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狐輪車【前編】

 ――夢を見た。とても不思議な夢だった。


 幼い頃の私が、真っ暗な場所で、誰かに手を引かれ、どこかへと連れて行かれる夢だった。それを今の私が俯瞰でただ眺めているだけの夢。


 夢の中の私は、とても幼ない。身長からして幼稚園に入ったかどうか、というところ。ただ引かれるがままに、その誰かについて歩を進めていく。


 辺りは真っ暗で、光源なんて無いはずなのに。それでも、その誰かの姿ははっきりと見えている。着物を着た女性のようだった。


 雅な黒い着物を着て。白く透き通った髪の毛。

 家族や知り合いの中で、そんな女性を見たことない。


 それなのに、母親ではないその女性に何の疑いを持たぬまま。

 小さな私はまるで疑いを持たず、黙って付いて歩いていく。


 何も、何もない、真っ黒な世界の中で、たった二人きり。


 夢の中の私は、どこに向かうのかも分からない状態なのだろう。――時たま隣の女性の顔を、様子を窺うようにして見上げている。


 歩きながら見上げ、見上げながら歩いて。


 延々とそれの繰り返し。次第にぼんやりとしていく意識の中、黒い着物に刺繍(ししゅう)された、花の柄だけが印象に残っていた。






「……ん゛ん゛」


 ――ベッドの上、じんわりとした暑さの中、目が覚める。


 冬用の掛け布団からタオルケットに代えたのが、いったい何ヶ月前だっただろうか。それでも、エアコンと扇風機を併用しなければ、茹だってしまうような暑さだった。


 目覚まし時計を見ると午前六時前。今の生活リズムが完全に馴染んでしまったため、目覚ましをセットした時間の少し前には目が覚めるようになっていて。時間にまだ余裕があるからと寝起きのぼんやりとした頭で、先ほどまで見ていた夢で何か覚えていることは無いか記憶を手繰り寄せてみる。


「……誰だったんだろう」


 ……夢の中では、結局どこにも着かないままだった。

 疲れて立ち止まるようなこともない。ただ延々と歩くだけの夢。


 女の人の顔はおろか、その着物にも見覚えが無い。


 ――黒い地色の生地には、花の刺繍があっただろうか。

 橙色の細長い花弁が六枚あり、雄蕊(おしべ)がぴょんと飛びだした花の刺繍が。


 流石に形を見ただけで花の種類が分かるほど、私も造詣(ぞうけい)が深いわけじゃない。せいぜい春の七草、秋の七草を覚えるぐらいが関の山だ。


 決して着物が特徴的だったからというだけではないけれど、雰囲気が普通の人とは違うな、という印象だけはあった。それでも、怖いといった印象は無かった。


 ……夢の中でのことだから、あんまり信用できないけど。






「着物を着た女の人に連れていかれる夢を見た?」

「……はい。なんだか不吉だなって」


 たかか夢の話と割り切ることもできず、事務所につくなり中で寛いでいた先輩に相談してみる。夏場ということで、こたつはしまって扇風機が出されていた。……こんな隅っこの、物置から一つグレードが上がったような部屋には、エアコンなんてものは存在していなかった。


「……予知かね?」

「でも、夢の中の私は小さかったんですよねぇ」


 予知なら成長した姿とか、せめて今の姿で出てくるのでは?

 それに手を引かれているだけとか、いったい何を予知しているのだろう。


「んー、さっぱり分からん! あ、ちょっと待っとって。今から朝飯にするけぇ」

「またカップ麺ばかり食べて……」


『着物……着物ねぇ』と呟きながら先輩は、夏にもかかわらず、熱々のお湯をカップに注いでいく。……こんな日ぐらい、コンビニでもスーパーでも行って、ざる蕎麦でも買えばいいのに。


 そんなこんなで乾燥麺が茹で上がるまでの三分。短いようで長い時間を待つ間に、市役所内で噂になっていたことを話題に出してみる。


「……で、この間話してたことなんですけど――」

「嫌な予感がするってやつかね?」


 嫌な予感、というよりも実際に嫌な状態に陥っていると思う。


「だって……ここ最近、災害とか、異常気象とか、多くないですか? それに伴って事故や事件だって……」

「今月だけの数字を見たって、何か分かるわけでもないじゃろ。」


 この季節になると、外出率も増え、それに伴い事故なども増えてくる。冬場に比べれば火事という話は殆ど聞くことはないし。水害もまだ本格化はしていない。でも――


「ぜったい、なにか妖怪と関係がありますって! なんだか、へんな“おまじない”が流行ってるって、ネットでも密かに話題に出てますし」

「はぁ、ネット」


 魔除けだというけども、とってもシンプルなもので。十字路の角四つに丸い石を置くだけのものだった。……お店の軒先に塩を盛っておくのと似たようなものなんだろうか。そんな子供でもできるようなおまじないが、なぜか今、市内の各所で流行っているらしいのだ。


