魔斧
グリフォンと戦い、傷つくアンドロス。
かつては最強と謳われた魔物も、同じ魔物を相手に拳を振るうことは躊躇われる。
そして、そんなアンドロスを庇うように現れたのは、デスティナだった。
「もう止めるんだ、お前も永きを生きる魔物だろう」
デスティナが、優しく、なだめるような声で言う。
瞳を血走らせ、クチバシの端から涎を垂らすグリフォンは、その首をわずかに傾げ、デスティナを見つめる。
突如現れた、非力な助っ人。
それに驚いているのは、グリフォンだけではない。
「ティナ、下がってくださいッ! そのグリフォンには、もう言葉は通じません!」
「嫌だ、下がらん」
言って、デスティナはアンドロスを振り向く。
宝石よりも高貴にして、純粋な輝きを湛えた瞳。
それが、ジッとアンドロスの傷つく姿を見つめる。
「私はお前に助けられてばかりだ――だから、今度は私が助ける!」
スカートから伸びる細い足が、震えていた。
魔王の娘とはいえ、まだ幼いデスティナには、狂ったグリフォンはどれだけ恐ろしく映っているだろう。
しかし、アンドロスを助けるために、気丈にもその場に身体を張りつかせている。
子供とは思えない度胸と、魔物らしい高潔さ。
その二つが、デスティナに無謀な行動を取らせていた。
そんなデスティナを前に、グリフォンが喉の奥から苛立たし気に唸り声を漏らす。
デスティナも震える手を前に伸ばし、魔法の詠唱を開始――しかし、デスティナが放つ魔法では、グリフォンに傷一つ負わせることは出来ないだろう。
アンドロスは考える。
このままデスティナ共々、グリフォンに喰われるか。
それとも――かつての仲間を手にかけるか。
目を強く閉じ、深く呼吸を繰り返しながら考える。
何を守り、何を失うべきか。
気がつくと、アンドロスは叫んでいた。
「ザグゥ! 来いッ!」
叫び声が森に響き、その残響が小屋にまで到達。
アンドロスの生活する小屋、その傍らに建てられる納屋が、小さく震える。
納屋の奥――粗末な木箱に納められていたそれが、主の命を受け、そこから飛び出す。
それは黒塗りの武器。
納屋の壁を突き破り、森の木々を粉砕しながら、宙を回転してアンドロスの手中へと飛来したのは、一振りの片手斧だった。
刃は闇色。
柄と刃の中間に髑髏のデザインがあしらわれた、禍々しいデザイン。
それは命を刈り取る兵器であり、アンドロスの相棒。
魔王より授かりし、血に飢えた冷たい刃。
”魔斧ザグゥ”と呼ばれる、血と狂気に彩られた、精霊をも殺す呪われし斧である。
かつて、アンドロスが”転生者”と対峙した時にも振るった”ザグゥ”。
しかし、魔王が討たれて以降、戦いから遠ざかっていたアンドロスは、今日まで、その刃を納屋の奥へと潜めていたのだ。
それはまるで、主君を守れなかった自らのプライドを、封じ込めるかのように。
しかし、アンドロスは再びその暴虐を手にする。
かつての主君の忘れ形見、デスティナを守るために。
アンドロスは”ザグゥ”をその手に握りしめると、デスティナの脇をすり抜け、グリフォンの前に飛び出す。
眼前に躍り出る獲物に、グリフォンは高く鳴き声を発すると、遠慮なくその野太い前足の鉤爪を振るう。
小さな家なら一瞬で破壊するほどの、グリフォンの前足からの一撃。
獅子の足から伸びる尖爪と、”ザグゥ”の刃とが激突。
圧倒的なウェイト差がありながら、アンドロスの膂力は、巨大な鉤爪を正面から受け止めていた。
「ぬゥうううううッ! うおぉおおおおおおッ!」
腹の底から、力と共に荒々しい怒声が飛び出す。
身体から溢れ出す闘気に、落ち葉が震え、周囲の木々がざわめく。
アンドロスは自らの腕力だけで、一トン近くあるグリフォンの巨体を撥ね退ける。
小さな獲物の反撃に、グリフォンは悲鳴じみた鳴き声をあげ、木々を巻き込みながら転倒。
土煙が舞い上がり、その奥で混乱するように四肢をばたつかせる。
グリフォンに隙が生まれると、アンドロスは全力で地を蹴りあげる。
アンドロスの身体が、高く聳える木々を飛び越し、十メートル近くも上昇。
そのまま、慣性と自らの体重、そして腕力の限りを尽くし、魔斧を振り下ろしながら急降下。
さながら、一発の黒い稲妻となり、グリフォンの胴体目掛け、アンドロスは破壊的な一撃を振り下ろす。
”ザグゥ”が空気を切り裂き、グリフォンの胴体を穿つ。
強靭な体毛と分厚い筋肉に覆われたグリフォンの身体。
それが、アンドロスの力の前に、木っ端みじんに吹き飛ぶ。
その威力はとどまらず、”ザグゥ”の刃は地面を直撃。
地響きが周囲に響き渡ると、地に蜘蛛の巣状に亀裂を生じさせた。
まるで、小規模な地震が巻き起こったかのようである。
ドッと巻き起こる土煙と突風。
そんな冷たい嵐が止むと、そこにグリフォンの姿は無かった。
代わりに、血塗られた斧を握りしめ、苦し気な表情で佇むアンドロスだけが存在していた。




