姫様の信頼
出会い頭の問答は、なんとかジュアンが収め、三人はアンドロスの家――粗末な小屋へと移動。
しかし、それで魔王の娘の気が収まるはずもなく、小屋に戻ってからも、厳しい視線がアンドロスへと向けられる。
「私の名前はデスティナ、魔王の娘にして、忘れ形見だ」
腕を組み、温度の無い視線でアンドロスを見つめる。
デスティナ。
それが、魔王の娘の名前。
アンドロスはその名を胸に刻むと同時に、小さく顔を上げ、その顔を見つめる。
黄色い瞳は、そこに怒りの色と同時に、繊細さを併せ持っていた。
美しい。
ふと、アンドロスはそんな場違いなことを考えてしまう。
「答えろ、アンドロス。なぜ父上は死んだ」
「……私の力不足ゆえ、魔王様をお守り出来ませんでした」
デスティナは、その答えを待っていたかのように、八重歯の見える口元を笑わせる。
凛とした表情で見せる獰猛さ。
それは童顔のジュアンよりも、よっぽど魔物らしい顔つきである。
「己の力不足が原因だと、認めるのだな」
「はい」
「何か、弁解の言葉は?」
「ありません」
アンドロスの答えは簡素だった。
先ほど、すぐに答えられなかったのは、アンドロスがデスティナを子供と侮っていたから。
しかし、対面して、すぐに分かった。
デスティナに漂う気配。
生まれもった気品や、魔物としての気高さ――それらはまさしく魔王の娘と呼ぶに相応しいもの。
それを自覚した時、デスティナの問いに、アンドロスは自然と答えることが出来た。
自分は、この娘に詫びなければならないのだと。
「いいだろう、合格だ」
アンドロスが答え、しばしの沈黙の後、デスティナが小さく息を吐いた。
何が合格なのかと、顔を上げるアンドロス。
そこにあったのは、不機嫌な仏頂面では無かった。
どこか安心したような、年相応の柔らかな笑み。
デスティナが、アンドロスに笑い、大きく頷いていた。
「合格とは、どういう意味でしょうか」
首をかしげるアンドロスに、デスティナは小さく首肯しながら答える。
「お前が信頼できる、という意味の合格だ。ここで逆上したり、見苦しい弁解をするような輩には、信頼を置くことは出来ないからな」
言って、デスティナが腕を組んだまま「うんうん」と頷いて見せる。
穏やかになる口調と、そこに浮かべる笑顔。
どうやら、一連の高慢な態度は、アンドロスの反応を見るための芝居だったらしい。
「許せ、アンドロス。私はお前のことを少しでも知りたかったのだ。父上が最も信頼を置いた、”剛魔天”をな」
そう言って、デスティナが儚い笑みを浮かべる。
ジュアンは最初からデスティナの芝居を知っていたのか、その後ろで意地悪そうな笑みを浮かべていた。
アンドロスは呆気にとられながらも、なぜか心の底から安堵するように、再度、深く頭を下げた。
◇◆◇
「お疲れの様子だな」
「ええ、ここまで長旅でしたから」
ジュアンは言いながら、心地よさそうに眠るデスティナの横顔に微笑む。
アンドロスはテーブルに肘をつき、「ふむ」と難しそうに息をついた。
デスティナとの会話の後、腹が減ったというデスティナのために、三人は揃って昼食を取った。
作るのは、昨日と同じ、手抜きのシチュー。
味も素材も悪くないが、およそ魔王の娘の食べるものでは無い――と、思っていたのだが、アンドロスの料理はデスティナにも好評。
曰く、「余計なことをしない分、素材の味が楽しめる」とのこと。
腹が膨れたところで、デスティナはアンドロス用の大きなベッドに横になり、「しばし眠る」とだけ告げ、そのまま寝息をたてはじめた。
初対面のアンドロスを前に、見知らぬ粗末な小屋で仮眠をとる――あの小さな身体には、大胆さと度胸まで備わっているらしい。
デスティナが眠ったことで、アンドロスはジュアンに向き直る。
この機会に、話ておかなければならないことがある。
アンドロスは暖炉の火にかけ温めておいたポットから、芳醇な香りの漂う液体をコップに注ぐ。
街で買ってきた葡萄酒を温めた、ホットワインである。
それを自分とジュアン、二人分用意。
大切な話をする時こそ、酒の力が必要だった。
「期間は、どれくらいの間、預かればいいんだ」
「分かりません。時期が来たら、知らせが来る手はずになっています」
「……俺が断ったら、どうする」
「姫様を、元に居た場所へと戻します」
「元に居た場所?」
「そうです……多くは語れませんが、それは退屈な鳥籠のような場所です。朝も夜も無い、苦痛も悲しみも無い、そんな場所に」
ジュアンは言いながら、乾いた唇を湿らすように、ゆっくりとホットワインを口にする。
アンドロスは腕を組み、天井を見つめて考える。
デスティナの素性には、謎が多すぎる。
人間の目から隠れて生きるアンドロスにとって、それは予想以上に不利に働くかもしれない。
とにかく、生き抜くことが魔王が最後に課したアンドロスへの役割なのだ。
アンドロスは、横目でデスティナを一瞥。
ベッドの上で丸くなって眠る、魔王の娘。
人間と魔族のハーフ。
魔王の血が流れているとはいえ、半分は憎き、人間と同じ存在。
そんな娘と、アンドロスは生活を共にできるだろうか。
考えながら、コップの中のホットワインを一気に飲み干す。
大柄のくせに、あまり酒に強くないアンドロスは、それだけで身体の芯からぽかぽかと温まりはじめた。
「ジュアン、お前はどう思う。俺が預かるべきか、そうでないか」
「珍しいですね、他人に意見を求めるなんて――会議では、頷くか、居眠りばかりだったのに」
「うるさい……それで、どうなんだ」
茶化すジュアンに、嘆息するアンドロス。
口に手を当てて笑うジュアンは、眼鏡のブリッジを押し上げながら答える。
「それは、私の口からは言えません」
意地悪そうに、眼鏡の奥で瞳を細めながら言う。
普段は賢そうに振舞っているが、こういうところは、なんとも子供っぽいジュアン。
「ですが、たった一つだけ、間違いないことがあります」
「…………それは?」
「魔王様も、デスティナ様も、あなたを信頼しているということです」
ジュアンの灰色の瞳が、アンドロスを見つめる。
それは真実を語る者の瞳。
人間、魔物問わず、心から思っている言葉を伝える者の瞳は、美しい。
アンドロスは気恥ずかしいような、誇らしいような複雑な心境で骨ばった顎を撫でる
今は亡き魔王の考え、デスティナの境遇、ジュアンの思惑――何も分からない。
頭を使った仕事が苦手なアンドロスには、この状況で出せる答えは、それほど多くは無い。
「預かる――いや、俺に預からせてくれ」
小さく首肯しながら、アンドロスは呟いた。