大きなお風呂に入りたい
アンドロスが夕食を求めて訪れたのは、近くの村。
人工は数十人程度だが、大きな街への中継地となっており、宿屋も冒険者ギルドも存在する。
だが、魔王が討たれ、凶暴な魔物が鳴りを潜める昨今、冒険者ギルドや旅人向けの宿屋などは閑古鳥が鳴いている始末。
アンドロスが目指すのは、この村で唯一の宿屋。
この村には風呂屋が無いかわりに、宿で風呂を借りることが出来るのだ。
そこは年老いた店主が一人で切り盛りする小さな宿であり、よくアンドロスが薪や木炭を売りに行く顔なじみの店だった。
少々立てつけの悪い扉を押して中へ入ると、カウンターで帳面を眺めていた初老の店主が、皺だらけの顔で笑みを浮かべる。
「おや、薪売りの方ではありませんか」
「どうも、今日は風呂と飯を厄介になりに来た」
「そうでしたか、今日はお客様という訳ですね」
アンドロスが会釈しながら言うと、店主は人の好さそうな顔で笑う。
「今日はご家族もご一緒でしたか」
「家族?」
「違いましたかな? そちらのメガネの方が奥様で、その後ろがお嬢さん」
宿屋の店主は、アンドロスの後ろに立つジュアンとデスティナを指さす。
思わず、苦笑いがアンドロスの顔に浮かんだ。
「いや、こっちの二人は――」
ただの知り合い。
そう言おうとしたところで、デスティナがずいずいと前に進みでて、代わりに答えた。
「そうだ、私はアンドロスの娘だ。ティナと言う、よろしくな」
「やはりそうでしたか、今日はありがとう、ティナちゃん」
大らかな性格の店主は、なぜか偉そうな態度のデスティナにも笑って頷く。
デスティナの発言に、少し面喰ったように目を丸くするアンドロスだったが、そこは、デスティナが面倒な説明を省くため、配慮してくれたのだと判断。あいまいな頷きを返す。
逆に、『奥様』と呼ばれたジュアンは、なんとも複雑そうな表情になり、アンドロスに冷たい視線を送っている。
「こんな色黒のオッサンから、姫様みたいな可愛い子が生まれる訳が無いのに」
「黙っていろ、今だけの辛抱だ――お前、俺のことは否定するくせに、自分のことはしないんだな」
そんなことを呟きつつも、アンドロスは店主に、風呂の用意と食事の準備を依頼。
「湯はすぐにお使いいただけますよ、お食事はすこしお時間をください――なにせ、旅の方が少なくなったおかげで、料理の準備などほとんどしておりませんので」
アンドロスは「それで構わない」と答え、先に風呂を借りると返答。
店主が風呂の準備をするということで、アンドロス達はカウンター前の椅子に腰かけて待つことに。
「ここの風呂は面白いですよ。店主が若いころ異国を旅し、一番気に入った風呂をこの宿に真似て作ったとか」
アンドロスが説明すると、デスティナが興味深そうに瞳を輝かせる。
一般的に『風呂』といえば、蒸し風呂か、木桶に湯を溜めて体を浸す程度のものだが、ここは違う。
まずは『洗い場』で体を洗い清め、その後に巨大な湯船に浸かるのだ。
海のはるか向こう――異国に伝わる伝統的な入浴法らしい。
アンドロスも風呂焚きに使う薪を運び、何度か風呂を覗いたことがあるのだが、風呂場全体が不思議な作りをしていたことを覚えている。
そうしている間に、宿の店主が風呂の準備が出来たことをアンドロスへと伝える。
アンドロスは男湯、ジュアンとデスティナは女湯に別れ、それぞれ脱衣所へと入る。
「アンドロスさん、ちょっと……」
服を脱ごうとしたところで、ジュアンの呼ぶ声が聞こえた。
アンドロスは女湯の前に向かうと、その扉越しに声をかける。
「どうした」
「誰も居ないから入ってきていいですよ――それより、見てください、これ」
言われ、アンドロスはちょっと抵抗がありながらも、女湯の脱衣所へと進む。
そこには困ったように眉を下げるジュアンとデスティナ。
デスティナは風呂場を指さし、ぽつりとつぶやく。
「お湯が無いのだ」
デスティナに言われ、アンドロスが風呂場を覗き込む。
本来なら、温かな湯に満ちた、大きな湯船が有るはずの女湯。
しかし、その巨大な湯船に一滴もお湯が無い。
アンドロスは首を傾げ、男湯を確認。こちらには、ちゃんと湯が張られていた。
なんだか嫌な予感が頭をよぎりながらも、アンドロスは宿屋の店主へと確認。
「失礼、ちょっといいか」
「はい?」
「女湯がからっぽだぞ」
アンドロスが額に汗を浮かべて聞くと、店主がニカッと笑って黄色い歯を見せる。
「ご家族でしたら、お風呂は一つで良いかと。もう、今日は他のお客様も来ませんので、気にせずお使いください」
「……そういうことか」
脱衣所に戻ったアンドロスは、店主からの言葉をジュアンとデスティナに伝える。
「私は絶対に嫌です、アンドロスさんの毛深い裸なんて見たくありません」
「俺だって、貴様の貧乳なんぞ見たくないわ」
ジュアンが首を振って拒絶すると、アンドロスも言葉を返す。
以前は仕事仲間として信頼し合う仲ではあったが、プライベートは別。
魔物であっても、異性同士で風呂に入るなど、考えられないことだった。
「私は構わないぞ」
睨み合うアンドロスとジュアンだったが、その間にデスティナが割って入る。
「今、別々に風呂を準備しろなんて言ったら、きっと怪しまれる。ただでさえ私達は家族に見えないのだ――変な疑いをもたれては、この後の生活に支障が出るぞ」
「…………」
「…………」
デスティナの正論に、アンドロスもジュアンも沈黙。
互いに目を見合わせると、小さくため息をつき、湯船にお湯が満たされる男湯へと移動。
「アンドロスさん、私、服を着たままお風呂に入ります」
「バカ言うな、さっさと脱げ。絶対に見ないから」
抵抗を続けるジュアンにアンドロスが言うと、またデスティナが言葉を挟む。
「これから生活を共にしようという仲だぞ、そんなつまらないことで喧嘩するな」
言うなり、デスティナは汚れたドレスと下着をぽいぽいと脱ぎ、一瞬で裸になる。
羞恥心が無いのか、それとも大胆なだけか。
体にくるくるとバスタオルを巻きつけたデスティナは、赤銅色の髪を振り、さっさと風呂場へと向かった。
「仕方ありません――姫様のお世話は私の使命。お供しましょう」
覚悟を決めたとばかりに、ジュアンが肩を落として言う。
「私が先に入って、姫様のお体を洗います。私達が湯船に入ってから、アンドロスさんは来てください」
「ああ」
「これから服を脱ぎますから、絶対に見ないでくださいね。絶対に見ないでくださいね」
「わかったから、二度も言うな」
言いながら、アンドロスは後ろを向く。
ゆっくりと衣類が脱がれていく、衣がすれる音が聞こえる。
それが何とも耳に残り、余計な想像ばかりしてしまう。
「どうにも、今日は妙な事ばかりだな」
一年前まで、アンドロスは闇色の鎧を纏い、数万という魔物の軍勢をまとめていた。
それが、今では村の宿屋でお父さんごっこである。
この急激にして喜ばしくない状況の変化に、深い深いため息がこぼれた。