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めもる

作者: 堆烏

ふと思いついたこと。ちょっと気になったこと。なんとなく気づいた小さなこと。

それらとの出会いはささやかで、微かで。

気を抜くと決して触れることのできないものだったかもしれない、貴重な出会いだ。

だから私はメモる。忘れないように。

ゴミ箱からはみ出したティッシュの形。

雨が上がったあとの雲の様子。

曲がり角を曲がるときの私の歩きの癖。

なんでもいい。でも、大事なことなんだ。

逃さぬように。抱きしめていられるように。そっと手を、伸ばしてみる。

私はメモる。私がメモる。


いつの間にかついてきた私のあだ名。実は少し気に入っている。

私はメモル。


外は寒い。そんな日でも私は手帳を片手に外へ飛び出す。

きっと何かが待ってくれてる。待ってなかったとしても私が待っているから。

朝は6時。朝が6時。別に特別な用事なんてものもない。外へ飛び出すことに理由なんていらない。

玄関には、熱いお茶が入った魔法瓶。きっとお母さんが用意してくれたに違いない。

きっとお母さんには早朝の私の行動なんてお見通しだったに違いない。

敵わないなぁって呟きながら魔法瓶を抱きしめて家を出る。

魔法瓶の下には、何やらメモが。ふむふむ。なるほどぉ。

やっぱり敵わないなぁ。お母さんには。

そんな毎日。


今日は右に行こう。そして、いつもの八百屋さんの通りをあえて左に曲がってやるんだ。


吐く息は痛いほど冷たい。周りの冷気が私に向かって刺さってくる感じ。冷気さんも私にぶつかって痛いだろうけど私も痛いからおあいこだ。


走るペースを少し上げる。向かい風が強くなる。でも私が握る手帳を吹き飛ばすには、ちょっと力不足だ。出直してこい。


通りが少し狭くなる。道路脇の用水路が、ちょろちょろと流れていく。その先を追っていくのは、きっとまた今度の冒険になる。今日はごめん。また、今度。


用水路の行く先、と手帳にメモり、私はぐいぐい進んでいく。腕時計はつけていない。時間にしばられたくないというのはかっこつけのセリフだから、私はそんなことを言わない。


単純に、分けているのだ。世界を。時間は普遍的。でもこの朝の時間は違うのだ。私の時間だから。


私の時間と世界の時間。ほら、また面白いことを考えついてしまった。

一度立ち止まり、メモる。そして今度は歩き始める。


狭い通りは住宅地の奥深くへつながっているみたいだ。朝早く出勤するサラリーマンさんが前方に現れる。


「おはようございます。お仕事いってらっしゃい!」


急に挨拶されたサラリーマンさんの顔は少し驚いていたけど、すぐにっこり笑ってくれた。


「ああ、おはよう。いってくるよ。」


そうして、すれ違う。ちょっと歩いた後、後ろを振り返る。うん。やっぱりだ。


私はしばらく前に書き込んだメモ帳のページを開く。


彼の足取りが、少し軽そうになった気がする。あいさつは、笑顔は、人の気分をよくするのだ。

笑顔は、笑顔を生んでくれるのだ。



もし、今日が初夏だったら、トンボが飛んでいるのかもしれない。綺麗な花に綺麗な蝶々があふれている気がする。

今はちょっと肌寒い季節だから、それらが見れないのは仕方がないけど、いつでも変わらないものもある。


「カラスさん。おはよう。今日もみんなここにいるのね。」


見慣れた通りに出たときに見た景色は、カラスの群れ。最初は近づくとパラパラと飛び去っていった彼らは、今ではすっかり慣れっこになっちゃったみたい。たまに肩に乗ってくれる。ちょっと鉤爪が痛いときもある。


「あら、近づいてきてもご飯とかは持ってないよ?私と違って大人なんだから、ちゃんと自給自足しないとだめなんだよ。」


カラスの年齢はどうなっているのだろうか。何歳からが大人なのだろうか。

でもきっと、ここに暮らすカラスは賢くておっきくて。ちゃんと生きてるから私よりは大人なんだろなって思ってる。


カラスにバイバイして足を進める。もう新しい道の発掘は終了。見慣れた道に出てしまったのだから、お散歩も完了。メモもたまったし感無量。ってね♪


知ってる道を通って家に向かう。


「あ。」


地平線の向こうから朝日がのしのし歩いてきた。

ぷくぷく太った朝日様はそれでもマイペースに私たちをじわじわと温めてくれる。


『あさだよ~。』


って笑いながら言ってくれる。


ああ、一日が今日も始まるんだ。でもね。朝日様、私の一日はあなたよりもちょびっと早いの。

だから、朝日様が起きるのをいつも楽しみに待ってるの。たくさんの出会いをメモりながら。


私はメモル。小さな発見も大きな体験も、なんだって素晴らしいってことを誰よりも知ってる。

だから、私は世界一幸せなんだってすっごく思う。


るんるんって気分に家の前までたどり着く。小さな私の腕の、可愛い腕時計に目をやる。

悪くない時間。ちょうどそろそろお腹がすいてきた。


「ただいまっ!」

今の私の元気が声になって家に響いた。眠そうなお姉ちゃんのもぞもぞ動く音(寝言も大きいんだよ~)、コーヒーを入れているお父さんの音、そして、


「おかえり。お腹すいたでしょ?温かいご飯ちょうどできてるわよ。」


なんでも知っているお母さんの音。

私より、たくさんの素晴らしさを知っている人。

世界一幸せそうな私の師匠。


魔法瓶の下のメモには、今日のおひさまの昇る角度と時間、私が起きてくるであろう予想推定時間が書いてあった。お母さんには本当に何でもお見通しなのだ。


【お母さんは今日も綺麗で素敵。】


朝に書く最後のメモは大抵家に帰ってお母さんに会った時。色あせない毎日の発見。

そのメモをじぶんで見てニヨニヨしていると、お母さんもニッコリしている。


お母さんのメモ帳はわたしのよりもすっごく大きい。私よりもたくさんのことを発見して、たくさん書いている。私の師匠のメモ張。


「今日の発見!」


私がメモ帳を大きく広げる。お母さんのには負けているかもだけど、幸せは共有すべきなのだ。


「おお、そうかそうか。ちなみにお父さんの今日の発見は、わが子が今日も元気いっぱいで、お父さんはすごく嬉しいってことだなぁ。」


ゆっくりコーヒーを飲んでいるお父さんの姿は、ちょっとかっこよくてズルい。


「ああああ。もう、私の発見は、我が妹が今日も朝っぱらからうるさいってことよぉぉ。」


眠そうなお姉ちゃんも起きてきた。これはきっと誉め言葉なんだってお母さんが言ってたから、私は笑顔になる。


そして、


【私の大好きな娘は今日も可愛いくて素敵♪】


お母さんの、大きな手帳の見開き1ページを使ってメモられたその一文。それに添えられたお母さんの優しい笑顔。



うむぅ。やっぱりお母さんには敵わないやぁ。



私の、今日一番の笑顔は、いつもお母さんから貰ってしまう。




まずは朝ごはんを食べよう。その前に手洗いうがいをしよう。そして、学校に行こう。

今日も、たくさんの出会いがありますように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 幸福感に満ちたお話ですね。 好奇心旺盛で、言葉に表すことを楽しんでいるメモルのようすにこちらも嬉しくなります。
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