妻に似てきた娘 (ショートショート59)
日曜日の朝。
妻はキッチンで朝食の片付けをしている。五歳になったばかりの娘――里香は、たいくつなのかオレのところへやってきた。
「ねえ、パパ。あそぼ!」
あいらしい笑顔。将来は妻に似て、かならずや美人になるだろう。
「じゃあ、パパとシリトリするか」
いろんな言葉を覚えるには、シリトリは娘の教育にもなる。
「うん、やる」
里香はうれしそうにのってきた。
「言葉の最後にンがついたら負け。それに二度、同じ言葉を言っても負けだぞ」
「知ってるよ。いつもママとやってるもん」
「それじゃあ、パパがシリトリのリから始めるぞ」
「いいよ」
「里香」
オレはまず娘の名前から入った。
「カマキリ」
里香が即座に答える。
「リス」
「スリ」
五歳にしてスリなるものを知っているとは、なんともおどろきである。
「リンゴ」
「ゴマスリ」
ゴマスリは大人の社会の言葉。意味がわかっているのだろうか。
「ゴマスリって、里香はよく知ってるな」
「だって、ママが使ってるもん」
「ママが?」
「ほら、お台所でゴリゴリって」
「そうか、そっちのゴマスリか……」
オレは納得した。
「リだったな。リ、リ……リカ」
「パパ、それ、さっき言ったよ」
「こっちのリカは里香の名前じゃなくて、勉強の理科だ」
「そっかあー」
肩をすくめてペロッと舌を出す。
そのしぐさがなんともあいらしい。
「次はカだぞー」
「カラクリ」
むずかしい言葉を知っているものだ。いつ覚えたのだろうか?
「リズム」
「ムク鳥」
「リフト」
「鳥」
返事がすぐさま返ってくる。
こんなに言葉を知っているなんて……なんともかしこいじゃないか。
オレに似たのかな。
「リリリ……猟師」
「白アリ」
またもや、リか……。
「リリリ……」
リから始まる言葉が思い浮かばない。
「リリリ……リンパ」
リンパ腺と、オレはあやうくンを言いそうになった。
「パリ」
またリだ。
偶然であろうが……。
「リリリ……竜宮城」
「ウリ」
またしても、リだ。
こう何回も続くと偶然とは思えなくなる。
「リニアモーターカー」
「カだね。カ……」
里香が考えるしぐさをする。
「カタツムリ」
これはもう偶然じゃない。
考えていたのは、リで終わる言葉を探していたのだろう。
「リから始まるヤツばかりだなあ」
オレはそっとさぐりを入れてみた。
「そうかなあ」
気づいていないのか、それとも気づいてとぼけているのか……顔の表情からは読み取れない。
「パパだよ、早くう」
「あっ、ああ。リリリ……リュックサック」
やっと思いついた。
「クリ」
即座にまたリを返される。
リリリ……リの文字が頭の中をかけめぐる。リ……リンゴはさっき使ったし。ちょっと反則気味ではあるが……。
「リンゴジュース」
「スカイツリー」
ゲッ!
またまた、リじゃないか。
こうなりゃ反則ついでだ。
「リンゴアメ」
「目薬」
これはどう考えたって偶然なんかじゃない。計算あってのことだろう。
「流氷」
「海鳴り」
まだ五歳だぞ。なんで海鳴りなんて言葉を知ってるんだ。
それにしても意地が悪い。
こうなったらこっちも意地になる。
「リリリ……旅客機」
なんとか出た。
「キリ」
「リリリ……」
リから始まる言葉なんて、そうまんざらあるものではない。
「ほら、パパだよ」
むじゃきな笑顔で催促される。
「リリリ……龍」
なんとか降参せずにすんだ。
「海鳥」
「リリリ……」
「パパって虫みたいだね」
「虫?」
「だって、さっきからリリリって、虫が鳴いてるみたいなんだもん」
すっかりなめられている。
「そうか?」
オレは苦笑いをしてごまかした。
「早く、ねえ早くう」
「リリリ……」
「パパ、まいったする?」
里香がほほえんだ口元をゆがめる。
その見下すようなしぐさが、どことなく妻のものとと似ている。
「いや、まだだ。リリリ……」
悔しいがどうしても出てこない。
だが、降参するわけにはいかない。ここはなんとしてでも父親の威厳を示さねば……。
そうだ!
オレは秘策を思いついた。
「里香、今日は遊園地に行こう。行こうのウだ」
「ウン。あっ、ウンって言っちゃった」
「里香の負けだな」
「パパって、やっぱり強いね」
里香がへへへと笑って、オレの腕にしがみつく。
なんとも妻に似てきたものだ。
都合のいいときだけは、オレを持ち上げることを忘れない。