76話
声が響く。立ち向かわんと挑む咆哮、皆を鼓舞する激励。誰もが勝利を得るために勇敢に臨む。
「すごい…!」
初めて直に見る兵士の戦いに康一は感激していた。他者に指示を出すなどやった事がない康一。その役割は分隊長が担っている。
それでも一際士気が高いのは勇者が共にいるという事実が大きい。
如何に相手が強敵でもこれならば渡り合えると兵士達が奮い立つには充分な理由だった。
「僕もやらなきゃ……っ!」
ただそこに居るだけの置物の勇者でいる訳にはいかないと剣を構え走る康一。
神の加護によるステータスの補正はもとより、魔族を倒して着実にレベルが上がったことによって底上げされたステータスを伴って先に駆けていた兵士達を抜き去り先頭に立つ。
「先陣を切ります!後はよろしくお願いします!」
戦場を見渡す事が不出来であるのは自覚している。そんな自分に出来るのは先頭で戦うことだと康一はガーゴイルへと斬りかかる。
「『エンチャント』!!はああああっ!!」
剣に炎を纏わせガーゴイルを切り伏せんと一線を振るう。
ガーゴイルは腕を盾にし剣を受け止めようとする。目の前の小さな人間の膂力など大したことは無いだろうと慢心と己が肉体の自信を持って対峙した。
「くっ―――!」
放った一撃は腕に食い込むが断ち切るまでには至らなかった。
予想以上の力に驚きはしたものの所詮その程度と笑うガーゴイル。対する康一は一度大きく息を吸い込むと体に力を入れる。
「力が足りないなら更に振り絞ればいいっ!!」
最適で届かないのであれば追加するまで。魔力を更に流し込み、消えかかった炎は激しさを取り戻していく。
驚くガーゴイルだが腕で受け止めているためにどうすることも出来ない。
康一が剣を振り抜き炎の一閃が煌めくとガーゴイルの腕が宙を舞った。
「ゲェ――ッッ!?」
腕を切り飛ばされ後ろに下がったガーゴイル。勿論その隙を逃すまいと康一は追撃の一歩を踏み出そうとするが。
「離れてください!火を吐くつもりですッ!!」
背後から聞こえた兵士の言葉でガーゴイルの口元を見ると苦痛で閉じていたと思われる口端からボッと揺れる炎が見えた。
即座に追撃は中止して回避へと移る。その間にもガーゴイルは生成した炎を放たんと口を開く。
「間にぃっ合っ、たあぁ!!」
間一髪。飛び退いた場所を炎が通り衣服の一部が焦げるが肌までは達していない。直ぐ様体勢を立て直し今度こそと駆け出す。
ガーゴイルは炎を吐いた直後の硬直により動けないでいた。だがただではやられないと残った腕で防ぐ構えを取ろうとしていた。
それを確認した康一は腕を切った時と同じ様に力で押しきる選択を取る。走る速度は落とさず剣にエンチャントを施し炎を纏わせる。
距離が僅かとなった時、剣を構え引き絞る。大股で一歩踏み込むとぐぐっと力を溜める。引き絞った弓矢を放つように踏み込んだ足を蹴りだす。
「この一撃でっ、倒すッ!!」
剣を突き出し弾くように飛び込む姿は炎の矢のように一直線にガーゴイルへと向かっていく。
先の攻撃では一撃で断ち切れなかった強靭な肉体をこの一撃は刺し貫いていく。
「おおおおッ!!」
心臓を貫いた剣を水平に振り抜く。切られたガーゴイルは噴き出すはずの鮮血を蒸発させながら崩れ落ちていった。
「―――よしっ」
仕留めた。確かな手応えを感じた康一は、ガーゴイルの炎を警告してくれた兵士に礼を言おうと振り向く。
ガーゴイルに集中した気持ちが少し緩み、周りの音が鮮明に聞こえてくる。
「えっ…」
声が響く。命が刈り取られる悲鳴、戦意を削ぐ獣の咆哮。人の命を残らず摘み取らんと暴れるガーゴイル達の姿がそこにはあった。
「―――っ!?」
息を飲む康一の元へとガーゴイルの攻撃を受けた兵士が吹き飛ばされてくる。
荒く掠れた息を聞けば先程自分に危険を伝えてくれた兵士だと分かった。
「大丈夫ですか!?」
急いで駆け寄り体を起こすと手のひらにヌメリとした感触が伝わる。よく見れば兵士は肩口から臍の辺りまで一直線に切られており、真ん中より後の傷はより深く背中まで貫通していた。
初めて触れる他人の生傷にえも知れぬ不快感と恐怖が康一を襲うがソレを何とか呑み込み、万が一の為のポーションを取り出し兵士に飲まそうとする。だがその手を掴み止めるよう兵士は言った。
「それは…いけない。そのポーションは…貴方が負傷した時に使う、物です。自分なんかに使ってはならない…」
息も絶え絶えに訴える兵士に康一はでも、と訴える。
今までも傷ついた人、亡くなった人は見てきた。だがそれは既に事後の状況だった。
今まさに自分の目の前で誰かが傷つき、命を落とす光景を覚悟しなかった訳ではないが、いざ直面すると心がぐらつく。
視線の先では一人また一人とガーゴイルに命を奪われていく光景が映る。
その現実が辛くて目の前に一人は生きて欲しいと自分の心の為に助かってくれと願った。
「申し訳あり…ません。結局、貴方達の力になること……が叶いません。託してばかりの我々ですが――ゴホッ!……ガッ、ア…!」
咳き込む兵士の口から血が溢れる。触れている掌から体温が冷めていくのが伝わってくる。
「どうか、どうか……!ローランド王国に平和を…っ」
すがり付くように康一の腕を掴み懇願する兵士はそう言い切るとそのまま息を引き取った。
「あっ……」
抱える重さがフッと軽くなる。自分を掴んでいた腕はダラリと垂れ下がりピクリとも動かない。
「あ……ああっ…!」
震える体に襲いくる後悔と喪失感。頭では分かっていたのにあまりにも呆気なく訪れた他者の死に思考が回らない。
「――――――」
悲鳴はまだ鳴り止まない。この声が響く限りは生きている者がいる。
――――行かなきゃ。
当初の目的を思いだし、固まる体を無理やりにでも動かす。
――――皆を守らなきゃ。
もう既に亡くなった人も沢山いるけれど、まだ生きている人達がいるから。
――――そのためには、全員倒さなきゃ。
命が危機に晒されるのは脅威があるからそれを排除しない限り安心は無いのだ。
―――倒す…、倒せ…、倒せッ!!
