お背中、お流しします
香りのよい木材を組んで作られた、脱衣所。
ゆっくりとした衣擦れの音だけが、室内に響く。
ジュアンは侍女を思わせる白いシャツと黒いロングスカートを脱ぐと、頭の後ろで黒髪を束ねる。
レンズの薄いメガネを外し、続いて下着を脱ぐと、タオルで線の細い体を隠して湯殿へと進んだ。
背中の傷が癒えたところで、ジュアンは数日ぶりの入浴を楽しむことに。
アンドロスが苦労して作った、異国の風呂は凝った作り。
木を組んで作られた湯船にお湯を注ぎ、そこに全身を浸すのだ。
床から天井まで、木材だけで組み上げられた湯殿と湯船は見事の一言。
あの色黒ゴリラにこんな才能があったとは、さしものジュアンも驚きである。
当のアンドロスは浴室の外にある小屋の中で、窯に薪をくべ、川の水をせっせと温めている。
そうして作られたお湯が湯船を満たし、周りを湯気で覆いつくしていた。
ジュアンは桶で湯をすくうと、薄く纏うように体にかける。
さらりと肌触りの良い湯は、適温。
白い肌をすべるように流れると、柔らかそうな太ももの間をすり抜けていった。
と、ジュアンの身体が小さく震える。
小ぶりな乳房が弱弱しく震え、その顔が痛みに歪む。
「うっ……やっぱり、少し痛みますね」
湯が背にかかったとき、その温かさが刃となって体を貫く。
傷口こそ塞がったが、そこに出来た傷跡は、まだまだ敏感。
湯の熱さに、傷跡がうずいてしまうのだ。
「まあ、仕方がありませんか。これも名誉の負傷です」
そんなことを言いながら、傷を癒すべく湯船へと足を運ぶ。
濡れたタオルを体に張りつかせると、湯気の奥に整った身体のラインが艶めかしく浮き上がる。
湯は四十度。熱すぎず、ジュアン好みの温度。つま先からゆっくりと身体を湯に沈める。
肺の奥から、ため息が沸き上がってくる感覚。シャワーや小川での水浴びでは味わうことの出来ない、湯船を利用した入浴ならではの喜び。
「はぁ、気持ちいいですね。お風呂っていうのは、昼寝の次に至福の時間です……あれ?」
そんなオッサンみたいなことを言っていると、湯殿の入り口が控えめな音を立てて開かれた。
湯気の奥から現れのは、リーフだった。
身体の前をタオルで隠し、お尻から伸びる尻尾を控えめに振りながら、少し俯き加減に湯船に近づく。
なぜリーフが現れたのか疑問だが、その問題を差し置いてジュアンが二度見してしまったのは、リーフの体つき。
まだ、若い魔物であるリーフだが、その胸の大きさはジュアンの倍近くあるだろうか。
歩くたび、小柄な肉体に実る乳房が、リズミカルに左右に揺れている。
(何を食べたら、あんなに胸が大きくなるんでしょう――私なんてここ百年くらい、胸のサイズが変わっていないのに)
よく言えばスレンダーな、ジュアンの体つき。
それとリーフの身体を見比べ、なぜかため息が出てしまった。
勝手に落ち込むジュアンだが、そんな暗い気持ちを払しょくするように、リーフの溌溂とした声が響く。
「ジュアン殿、湯加減はいかがですか。もし手が必要でしたら、なんでも仰ってください」
堅苦しい言葉遣いと共に、小さく頭を下げるリーフ。
しかし、ジュアンは冷たい眼差しと共に口を開く。
「結構です、お風呂くらい一人で入れます」
「し、しかし、姫様にジュアン殿の様子を見てくるように言われたのです。必要ならば、入浴の手助けをしろと」
「姫様の気持ちだけ、ありがたく頂いておきます。それに、つい先日まで敵だった貴方に、そんな施しは期待していません」
ジュアンが冷たく言い放つと、リーフはしゅんと顔を落とし、素直に引き下がる。
リーフはそのまま、湯殿の隅に座り、待機。どうやら、ジュアンがちゃんと風呂に入れたかどうか、確認だけはするつもりらしい。
ジュアンは「ふん」と鼻から息を漏らすと、構わず視線を逸らす。
湯船につかり、体は温まるジュアン。
だが、その胸の奥は冷めたままだった。
リーフはもう敵では無い――デスティナに認められた、仲間なのだ。
大怪我をさせられたが、魔法の力でほぼ完治している。それに、仕返しはアンドロスがとっくに済ませてくれていた。
(私としたことが、少々大人げない対応でしたね……)
そう自分に言い聞かせ、ジュアンは鋭い眼つきを、微かに和らげる。
「……ごめんなさい、言葉がきつかったですね。こっちに来て、一緒に入りましょう」
ジュアンが言うと、リーフがパッと笑みを浮かべて顔を上げる。
