み屋のもとを訪うのだ。

 古くより続いたこの商いは、時代を越えてなお形を変え、平成の町に残っている。


--------------------


 まず、私について簡潔に説明しよう。


 私は不来方曜という。縁あって塩ヶ浦の柳原家に厄介になり、もう十年以上が経つ。

 親元を離れ、塩ヶ浦で暮らすようになったのは、ある特別の事情が絡んでいるのだが、個人的事情ゆえ詳しく語るつもりはない。


 ただ一ついえるのは、その忌まわしいとさえ言える事情が、私の人生に暗い影を落としているという点だ。


 いや、影という言葉は適切とはいえないだろう。

 “それ”はあたかも死骸にたかる蟲の如く、あるいは死臭を嗅ぎ付けたハイエナの如く、私の周りを常にまとわりつき離れない。

 油断すれば“それ”は私に急接近し、心身に悪影響を及ぼす。


 塩ヶ浦にやってきたのは、“それ”――名づけるなら、“忌み気配”から少しでも逃れるためだ。

 父が懇意にしてきた、塩ヶ浦にいる拝み屋とその従者たちは、“忌み気配”に対抗する術を知っているという。


 拝み屋の従者のうちの一人が、私にこう助言したことがある。

「……不来方クンはさぁ……見るモノ、読むモノ、食べるモノ行く場所……ふう……ぜんぶ気をつけなきゃダメだよ……。油断すると……“あいつら”はすぐ狙ってくるから……」

 ひどく抽象的なその言葉は、私の胸に警告として深く刻まれている。


 実際に、こんなことがあった。

 私が小学生のときのことだ。


 日曜日の午後、蚊取り線香の匂いが満ちた茶の間で、私は五つ下の天業と柳原家の留守番をしていた。


 私より先に、柳原家の居候となっていた天業は、昔から手がかからない子供だった。遊び相手の初楽ちゃんがいないと、ひとりTVの前に座ったり、縁側に座って空を見上げていたりして、一日を過ごしている。

 はしゃいで笑うことも、かんしゃくを起こして泣きだすこともなく、ぼんやりとした顔でいつもどこかを見つめている幼児のことを、私はずいぶん心配したものだが、「生まれつきぼーっとした奴だから、気にすんな」と長舟に諭され、しぶしぶ自分を納得させた。

 とはいえ、私はやはり天業が心配で、御目付役のように常に視界の隅っこに入れるようにしている。


 当時五歳の天業はその日も、茶の間のテレビのダイヤルをぐりぐりと回し、通販番組に目星をつけると、食い入るような視線で画面を見上げていた。いかにも熱心に見ているようだが、実は番組の内容などどうでもよく、画面のなかで人が動いていることに関心があるのだと、私は観察の結果、結論づけた。現に、番組が変わっても、天業はチャンネルを変えることなくCMをじっと見つめているだけだった。


 私は、そんな天業に時折視線を送りながら、理科の宿題に励んでいた。


 午後二時を回った頃だ。

 長いCMのあと、番組が代わり、「緊急報道! あなたの周りの未解決事件!」というテレビ番組が始まった。


 それは、日本全国で起こった未解決事件を取りあげたもので、殺人事件や、行方不明事件を紹介し、視聴者に情報提供を求める、という内容だった。


 冒頭に紹介された事件は、有名な女子大生惨殺事件だった。ひとりの女子大生がバイト帰りに突如失踪し、数日後、山のなかで遺体となって見つかった。ロープで拘束され、全身をナイフで切り刻まれ、何者かが拉致し犯行に及んだことが明らかになったが、まだ犯人は見つかっていないという。

 番組では、事件のその後を解説し、まだ犯人が捕まっていないこと、手がかりすら見つかっていないことが紹介された。リポーターとコメンテーターが真剣な顔つきで、遺族の無念を伝えると共に、犯人に繋がる手がかりを求むと局の電話番号などを紹介していた。


 勉強をしながらそれを聞いていた私は、嫌な事件だな、と心底思った。

被害者の女性はどれほど怖かっただろう。山のなかで、たった一人で、じわじわと嬲り殺された。本当に事件の目撃者はいないのだろうか。警察はどうして手がかりを得られないのだろうか……。

 私が自分の心のなかに暗澹たる闇が広がっていくのを感じた、そのときだ。


 ――ふいに、ぺた、と足音が聞こえた。


 私は、鉛筆を走らせる手を止めた。

 家のなかには天業と私しかいない。天業は、微動だにせずテレビに夢中になっている。

 他の誰かの足音が、聞こえるはずもなかった。

 