救えなかった無力感と目の前の凄惨な現実に対する憤りが冷えきった心に火を灯す。
ただし点いたのは勇気ある炎ではなく怒りに猛る炎。
「おおおおッッ!!!」
腹の底から沸き上がる熱が叫び声となって響く。身体中の血液が沸騰したように熱い。
ガーゴイルに向かい駆ける康一は自身に魔力を施す。
「『フィジカルエンチャント』ッ!!」
身体能力を向上させる使用者の技量がないと使用できない高位の魔法。
ライアットからの厳しい指導、そして数多くの実践を経て漸くまともに使えるようになった奥の手。
(苦しく感じない)
いつもなら身体に巡らす魔力のせいで痛みや圧迫感を感じていた。
しかし今回はそれらを感じないどころかどんどん力が湧いてくる。
力を使いこなせるというよりも馴染むという感覚。まるで自分の怒りに呼応するように、いやもっといえばこの魔力も怒っているかのような感覚があった。
だが今はどうでもいい、溢れる魔力は身体能力を底上げしていく。その事実があればそれだけでいい。
加速していく勢いそのままにガーゴイルへと切りかかっていく。途中で速さが上がったことにより反応が遅れたガーゴイル、だがそれでも先程と違って剣に魔力が纏っていないのを視認しそれならば受けきれると腕を盾にした。
(――いける)
何故だか分からないが確固たる確信が康一の中にあった。いつもより相手がよく見える、自分がどうすべきかが分かる。身体を巡る魔力が答えを示してくれいかのように。
腰を捻り、体を引き絞り溜めを作る。敵との間合いは剣を思い切り振り抜ける位置で止まる。溜めていた力を解放しガーゴイルへと渾身の一撃を放つ。そして当たった瞬間に柄を押し込む。
今までただがむしゃらにやってきた動きの一つ一つが精練されていく。力任せではなく、力を振り絞る確かな技術が込められた一撃はガーゴイルの体を真っ二つに両断した。
(不思議だ)
心は怒りに染まっているのに思考は驚くほどクリアになっていく。動きの最適解が手に取るように分かる。実際その通りに体を任せるだけで面白いようにガーゴイルを相手取れる。
「グッ…ゲェ……!!」
右からの振り下ろし、これを掻い潜って躱す。避けた先に置かれるように炎を吐く、これも予想通り。炎は確かに強力だが、フィジカルエンチャントで強化された肉体ならばある程度は問題はない。むしろ吐いている間無防備になるのだから絶好のチャンスだ。
「フッ―――!!」
炎に飛び込み剣で切り裂きながら進む。切り払った先には驚愕のまま口を開いているガーゴイル。
(なにを呆けているんだ。沢山の人を殺めておいて自分は絶対的な狩猟者でも思っていたのか……!?)
そう思うと剣を握る手に力が入る。過剰といえる力の入り具合だが止める事は出来ない。ただただ奪う存在を許すまいと気持ちが昂る。
「はあああッ!!」
大きく振りかぶり剣に魔力を込める。
通常、フィジカルエンチャントを行使しているときには、武器に施すエンチャントは行えない。それは単に異なる対象に同時に行使するのがとてつもなく難易度が高いからである。
しかし康一はそれを使えた。これを後に康一は神の加護と考えるが、厳密にはステータスを託してくれた元の人物の影響であることは知るよしもない。
剣は再び炎を纏い、ソレを身体能力も強化された康一が振るう。体を一回転すれば自身を中心に炎の渦が出来る、それを伴ってガーゴイルへと向かっていく。
「―――――!?!?」
ガーゴイルの絶叫すらも呑み込みその身を焼き付く炎の渦が立ち上る。
爆風と共に渦が晴れると足元には焦げたガーゴイルの残骸が。
「………」
康一は無言でそれを踏みつける。未だ周りに残っているガーゴイル達に"次はお前達だ"と誇示するように。
その瞳は鋭く別人のようだった。