街道の途中
アンドロスは納屋の奥で、埃をかぶった荷物を取り出していた。
久しぶりにその手に取るのは、かつて、この地に小屋を建てるまで使っていた、野営品の数々。
森の中に小屋を建てたアンドロスだったが、何もすぐに、ここに住もうと決めたわけでは無い。
しばらくの間、自然と対話するようにテント生活を送り、その静けさを確かめてから定住を決めたのだ。
それゆえ、一通りの旅道具はそろっており、小屋に住むようになった今でも、それらは大切に保管されていた。
「街道沿いには川がある、水の心配はいらないな――あとは調理用の鍋と、テントと、温かい掛布――」
声に出しながら、忘れ物が無いかチェック。
あと一時間もしないうちに小屋を出て、シームルグの住まう西の山へと向かわなくてはならない。
片道半日という、ちょっとした短い旅になるため、久しぶりに旅荷物を取り出しているのだ。
「これでよし、さて俺の準備はこれで終わりだな」
頭には角を隠すための頭巾を巻き、水獣の皮で作られた、水を弾き、保温性に優れた外套を着用。
背中にはテントや鍋、食料が収められた丈夫な布製のカバンを背負い、すっかり旅人らしくなっていた。
◇◆◇
出立の準備を終えたアンドロスだが、本当の戦いはこれから。
「ほら、ティナ、ジュアン、起きろ! 朝だぞ、西の山に行くんだろ!」
ベッドの上で、互いに身を寄せ合い、暖をとりあう猫のように眠るのは、デスティナとジュアン。
そんな二人を大声で叩き起こす。
アンドロスの声に、デスティナはもぞもぞとベッドから這い出し、すぐに着替えを始める。
問題は、ジュアンである。
「起きろ、顔を洗って、朝飯を食え!」
「止めてくださぃー、もうちょっと寝かせてくださぃ」
「ダメだ、もう出るぞ。シームルグを助けに行くんだろ」
「別にもういいですよ……どうせ、会ったことも無い魔物ですし」
「悪魔っぽい本音を出すな!」
アンドロスはジュアンをベッドから引きずり下ろすと、朝食のパンを口に突っ込み、そのまま引っ張るように小屋を出る。
小屋の裏に流れる小川にジュアンを連れていくと、そこで強制的に顔を洗わせる。
「こんなことで、人間達より先にシームルグの所に着けるのだろうか……」
朝が弱いジュアンは、ようやく顔を洗い出す。
この時点で、予定よりも半時、時間が押していた。
アンドロスは、これから始まる旅を前に、小さくため息をついた。
◇◆◇
顔を洗ったジュアンだったが、朝食を食べ、旅衣装に着替えたところで、また暖炉の前でうとうとと眠りそうになっていた。
仕方なく、アンドロスはジュアンの手を引き、強制的に歩かせる。
ジュアンが一人の足で歩くようになったのは、陽が昇り、体が温まり出してからだった。
それから数時間、休まず歩かせたところで、休憩もかね、少し早い昼食をとることに。
アンドロスは街道の開けた一角で火を起こす。
「いやぁ、歩きましたねぇ」
「お前、最初はずっと寝ていただろうが、ティナを見習え」
街道沿いの木の柵に体を預け、「ふぅ」と息をはくジュアン。
そんな体力のない魔物を見つめながら、アンドロスは呆れたように声をもらす。
「しょうがないじゃないですか――私達スペルデーモンは、本来なら空を飛んで移動するんですから」
言われて思い出したが、ジュアンの背には黒い、蝙蝠を思わせる羽が生えているのだ。
魔王の城では、その羽と魔力を使い、ふわふわと浮いて移動していた。
こうして足を使って歩くのは、人間にその身元がばれないようにするため。
確かに、長距離を歩くことを考えたら、三人の中で一番、苦手かもしれない。
「我慢しろ、あと数時間で西の山だ」
アンドロスは街道の先に聳える。雪の降り積もる山脈を見つめる。
その中の一つ――中腹にある洞穴の奥に、シームルグは住んでいる。
この後に控えるのは、さらに過酷な山登り。
それゆえ、食事にも気をかける。
フライパンに干し肉と、周囲で摘み、川の冷水で洗ってきた栄養のある野草を入れ、一緒に炒める。
味付けは塩とコショウ、酒を少々。
元気が出るように、ニンニクも少しだけきざんで投入。
干し肉から出る旨味とニンニクの風味が合わさり、周囲に食欲をそそる香りが満ちる。
「アンドロスは、どこでも、すぐに料理が作れるのだな」
鍋の底で踊る食材を見て、デスティナが黄色い瞳を輝かせる。
鍋を覗き込む脇で、赤い頭髪は風に揺れ、まるで燃え上がる炎のように宙を舞っている。
こうした日常の一幕であっても、デスティナの存在感が薄れることは無い。
「一年間、一人で暮らしていましたからね。料理もその時に、ある程度、憶えました」
「そうなのか。なぁ、今度、私にも料理を教えてくれ」
頼まれ、アンドロスは武骨な顔を歪めて笑う。
「もちろんです。と、言っても、私も簡単な料理しか作れませんが」
「構わない。今の私は、それすらできないからな、自分で美味い料理を作ってみたいのだ」
こんな笑顔を見せられると、不器用なアンドロスでも、美味しい料理を作って食べさせたくなる。
子供の笑顔には、そんな不思議な力があった。
柄にもないことを考えながら、アンドロスは鍋を振るい、さらに料理を続ける。
干し肉から油が染み出し、ぱちぱちと爆ぜる小気味よい音が寒空に響いた。
危険な山登りを前にした、ちょっとした休憩。
デスティナは、それを何よりも楽しんでいるようだった。