 たすけて、と囁くような声が聞こえた。

 紛れもない、見知らぬ女の声だった。


 私は聞こえないふりをして、宿題を進めた。理科のプリントに描かれる、光合成、太陽、水のイラストに、ひたすら集中した。

「たすけて」

 今度ははっきりと、女の声が聞こえた。


 私はひたすら無視した。

 私の視界の端には、コップがある。宿題を始める前に用意した、私と天業、二人ぶんの麦茶のコップだ。麦茶で満たされたコップの外側が、汗をかいて、つう、と滴り落ちた。

 私は全く同じタイミングで、冷や汗を垂らしていた。

 不快だったが、拭い去ることはできない。


 少しでも反応を見せたら、“それ”は明確な姿を見せ、私に迫ってくると直感していた。


「ねぇ、たすけて」


 また、声が聞こえた。 私は強く念じた。

 ――来るな。


 ――……不来方クンはさぁ……見るモノ、読むモノ、食べるモノ行く場所……ふう……ぜんぶ気をつけなきゃダメだよ……。

 ――油断すると……“あいつら”はすぐ狙ってくるから……。


 いつか聞いた警告が、私の脳裏によみがえっていた。

 私は確信していた。“それ”は、私が呼び寄せたのだと。


 “それ”が人の心を読むという芸当まで為せるのか、果たしてわからない。ただ、私が無言のうちに発する負の感情が呼び水となり、“それ”らを呼び寄せてしまうこともあると、拝み屋から事前に教えられていた。


 そすて、と拝み屋は私にこうも言った。一度発せられた呼び水を制御するのは、とても難しいと。

 

 私は、自分の油断を悔いた。

 塩ヶ浦に来て数年、自分の病の原因とも一つの形で決着がつき、全てが終わったと思っていた。拝み屋に「簡単には治らない」と警告されていたのを、私は安寧の暮らしのなかで忘れていたのだ。


 自分の甘ったれた根性を苦く思いながら、私はひたすらに念じた。

 ――気のせいだ。来るな、来るな。


「ん?」

 そのとき、天業が声をあげた。私もつられて天業のほうを見る。

 天業は、あれほど夢中になっていたTVから視線を上げ、襖の向こうに目をやっている。

 “あの”声が聞こえてきた、襖の向こうに。


 ――天業!


 私は声にならない悲鳴を挙げた。

 

 私は戦慄した。ここにいるのは私だけではない。幼いながらも佩鬼の血を継いだ天業も、おそらく“それ”に敏感なのだ。

 ――天業はもう、“それ”に気づいている。


「天業……!」


 私はやっとの思いで、天業の名前を呼んだ。

 天業は襖から目を離し、きょとんとした顔で私を見つめた。襖と、私とを見比べた天業は、迷わず私の元へとことことやってきた。


 私は腕を伸ばし、ここにおいでとアピールする。少しだけ口元をほころばせた天業は、私のもとへやってくる。そのふわふわとしたくせっ毛の頭を私はぎゅっと抱き寄せた。


 突然のことに天業は「んー」と少しジタバタする様子を見せたが、すぐに観念したのか、赤ん坊のようにおとなしく私の腕のなかに収まった。私は、天業がおとなしい子供であることにこの時とても感謝していた。少しでも暴れられたり、泣きだしたりしたら、私はパニックになっていただろう。


 そのタイミングを待っていたように、襖が、どん、どん、と外側から叩かれた。

 女の声が囁く。


 ――あけて、あけて。


 襖を叩き、救けを求める女の主張は、なおも続く。

 私は、決意を固めた。天業は守れた。でも、それだけでは事態は解決しない。

 私は目を閉じ、小声で念じる。


「関係ない。関係ない。ぼくには何もできません。関係ない、ここには来ないで……」


 こういうとき、ぼくが出来ることは、拒絶なのだと、拝み屋に教えてもらっていた。

 “それ”に優しさを見せてはいけない。ほだされてはいけない。強く拒絶していれば、そのうち“それ”は諦めて消え去ると。

 だが―――。


 ――あけて、ねぇ、あけて。


 駄目だ、と私は顔を歪めた。

 私の周囲に“忌み気配”が渦巻いていた。それはもはや気配という生易しいものではなく、黒い圧力となって私と天業を囲っていた。


 喉に詰まったような息苦しさを覚える。

 抵抗する私と、押し寄せ渦巻く“それ”の意志の力は、まるで綱引きのように押し引きを繰り返していた。ジリジリと焦がされるような恐怖と焦燥感のなか、抱きしめた天業の体温だけが、私にほのかな勇気をくれていた。