「そんなもので厄が防げりゃ苦労はせんけどねぇ」

「やっぱり効果がないんですか……」


 そんな簡単なことで効果が出るのなら、昔から伝わってきていただろうし、大方どこかの子供がいたずら半分に広めているのだろう、というのが先輩の考えだった。


 不幸続きの今の状態のおかげで、こういったものが広まってしまう。蔓延(まんえん)してしまう。蔓延(はびこ)ってしまう。ものの真偽を確かめることなく、繁殖・増殖させてしまうからネットは好かないと先輩は言う。


「……本当に何もしてないんですか?」

「なんでも妖怪のせいだと疑うのは良くない。なんにもして無いのに疑われるのは、自分だって気分が悪いじゃろ?」


 “妖怪”が動くときに、そこに善悪の意識はない。ただのシステムだと思えばいい。『怪し課』はそこれ起きたバグを取り除き、正常にするためにあるのだと。


 ……初めて自分の所属している課の存在理由を聞いた気がする。






  ――そんな話をした矢先だった。やはり、これが予知というやつなのだろうか。それとも“言霊”というものが本当にあって、私が口にしたから起きたことなのだろうか。


「……先輩、あれ――」


 ……道端に、家の前につける形で、白いワゴン車が一台止まっていた。『訪問診療』と車体の横に文字がプリントされており、下にはクリニックの名前も出ている。


 ヨネさんという、高齢のおばあちゃんが娘家族と住んでいる家だった。


 最近は寝たきりになって、残された時間もそうないと言われていたのは私も記憶に新しい。その車以外は何一つ変りの無い、いつも通りの平穏を保っている街並みに、どこか不安を覚えた。


 ……先輩ならともかく、私じゃまだ見えないのかもしれない。もしかしたら本当に、本当に先輩の言うとおり妖怪の仕業じゃないのかもしれない。


「――え」


 閉まっている門扉から突然、手押し車が(・・・・・)出て来た(・・・・)。私が小学生の頃は猫車と呼ばれていただろうか。前部にタイヤが一つだけ、後部からは持ち手が伸びていて。それを押しているのは――


 花の柄の付いた黒い着物を来た人だった。だけれど夢で見たのとは少し違い、はっきりと彼岸花があしらわれていた。その服装、顔立ちから女性であることは分かる。


 そして、それが人でないことも明らかだった。

 着物で手押し車を押す、という光景のアンバランスさもあったかもしれない。


 その上には人が載せられており、膝を抱えるようにして横たわっている。……白装束を来たヨネさんだった。その異常な光景に、思わず飛び出す。


「ヨネさん!? ――っ!」

「待ちぃ! 手を出したらいけん!」


 先輩が走り出そうとした私の腕を掴む。何で!?


「このままじゃ、ヨネさんが妖怪に連れていかれちゃうんですよ!?」

「……もう助からん」


 私を制止した先輩の表情は暗く、そして悲痛な色をしていた。

 唇を噛み締め、絞り出すように呟かれた言葉に耳を疑う。


「……え?」


 ―助からないと、そう聞こえた気がした。

 聞き間違いなどではなかった。


 ざわりと、背筋が冷える感覚。

 嫌な、嫌な予感がした。


「あれは――元は化け猫の妖怪で、火車かしゃって呼ばれとる。ああして、死んでいく人の魂を、死後の世界へ連れていくんよ。昔は死体を盗む妖怪とされとったけど、今ではただの魂の運搬係。そこに悪意はいっさい無い」


「そんな……! なんとかならないんですか!?」


 懇願する私に対して静かに首を振る先輩。妖怪に連れていかれないよう、止めることができれば助かるのではないか、というと『根本からして間違っている』と諭された。


あれが人を殺しと(・・・・・・・・)るわけじゃあない(・・・・・・・・)。そういうんだったら、分かるようになっとる。それだけは断言できる」


 ――死んでいく人の魂。既に肉体の死が決まった魂。


「あの妖怪を止めるのは、人の手では無理なんよ。仮に死ぬことが決まっている魂を連れていくことを防いだとしても、帰る所を失っている魂は永遠に彷徨うことになってしまう。それこそ、奇跡でも起きない限りは助かりはせん」


 死んでしまう事実は覆ることは無いと先輩は言った。


「ヨネさんはもう長くなかった。寿命じゃけぇ、天命には誰も逆らえん。家族も看取る準備はしとったじゃろ。……ほら、戻らんと」

「……はい」






 ――半分放心状態で。気が付いたときには、家の玄関扉を開けていた。


 数字の上では、毎日、毎分、毎秒。この世界のどこかで、誰かが命を落としている。そんなことは頭では分かっていたけど。今日、その数字が一つ増えただけだけれど。眼の前で失われていくのを見た、というのは少なからず私の心にダメージを与えていた。


 その日は辛さを胸に宿したまま、家へと帰り――風呂場で一人、涙を流した。


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