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旅の前に

 シームルグ討伐の立て札を見たアンドロス達。

 まずは落ち着いて話し合いが必要ということで、三人はアンドロスの勧める酒場で食事を取ることに。

 

 昼時を少し過ぎているため、酒場に客の数は少ない。

 三人は適当な席に座ると、それぞれが店員にお勧め料理を注文した。

 

 ほどなくして、三人の前に料理が並ぶ。

 アンドロスが注文したのは、大きな魚のフライ。

 衣は薄く、肉厚の魚が皿に覆いかぶさるように乗った、ボリューム感のある一品。

 魚には甘辛いソースがかかっており、スパイシーな香りに食欲をそそられる。


 料理に感心しながらも、アンドロスは今後の行動について考え続ける。

 

 人間の討伐隊が編成され、西の山へ向かうのは二日後。

 その前にシームルグに会うには、明日の朝には発たねばならなかった。


「ジュアン、俺の家から西の山だと、歩いてどれくらいかかりそうだ」

「そうですね……この街とは逆方向ですし、だいたい、八時間といったところでしょうか」


 ジュアンはフォークにパスタを絡めながら、レンズの薄いメガネの奥で瞳を細める。

 聡明な若い女性に見えるジュアンだが、百年以上を生きる、立派な魔物。

 その頭の中には、アンドロス達の暮らす大陸地図がしっかりと収められていた。


 一年前――魔王が生きていたころは、人間との小競り合いが、大陸全土で頻繁に発生していた。

 そうした時に、ジュアンの知識は地図代わりとなり、どこに居ても防衛戦略を練ることが出来たのだ。

 魔物を束ねる立場にあるアンドロスにとっては、何よりもありがたい能力。


 立場が変わっても、ジュアンの知識が役立つことに変わりは無かった。


「八時間か、それは俺の足で考えた時の話だな」

「そうですね。実際には、姫様も居ますし、街道には雪が降り出しています。あと、シームルグの住む山は険しく、登るのが大変ですよ。余裕をもって、片道半日コースでしょうね」


 ジュアンは皿に盛られた、パスタとソースをからめながら言う。

 魚醤の香ばしい匂いを楽しみながら、小さな口で咀嚼。


 上品に見えるジュアンだが、その顔つきは魔王の元で働いていた時の、魔物の鋭さを持っていた。

 久々の知的労働に、魔物としての本能が騒いでいるのかもしれない。

 普段は家事も、掃除も、洗濯も全くしないジュアンだが、こういう時は頼もしい。


「時間が無いな、必要なものは、今日中に買っておく必要がある……」


 アンドロスは食事の手を止め、口の中で小さく唸る。

 シームルグを尋ねると決めたが、そこにはまだ、多くの問題がある。

 そもそも、シームルグと話し合えるのかが疑問だった。

 もし、噂の通り、シームルグが何かの理由で暴れ出し、アンドロスに襲い掛かってきたら――。

 アンドロスは、テーブルの上で組む、自らの手を見つめる。


(また、俺は同胞をこの手で殺さなくてはならない……)


 アンドロスは、この世に生み出されてから二百年の間で、数多くの人間の命を奪ってきた。

 しかし、こと魔物に限っていえば、命を奪ったのは、先日のグリフォンが初めて。

 その時の手の震え。

 そして、後味の悪さ。

 己の経験の浅さと、その度胸の無さにため息が漏れる。


「大丈夫だ、アンドロス」


 考えるアンドロスに、優しく声がかけられる。

 顔を上げると、デスティナと目が会う。

 口の周りをソースで汚しながらも、黄色い瞳が凛とした輝きを浮かべ、アンドロスを見つめていた。


「相手は”長老種”、話せばきっと分かってくれる。今はしっかり食べて体力をつけるのだ」

「……そうですね、仰る通りです。口の周りをお拭きします」

「むっ、たのむ」


 ナプキンでデスティナの色の良い唇を拭いてやると、再びそこに笑みが浮かぶ。


 デスティナの言葉に、昔を思い出す。

 思えば、生前の魔王もこうした、自信だけが先行する言葉で部下を鼓舞していたことがあった。

 根拠のない言葉も、魔王が言うと途端に思慮深く、不敵に聞こえるから不思議である。

 しかも、それがちゃんと、皆を奮い立たせるのだから、流石だとアンドロスは感心したことがある。


(親子とは、不思議な所まで似るのだな)


 そんなことを考えて、アンドロスは魚料理を口に運ぶ。

 こんなデスティナの姿を、魔王にも見せてあげたい。

 それは、アンドロスがデスティナと出会い、胸に抱いた、何十回目になるかも分からない、叶わない願いだった。

 

◇◆◇


 食事を終えると、アンドロス達は早速、短い旅に向けての準備を開始。

 シームルグの元へは、早朝に小屋を出発し、夕刻まで歩き続けることになる。

 街や村へ立ち寄る時間は無い。

 食事は全て外、野宿もすることになるだろう。


 アンドロスは日持ちのするパンとチーズ、そして干し肉などを購入。

 続いて長歩き用の服を持っていないデスティナとジュアンのために、旅用の衣類を買うことに。

 雪が降り始めたことから、もともと二人が着てきた毛皮のコートなどは、旅には不向き。

 雨風をしのぎ、寒さに耐える丈夫な外套が必要だった。


「すみませんね、私の分まで」


 言いながら、店で一番立派な、花柄でカラフルな外套を試着するジュアン。

 黒髪をふり、くるくるとその場で回りながら、「どうですか?」とアンドロスに尋ねてくる。

 生意気だが、もともと澄んだグレーの瞳と悪戯っぽい顔つきが可愛いジュアンである。

 不覚にも、なかなか似合っていると思ってしまうアンドロス。

 しかし、絶対に口には出さない。


「金が足りない。隅に置いてある地味なヤツにしろ」


 容赦無く現実を突きつけるアンドロス。

 お金が出来たとは言え、所詮は炭と薪売り一回分。

 そこそこ贅沢な食事は出来ても、衣類に回す金は存在しない。


 ぶーぶーと文句を言うジュアンだったが、アンドロスが睨むと、仕方なく黒い無難な外套を手に取る。

 ジュアンの行動に目を光らせていると、今度はくいくいと袖をひっぱられる。

 見れば、子供用の外套を身に着けたデスティナが、傍らに立っていた。


「どうだ、似合うか?」


 デスティナが選んだのは、分厚く編んだキルト製のコート。

 柄は無地であり、フードまで被るデスティナは、まるで大きなてるてる坊主のようである。


「お似合いですよ。とても可愛いです」


 アンドロスは言いながら、店の店主に言い、デスティナのコートを購入。

 ついでに、ジュアンが持ってきた黒い地味な外套も購入した。


 外に出るなり、ジュアンも黒い外套を着用。その保温性に満足そうにうなづく。


「お前も、魔法使いっぽくて、似合っているぞ」

「魔法使いですか……まあ、人間にしたら、そういう立場になるんでしょうかね」


 言われ、ジュアンは照れたように笑ってみせた。

 旅に必要なものはそろった――アンドロスは遠く空の向こうを見つめる。


「これで準備が出来たな、明日は早いぞ、さっさと帰ろう」


 シームルグと対峙し、何が起こるか考えるアンドロス。

 殺し合いになるか、または何も起こらないか――。

 しかし、デスティナとジュアン――二人が一緒ならば、不思議と悪いことは起こらないような気がした。

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