「いいのですか?」
「いいですよ。そこ、寒いでしょ、早く入りなさい」
言ったが早い。
リーフは足早に湯船に飛び込むと、ジュアンと向かい合って湯に体をひたす。
「ジュアン殿、この度は、本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「もういいですって。姫様が許したんですから、私が許さない理由がないですし」
たどたどしい敬語を使うリーフに、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
実直というか愚直というか――リーフはとにかく、自分が思ったことを口に出し、行動に移さなければ気が済まないタイプらしい。
怪我をさせてしまったジュアンにも、面と向かって謝罪がしたかったのだろう。
そう考えると、こうしてジュアンの入浴の手助けに来たのは、きっと気を利かせたデスティナの仕業。
後で小さな姫にも礼を言っておかなくてはならない。
「このお風呂というのはアンドロス殿が作ったんですよね、とても気持ちが良いです」
「そうですね――アンドロスさんも凝り性ですから、前に宿で見た風呂を、完全に再現したみたいです」
アンドロス、デスティナ、そしてジュアン。
三人で宿の風呂を借りに行ったのは、いい思い出である。
リーフも大きな緑色の瞳をつむり、「ふぅ」とのんびりした様子で息を吐く。
「さて、身体も温まりましたし、そろそろ体でも洗いましょうかね」
言って、ジュアンが湯船から出た時。
気がついたように、リーフもその後に続いた。
「ジュアン殿! 私がお背中をお流しします!」
そう言って、洗い場に座るジュアンの背後に回り込む。
リーフはタオルに湯を含ませ、ジュアンの背にあてがうと、ごしごしと擦りはじめた。
だが、その直後。
「くっ――」
ジュアンの顔が歪み、その身体が大きく震えた。
咄嗟にリーフは気がつく。
タオルで擦った、ジュアンの背中――そこは、自分が負わせてしまった傷跡。
「も、申し訳ありません! 痛かったですか?」
「ちょっと、触るのが強すぎますね」
おろおろと狼狽えるリーフに、ジュアンが苦笑いを返す。
困ったように笑うジュアンに、リーフの笑顔が曇る。
ジュアンはリーフを怒らなかった――それどころか、気にしていないといった様子で、笑みすら見せてくれた。
何気ない優しさは、逆にリーフの犯した過ちの深さを再認識させる。
「……それなら、これでどうですか」
リーフは思いつめたような声で言いながら、おもむろにジュアンの背に抱きつく。
「ひゃッ!? あ、あなた、何をしているんですか」
「手では痛いと思いまして――これで、お許しください」
そのまま、リーフはさらにその体をジュアンへと密着。
むにゅっ、と音が聞こえてきそうなほど、柔らかな感触がジュアンの背に押し当てられた。
リーフはそのまま体を動かし、自らの胸でジュアンの背を洗いはじめる。
「あなた馬鹿ですかッ!? そこまでしなくても、体くらい洗えますよ!」
「私は確かに賢い魔物ではありません――ですが、ご迷惑をかけた責任は取らせてもらいます!」
体を密着させるリーフは、必死にその豊胸でジュアンの背を洗う。
柔らかな乳房の感触――確かに、それは手で触るよりも痛くはない。
「ふっ、うっ、ん――どうですかジュアン殿、痛くはありませんか」
「どうって、痛くはありませんが、なんだか声が変ですよ」
「はぁはぁ……なんだか、身体が熱くなってきました」
「なに発情してるんですか! とっとと離れてください!」
ジュアンの方が恥ずかしくなり、リーフから身体を離そうと身じろぎする。
だが、リーフはジュアンの体に手を回し、がっしりと拘束。
ジュアンの薄い腹筋、そこにある小さなおへそに、リーフの指がつぷりと滑り込んだ。
おへそをクリクリと掻き回す、リーフの指。
どうやら、全身を洗うまで逃がしてはもらえないらしい。
「はぅ! だ、ダメですよリーフさん、そんなところを触っては――」
「私にすべて、お任せください。頭の悪い私には、これくらいしか出来ないので」
ジュアンの慎ましやかな胸を、優しい手つきで撫でるリーフ。
まるで小ぶりの果実を弄ぶようにジュアンの胸を撫で、その指先を柔肌に這わせる。
(リーフさんが馬鹿だとは思っていましたが、まさかここまでとは――んぅ! こ、これは、なんだか色々、危ない気がします!)
