霊鳥の目
こちらを見つめる瞳に、アンドロス達が息を飲む。
色は金。
ジュアンの掲げる灯炎の呪文の光を反射し、闇の中で黄金のように力強い輝きを浮かべている。
ジュアンが更に炎の勢いを増すと、開けた洞窟の空間の全てが照らされる。
冷たい岩に囲まれた、完全な静寂が支配する空間。
その最奥に、木の枝と家畜の毛皮を重ねた、柔らかそうな鳥の巣があった。
しかし、そのサイズは特大。
直径十メートルはあるだろうか。
そして、そんな巣に身を丸め、瞳を輝かせるのは、巨大な鳥。
鋭く突き出す短いクチバシと、極彩色の翼。
体はアンドロスよりも巨大だが、その骨格は細い。
まるで巨大なクジャクがそこに鎮座しているようである。
魔物の中でも長寿であり、高い知性を有する”長老種”。
その中の一匹、シームルグである。
『何者だ、そこに居るのは』
洞窟に響く声は、しわがれており、まるで老人のそれ。
それがシームルグの声であると気がつくと、アンドロスは一歩前に進み出て、小さく頭を下げた。
「突然の訪問、失礼――私の名はアンドロス。訳あって、シームルグ殿に会いに来た」
アンドロスが洞窟に響き渡る、堂々とした名乗りを上げると、巨鳥の頭部がピクリと反応。
『アンドロス……もしや”剛魔天”か?』
シームルグの言葉に、アンドロスは「そうです」と小さく返す。
興味深そうに、そのくちばしを上下に揺らすシームルグ。
アンドロスは、さっそく本題を切り出す。
「お聞きしたい。先日、人里で暴れたとか――あなたほどの魔物が、なぜそのようなことをしたのです。人間は討伐隊を編成し、明日の昼にはここに現れます」
シームルグの反応を窺うように、アンドロスはその瞳を細める。
聞かれ、巨鳥は力なく首を横に振り、その瞳を落とす。
『それに関しては、私の意思ではない。毒だ――人間の用いる毒にやられた』
「……毒、ですか?」
最初、その言葉はアンドロスの聞き間違いかと思った。
シームルグは数千年を生きる魔物。その身体には、様々な毒物に対する耐性があるはず。
しかし、アンドロスは気がつく。
磨かれた宝石のように輝くシームルグの瞳。
そこに、アンドロスの姿は映っていない――こちらを見ているようで、その瞳は虚空を見つめていた。
毒の影響だろう。
シームルグの瞳は、その光を失っていた。
数千年を生きる魔物の視力を奪う毒――そんなもの、アンドロスは聞いたことも無いし、その威力を想像することも出来ない。
「しかし毒とは――いったい、どこで受けたのです」
『最近、麓で魔物が意味も無く暴れまわっていると聞き、山を出て視察に出向いた――その時に、私もその毒にやられたようだ。私は理性を失い、小さな魔物を追い回し、自らの意思に反して暴れたらしい。申し訳ないことに、その折に罪の無い人間を傷つけてしまった』
シームルグの話に、アンドロスはエラの張る頬に手を当てる。
魔物が魔物を襲う事件。
それは、ここ数か月の間に突然聞くようになった、不可解な事件。
実際、アンドロスも狂ったグリフォンに襲われたばかりであり、他人事では無かった。
『何が起こっているのかは分からないが、何か恐ろしい企てを感じる――そして、私には、それを止める力は、もう無い』
無念そうに語るシームルグに、アンドロスは唸り声を返すことしか出来なかった。
魔物の中でも有数の英知を有するシームルグだが、それでも、事態の全容は把握しきれないらしい。
『して、”剛魔天”。そなたの後ろに居るのは誰だ? どちらも、かなりの魔力を持っているが』
シームルグが人間を襲った理由は、分かった。
続いて質問するのは、老いた巨鳥の番。
聞かれ、ジュアンが前に進み出て、小さく頭を下げる。
「申し遅れました、わたくしはジュアン。魔王様のお傍で、書記官を務めておりました」
『ジュアン――たしか、ザグザ殿の教え子の一人だな』
言われ、ジュアンは「左様です」と短く返答。
ザグザとは、シームルグと同じ、”長老種”の一体。
多彩な魔術と膨大な知識を有し、魔物達の間では最も知恵のある”智魔天”と呼ばれる賢者である。
最強の力を持つ”剛魔天”に対し、英知の極みである”智魔天”。
一つの力では、魔王に匹敵する力を持つ魔物に授けられる、”魔天”の称号。
それを冠する一匹が、ジュアンの師でもあった。
続いてシームルグは、ジュアンの後ろに隠れるデスティナにクチバシを向ける。
目は見えなくとも、その気配は正確に感じ取っているらしい。
デスティナは白いコートを揺らしながら、ゆっくりとシームルグの前へと歩み出る。
「私はデスティナ――魔王の娘です」
『なんと、魔王様の娘?』
警戒するようなデスティナの声に、しわがれた声が、驚いたように跳ねる。
光を失った瞳が幾度も瞬き、じっとデスティナを見つめる。
何も映っていないはずのシームルグの瞳が、興味深そうに見開かれた。
そんなシームルグに、デスティナは黙って視線を返す。
小さな黄色い瞳と、シームルグの巨大な金の瞳が交差。
やがて、シームルグは見開く瞳を柔和に笑わせると、小さく何度も頷いて見せる。
『そうか……確かに魔王様の気配を感じる。はっはっは、どうりで、羽毛が逆立つ訳だ』
巨鳥が好々爺のように、短い笑い声を漏らした。
それはまるで、初孫を前にした老人の笑い声。
今まで苦し気にアンドロスと話していたその声に、微かに活力が戻る。
そして、シームルグはその瞳を恭しく閉じると、デスティナに深く頭を下げる。
『この目で姫様のお姿を拝見出来ないのは、なんとも心苦しい限り――しかし、私の最期の役割が決まったようです』
「最期……シームルグ殿、それは一体?」
アンドロスが聞くと、シームルグが、今までにないほど落ち着いた声で続ける。
『私の残った魔力、それを姫様にお渡し致します』




