姫様、狩りに行く
「ほ、本当か? 引き受けてくれるのか?」
黄色の澄んだ瞳が、嬉しそうに輝いている。
魔王の娘――デスティナを預かると答えたアンドロス。
それに対し、デスティナは思った以上に好意的な反応を見せた。
「はっ、このアンドロス、命に代えて姫様の身をお守りいたします。なんでもご命令ください」
まるで騎士の定型句。
それを口にしながら、アンドロスは深く頭を下げる。
かつては魔王に、そして今度はその娘に、忠義を尽くすつもりだった。
言われたデスティナもまんざらでは無い様子で、うんうんと丸い顔で嬉しそうに頷いていた。
そんな二人の光景を微笑ましく眺めていたジュアンだが、コホンと一つ咳をして、アンドロスの目を引く。
「ちなみに、姫様を預かって頂く以上、私もここに置いてもらいますので」
「なんだ、お前もついてくるのか」
「人をオマケみたいに言わないでください――まぁ、そんなところなんですけど」
ジュアンは悪戯っぽく笑いながら答え、言葉を続ける。
「えーと、アンドロスさん。それでは、姫様を預かって頂くにあたり、一つお願いがあります」
「何だ」
「姫様に、普通の生活を教えてあげて下さい」
「な、なに?」
はじめて提示される条件に、アンドロスの顔が間抜けに傾げられた。
「ですから、今後、姫様は『魔王の娘』ではなく、普通の女の子として扱ってほしいのです」
ジュアンは出来の悪い生徒に教えを説く教師のように、指を立てて説明。
そんな言葉を前に、アンドロスは本当に出来の悪い生徒のように首を傾げた。
「なぜだ、それでは姫様に失礼ではないか」
「これは魔王様の遺言です。姫様には座学ばかりの帝王学だけでなく、庶民の感覚も肌で学ばせてほしい、と」
「また遺言か……」
武骨な顎をさすりながら、思案するように頷くアンドロス。
難色を示す大男に、今度はデスティナが苦笑を浮かべる。
「アンドロスよ、それは私からの頼みでもある。せっかく、このように身分を隠して生活することが出来るのだ。普通の生活というものを、味わってみたいのだ」
「姫様がそのように申するのであれば――いや、しかし……」
「私のことも、呼び捨てにしてくれ。そうだな――ティナと呼べ。デスティナなどという名前の娘、世間一般には存在しないだろう」
「……いくらなんでもそれは」
「アンドロス、お前は自分の言葉を忘れたのか」
アンドロスは息を飲む。
先ほど、『何でも命令しろ』と言ったばかりだった。
身長二メートルの大男が、一メートル近く身長の低い少女を前に、額に汗を浮かべていた。
「わ、分かりました、姫様」
「もう、間違えている。『ティナ』だぞ」
「失礼――ティナ――様」
「だから、様はいらない!」
「ティ、ティナ………………様」
「あー、また違うぞ! 学習能力ゼロか! 呼び捨てで構わん!」
腰に手を当て、アンドロスの顔を見上げるデスティナ。
大男の困惑する青い瞳と、少女の黄色い輝く瞳が交差。
ぷんぷんと頬を膨らませる少女を前に、二百年を生きる魔物が、力なくため息をついた。
◇◆◇
なんとかデスティナを呼び捨てにすることは出来たのだが、相変わらず敬語は抜けなかった。
それは言ってみれば、アンドロスの身体に染みついた、主従関係からの癖。
さすがのデスティナもジュアンもそこは諦め、譲歩。
時間をかけて直していくことにする。
そうしているうちに、日が傾き始めた。
デスティナを呼び捨てにする訓練で疲れ切ったアンドロスだが、すぐさま頭を切り替える。
「……いかん、狩りに行っておかねば」
今日の昼食で、食べ物がほとんどなくなってしまった。
いきなり食い扶持が増え、僅かな蓄えも食べきってしまったのだ。
そうなれば、森へと狩りに出なくてはならない。
アンドロスは納屋から弓と矢、そして獲物を縛る縄を数本持ち出す。
人間の行う狩猟であれば、猟犬の一匹でも連れて行くのだろうが、アンドロスには必要ない。
最強の魔物と謳われた圧倒的な身体能力と、ウサギの足音をも聞き逃さない聴覚を有しているのだ。
街へ行き食料を買ってきてもいいのだが、冬を前に、余計な出費は避けたかった。
どこまでも庶民的な感覚の染みついた自分に、アンドロスはそっと溜息をつく。
納屋で狩りの準備をしていると、そこへひょっこりとデスティナが姿を現した。
「アンドロスよ、お前ほどの魔物が、なぜ弓などを使う」
「こうした弱い武器を使わないと、獲物を狩ったとしても、跡形も残らないのです」
「なるほど……なあ、私もついていってもいいか?」
「構いませんが……お勉強はよろしいのですか?」
アンドロスの家に厄介になるデスティナだが、その私生活には、『魔王の娘』としての責任がついて回る。
一般的な生活を学ぶ隣で、経済学や政治、魔物学まで学ばなくてはいけないのだ。
教師はジュアンが引き受け、先ほどまで一緒に読書にいそしんでいたのだが―――。
デスティナが、小屋の中を指さす。
アンドロスが小屋を覗くと、そこには、暖炉の前で呑気に昼寝するジュアンの姿があった。
涎を垂らし、気持ちよさそうにイビキをかいている。
「あいつも、疲れているのかもしれん――仕方ない、一緒に狩りに行きましょう」
アンドロスが答えると、デスティナは「やった!」と声を上げ、いそいそと小屋へ戻る。
ドレスの上に高価そうな毛皮の上着を羽織ると、再びアンドロスの前に走り寄った。
アンドロスも、納屋から持ってきた頭巾をターバンのようにくるくると頭に巻く。
こうすることで、アンドロスは頭に生える角を隠している。
森は人気こそ少ないが、時折、地元の狩人と鉢合わせすることもあるからだ。
「角を隠すと、ただの色黒いオッサンだな」
「言わないでください――私も気にしているんです」
デスティナの率直な感想に、アンドロスは苦笑を浮かべながら、狼狽。
準備が整ったところで、アンドロスはデスティナを先導し、歩きはじめる。
アンドロスの家も森の中だが、狩り場はさらに森の奥。
道の無い木々の間を黙々と進むと、どこからか鳥の鳴き声や、草木のざわめく音が聞こえる。
生命に満ちた、豊かな自然が広がる。
アンドロスがこの地に隠れようと決めたのは、この豊かな自然があったからこそ。
「この森には、様々な動物が住んでいます。街から少し離れているので狩人もほとんど来ませんし、静かで良いところです」
後ろをぴったりと着いてくるデスティナに、アンドロスは森を説明。
アンドロスは道なき道を進みながら、しかし、その足取りはしっかりと目的地へと向いていた。
辿るのは、水の匂い。
鳥たちが羽を休める、絶好の狩り場である。
「しかし、姫さ――ティナ、一つ約束して下さい。この森は美しいですが、獰猛な魔物も住んでいます。私からは決して離れないで……」
と、アンドロスが言いながら振り向く。
そこに、デスティナの姿が無かった。
慣れない説明に集中し、どうやらはぐれてしまったらしい。
「…………しまった」
魔王の娘を預かって一時間。
アンドロスは、さっそく、守ると誓った少女とはぐれてしまった。