女の魔物同士で何をしているのか――ジュアンはそう頭で考えながらも、背に押し当てられるリーフの柔肉の感触に、すっかり骨抜きになっていた。
リーフの指が浮き出るあばらをさすり、そのまま太ももを優しく撫でる。
他人に体を洗ってもらった経験などないジュアンは、その甘い刺激に、すっかり腰が抜けていた。
「もう、いいですよ――あとは自分で、んんっ――出来ますからっ」
「いいえ、まだ終わりません。ジュアン殿の身体を隅々まで綺麗にするまで、頑張ります」
リーフは囁くように、ジュアンの耳元に息を吹きかける。
鎖骨を撫でる指先は温かく、未体験の刺激にジュアンの背筋がぞくぞくと震える。
結局、ジュアンは一歩も動くことが出来なかった。
羞恥心が限界に達し、頭がオーバーヒート。
その顔を赤くし、リーフの成すがままに体を洗われた。
◇◆◇
十分後。
すっかり全身を洗われたジュアンは、青ざめた顔で新しい服に袖を通していた。
「ほ、本当に全身を洗われてしまいました……」
眼鏡をかける手は震え、なんだか胸の奥が今でもドキドキしている。
女の魔物同士とはいえ、自分は何をやっていたのだろう。
背中に残るリーフの胸の感触が、さらにジュアンの背徳感をジリジリと炙るようだった。
「ジュアン殿、楽しかったですね! また今度、一緒にお風呂に入りましょう!」
当のリーフは、一仕事終えた後のように、すがすがしい笑顔。
艶のある金色の髪を拭きながら、尻尾を上機嫌に揺らしている。
きっと、これでジュアンにお詫びをしたつもりなのだろう。
能天気なリーフを思わず怒鳴りそうになるが、そこに浮かべる無邪気な笑みに、ジュアンの口からは疲れ切った溜息しか出なかった。
「はぁ――怒る気力も失せましたよ」
弱々しく言いながら、しかし、ジュアンはリーフを見つめ考える。
リーフは賢い魔物ではない。
道徳観念も、少しジュアンとはズレている気がする。
だが……決して、心の悪い魔物ではない。
魔物らしくない、真っ直ぐな純真さ。
それはジュアンやアンドロス――年長の魔物が守っていかなければならない、大切な財産。
「この後は夕ご飯ですね、私が食べさせてあげます!」
「そこまでしなくていいですよ、くっつかないで下さい」
すっかり懐かれてしまったようで、リーフはジュアンに屈託の無い笑みを見せる。
心なしか、お風呂に入る前より、口調も自然なものになっていた。
抱きついてくるリーフを引きはがしながら、ジュアンは胸の中で小さく呟く。
この子の仲間を、家族を――絶対に助けよう。
そんな小さな決意の火が、胸の奥で灯った。




