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ハカナキ  作者: 梅屋凹州
四話「<かくし>」
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9.紡希

「……委員長?」


 声が聞こえた。

 間違いない。迫間歴の声だ。委員長の声だ。


 ほぼ同時に、目の前の押入れの戸がガタガタと揺れて、紡希はびくついた。


 ――つむぎ、開けて。


 歴の声は、すぐ目の前から聞こえていた。


「……委員長……?」


 紡希は、察した。

 襖の向こうに、歴がいる。


 紡希は押入れに挿したつっかえ棒に手を伸ばしかけて――思いとどまった。


 冷静に、考える。

 歴が、〈かくし〉にいる訳がない。それに、さっきの曜の声は、偽物だった。またあの化け物が、歴の声を真似ている可能性が高い。


 もし――もし、偽物だとしたら、紡希は、歴の声を真似た化け物に、あっという間に食い殺されるだろう。

 あの化け物の飢えた目。爛々と輝く瞳は、紡希を餌食と思っている目だ。一切の対抗手段がない紡希は、襖を開けた瞬間、食い殺されてしまうだろう。


 ――けれど。

 紡希は、万が一の可能性に、喉を鳴らした。


 もし、本物の歴だったら?

 曜は、「周りの人を信じてあげてほしい」と言っていた。その言葉どおり、歴が掛け値なしのおひとよしで、紡希を助けに来たのとしたら?

 こんな危険で得体の知れない空間を、身の危険を顧みずに。


 もし、歴が本物だったら、本物の歴だったのなら。

 ――紡希は、助かる?


「――紡希は……」

 紡希は、己の心に、はじめて問いかけた。


「――……紡希は、それでいいの……? ……生きたい……の?」


 小綿紡希は、初めて自分の矛盾に、気づきはじめていた。


 生きるのが辛いとこぼしているクセに。いざ死を目前にして、自分の心は怯えている。

 本心では、助かりたいと思っている。帰りたいと思っている。

 なぜ、だろう。


「……つむ、ぎは……」

 本当は、どうしたいのだろう。

 紡希の自分の掌に目を落とし、じっと見つめた。

 小さな手のひらは、無論、なんの答えも返してこない。


「曜さん、お母さん、紡希は……」


 ――生きたい、助けてほしいと、自分自身で強く願うんだ。


 脳裏に蘇ってきたのは、大事な母ではなく、曜の言葉だった。


 ――紡希は、唇をかみしめた。

 そして、心のなかの母に謝罪する。


 いま、心がまとまらなくても、答えが見つからなくても。

 紡希の手は、目の前の戸を開けたがっている。そう、自分自身で悟ったから。


「……おかあさん……ごめんなさい……」

 心からの懺悔を口にした紡希は、やがて、顔を上げた。


 襖を真っすぐに見据え、押入れの向こうへ、おずおずと声をかける。

「委員長……。委員長、そこにいるの……?」


 だが、歴からの返事はない。紡希の声は、聞こえていない様子だった。曜の言っていた、〈かくし〉の性質なのだろうか。


 襖の向こうにいる歴と、意志の疎通が取れない。ここから、歴の姿を確かめる術は、ない。


 ならば――。

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「――ふぅ、ふ――っ……」

 それはあまりにも、危険な賭けだった。


 紡希は、乱れた心拍数と呼吸を、正そうと試みた。たくさん深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 そして、曜の言葉を、思い出す。


 ――他の人も、同じように信じてみてほしい。

 ――手を伸ばしてごらん。そうしたら……きっと、世界が変わる。


「委員長」


 賭け、じゃない。

 これは、選択だ。


 歴を信じるか、信じないか。死を選ぶか、生を選ぶか。

 紡希の、運命の選択だ。


「……委員長。紡希は」

 大きく喉を鳴らして、紡希は押入れの扉を、真っすぐに見すえた。


 その向こうにいるであろう、分厚い眼鏡に広いおでこの、迫間歴の面影を想像する。

 紡希が信じたい、少年の心を。意志を。心に写す。


「――信じる。……紡希は、信じるから、ね。……委員長……」

 紡希は、戸を抑えていたつっかえ棒に手を伸ばし――取り外した。


 そして、押入れの戸を、引いた。

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