プロローグ 魔王の最期
薄暗く、どこか陰湿な空気の満ちる魔王の城。
本来は魔物の唸り声に満たされるそこに、人間が波となって押し寄せていた。
金属の鎧が擦れ合う、耳障りな音が魔王城に響き渡ると同時に、その数だけ悲鳴が巻き起こる。
「いくら来ようとも、貴様らでは俺の相手にはならんッ!」
叫ぶのは、扉の前に立ちふさがる、巨大な影。
漆黒の甲冑と髑髏を模した兜は、返り血で赤黒く染まっている。
身長二メートル。
魔王を守る、最強の一体と言われる”剛魔天”の称号を持つ魔物。
それは、アンドロスと呼ばれる暗黒騎士。
その野太い腕が振るわれ、魔斧が空を斬り裂くたび、無数の人間の命が散っていく。
血と肉。
悲鳴と絶望。
それらを返り血として浴びながら、アンドロスは、口の中で小さくつぶやく。
「しかし、こいつらどこから湧いて出た――ここは魔王様の居城だぞ、人間が忍び込めるはずは……」
百年以上に渡り魔王の警護を務めるアンドロスだが、今、起こっている事態を理解することが出来なかった。
限界な警備と魔物で埋め尽くされる魔王城――そこへ、人間の軍勢が現れたのだ。
正門から攻めてきたのではない。城の中に、突如として沸き上がるように出現したのだ。
奇襲を受けた魔物たちは混乱に陥るが、そんな中、アンドロスは冷静に事態を判断。とにかく魔王を護ることを優先し、魔王の鎮座する王の間の前に戦力を固めていた。
と、そんなアンドロスの目に、一人の人間の姿が留まる。
それは場違いなほど、おどおどした足取りで、アンドロスの前に現れた。
思わず、髑髏の兜を傾げてしまうアンドロス。
「貴様、何者だ」
頭上から響くアンドロスの声に、少年はビクリと肩を震わせながら、ゆっくりと視線を上げる。
サイズの合っていない、新品の鎧。
兜の類は装着しておらず、その 黒く、潤んだ瞳が、巨体の暗黒騎士を見つめる。
どこにでも居そうな、中性的な顔立ちの少年だった。
「ぼ、僕は――”転生者”です。あなた達を、倒しに来ました」
「てんせい……? よく分からんが、こんな子供まで戦場に立たせるか。人間の愚かさの極みだな」
少年が何を言っているのか、アンドロスには分からなかった。
しかし、少年は震えながらも、その剣の切っ先をアンドロスへと向ける。
「とにかく……子供といえど、魔王様に刃を向けた報いは受けてもらうぞ」
アンドロスは言いながら、まっすぐに魔斧を振り折ろす。
魔斧から滲みだす血の臭いと、アンドロスの威圧感が混ざり合い、殺気となって周囲に巻き起こる。
常人であれば、その場で気絶するか、武器を捨てて逃げ出すほどの闘気。
しかし、少年は逃げるどころか、その手に握る剣をかかげ、果敢にもアンドロスの攻撃を受け止めようとしている。
アンドロスの魔斧と、”転生者”の剣。
それが宙でぶつかり合う。
瞬間、光が弾けた。
アンドロスは刮目する。
少年の握る剣から七色の光が放たれたと思えば、アンドロスの岩をも砕く一撃が、あっさりと受け止められていたのだ。
「な、なんだとッ!? この力は――」
振り下ろした魔斧に、手ごたえはない。まるで、光がそのまま柔らかな盾となり、少年の身体を守っているかのようだった。
次の瞬間、アンドロスの巨体は真横に吹き飛ばされていた。
驚き、しばし、思考の停止するアンドロス。
その脇腹に、少年が剣を薙ぐように振り抜いたのだ。
ブラッドドラゴンの骨から削り出した、堅牢無比な漆黒の鎧。
それが、華奢な腕から放たれる一撃に、あっさりと四散した。
◇◆◇
アンドロスは、目の前の光景を理解することが出来なかった。
冷たい床の上に倒れたまま、ただ双眸を見開き、それを見つめる。
突如として、魔王城に現れた少年が、殺戮の限りを尽くしていた。
それは”転生者”と名乗る、年端もいかない少年。
少年は、魔王の側近であるアンドロスと、その仲間を一蹴。
迫る新たな魔物を、手に握りしめる七色に輝く剣で、次々と斬り刻んでいく。
やがて魔王を取り囲む魔物の姿は消えていた。
今、少年と魔王は、一騎打ちの只中にあった。
アンドロスにとって、魔王は主であり、自らを生み出した父でもある。
命をかけて守らなくてはならないのに、少年の剣の一撃に、その強靭な肉体が動かなくなるほどのダメージを負っていた。
「ま、魔王様、お逃げ下さ――ゴぶっ!」
アンドロスが叫ぶが、途中、喉の奥にこみ上げてくる鮮血が気道を塞ぎ、はっきりと声には出せなかった。
一体、あの”転生者”とは何者だろうか。
そして、魔王すら圧倒するその力の源は、一体何なのか。
アンドロスは髑髏を模した黒い兜の奥で、そんなことを考え続けた。
魔王と”転生者”の死闘。
強大な魔力と、”転生者”の操る謎の力がぶつかり合い、魔王城が震える。
数百年間、あらゆる災害、戦闘でもびくともしなかった魔王の居城が、たった一人の少年に怯えているようだった。
魔王と”転生者”の死闘。
それが、十分程度の激突をもって、終焉を迎える。
アンドロスは見た。
”転生者”の手にする、七色に輝く剣。
それが、魔王の胴体を貫き、その体を光が飲みこんでいくのを。
魔王の口から苦悶の声が響き、その体から、鮮血の代わりに濃縮された魔力があふれ出す。
「や、止めろっ! 殺さないでくれ、魔王様ァ!」
アンドロスの言葉は、少年には届かない。
少年は魔王に突き立てる剣を諸手で握り、さらに深く、その体へと刃を鎮める。
光の中に消える、魔王の顔。
それが、アンドロスを見つめていた。
最後に、ぽつりと魔王の口から言葉が漏れる。
それを聞くと同時に、視界を塞ぐほどの光の輝きが押し寄せる。
嵐となって迫る光――その圧倒的な力の証明を前にアンドロスの意識は闇の中へ落ちていった。