 永遠とも思える駆け引きが繰り返されるなか――いつまで続くのだろうか、と私がくじけかけた、そのとき、


「――うちさ来るんじゃねぇ!!! 帰れ!!!!!」


 家全体を揺らすような怒号が、茶の間に轟いた。


 その声にびっくりして跳ねた天業の頭が私の顎を打つ。「あぐっ」と私が悶絶した直後、襖が叩きつけるような音を立てて勢いよく開かれた。


 茶の間に現れたのは、柳原家の長男であり私の友人、長舟だった。


 長舟は肩を怒らせて、茶の間に大股で踏み込んでくると、手にしていた瓶にやおら手を突っ込み、塩を撒きだした。


「けったくそ悪ぃ!!! 俺の家族に近寄んじゃねぇボケ!!!!!」

 長舟は怒り散らしながら、節分の豆まきのように塩を撒いた。ざっ、ざっ、と歯切れのよい音を立てて振られた塩が、茶の間中にまき散らされる。

 私も天業もテレビも宿題も、あっという間に塩まみれになった。


 瓶を空っぽにするまで塩を撒いた長舟は、怒りに紅潮した顔のまま、私を見下ろした。


「大丈夫か! 曜!」

「う、うん……」


 私が戸惑いながらも返事をすると、長舟はようやく落ち着いたらしい。ふーっと息を大きく吐き、私の頭や肩から塩を払うと、ようやく表情をほぐした。次に天業を見下ろし、


「あーあ、天業、ゆきんこみたいになってら。ははは。こりゃ風呂だな」

 と、先ほどの怒りを完全に収め、子供らしい笑顔を浮かべて、真っ白になった天業を抱き上げて風呂場に走っていった。


 私は、周囲を見回す。

 あの“気配”は、いつの間にか、完全になくなっていた。

 あんなに恐ろしく思えた“気配”は、長舟の一喝で消えてしまった。


「……」

 私は、塩まみれになった茶の間に所在なく、立ち尽くす。


 ――“あれ”はまるで、夢だったのではないか。


 そんな気さえ覚えた頃、長舟と天業が風呂から戻ってきた。

 私は、長舟に謝罪する。


「……長舟……。ごめんね」

「あ? あぁ」

 タオルで髪をくしゃくしゃと乾かしながら、長舟は言った。


「ああいうのはよぉ、怒鳴ればいいんだぞ。お前、優しいから、あっちから寄ってくるんだよ」

「うん……。気をつける」

 私はうなだれた。拍子に、頭から塩がパラパラと落ちた。

 長舟がそこでまた、にかっと笑う。


「ははは。盛大にやっちまったなぁー。おっ父にごしゃがれる。どうすっぺ」

「……ぼくが事情を話すよ」

「そうだな。一緒に怒られっか!」

「……うん!」

 私はぶんぶんと頭を振り払った。塩がぱらぱらと宙に舞い落ちていく。


「ひどいなぁ。やりすぎだよ、長舟」

「へへへ。ごめん」

 長舟は悪びれなく手を合わせた。私は思わず笑ってしまった。長舟の笑顔は、私の心を溶かす。


「さ! 曜、まず風呂さ入ってこい。天業、俺たちは掃除すっぺな」

「うん」

 長舟は天業に箒を持たせた。長舟が畳を掃きはじめると、天業も見よう見まねで掃き始める。だが、天業の身長では身の丈以上の箒をうまく扱えるはずもなく、よたよたとふらつく。天業の背中を二人同時に支えた。


 私は思わず「わ」と手を離したが、長舟は「へへ」とうれしそうに笑っている。

 私も、その屈託のない笑顔につられて、また笑みを浮かべた……。


 なつかしい、と私は当時を振り返って思った。

 振り返ると、あの恐ろしかったはずの体験なのに、長舟によって懐かしく甘い記憶へ塗り替えられていると悟った。


 私はどうやら、どう足掻いても長舟から離れられそうにないらしい。

たとえ長舟が、私のもとを離れる日があったとしても。


「――……」


 今、これをしたためている私の後ろからも、気配がする。


「来るな。帰れ」

 と私は冷たく突き放す。気配はほどなくして消えた。


 もう、あの“忌み気配”との付き合いもずいぶん長い。“やつら”はやはり、油断するとやってくるので、全く気が抜けないでいる。

 考えることには、気をつけなくてはいけない。

 自分にとって嫌なことは、考えてはならないのだ。


「いけないいけない」

 みなさんも、気を付けたほうがいい。


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