第 二 話
煙草の吸殻を拾い集めながら、私はパリの街を行進する。
ラ・ファイエット通りには有名ブランドの高級ブティックが立ち並び、どの建物も歴史があり、白く美しい。
年末の時別な日を祝うため、人々は皆楽しそうに歩いていた。カップル、家族、観光客。
歩いている誰もが幸せそうに見える。しかしよく見れば道の隅には物乞いが空のカップを持ち、その中に小銭が入ってくるのをじっと待っている。
一人、「普通」と呼べる人々と、わずかな幸運をじっと待っている人々との中間地点に居た。
中間というよりは、どちらにも属さないのかもしれない。宙ぶらりんの孤独感を抱え、今を見つめながらとにかく歩く。
街路樹には電球のイルミネーションが施されている。ヨーロッパの夜、パリの街は遠い幻想のようだった。
ジョレスの駅を過ぎたあたりで、一人の物乞いが話しかけてきた。
古いトレーナーにジーンズ、空ろな目、顔に刻み込まれた皺は他の物乞いたちがそうであるように彼のどうしようもない人生を表していた。
「1ユーロ恵んでくれないか。」
私は丁寧に断った。「同じような状況だよ」と言いかかったが、とっさにフランス語が出てこない。言ったところでお互いどうにもならないだろう。
I'm in the fuckin' same situation as you. (私も同じような状況だよ。)
否、私にはまだ家がある。
Qu'est-ce que tu as le feu? S'il vous plaît. (ライター持っていますか?)は私の得意なフランス語だ。
「ケスク テュ エ ルフ シルヴプレ。」退屈そうにしているから火をもらい、少し話をする。そんなことを繰り返し、エッフェル塔の見える、シャンゼリゼ通りにたどり着いたのは午後9時過ぎだった。
シャンゼリゼは世界一美しい通り、といわれるように気品が漂い高級レストランや有名カフェ、LOUIS VUITTONやCartierなどの人気ブランド店でひしめいている。
凱旋門とシャンゼリゼ通りの芸術的なバランスはフランス人の美学と誇りだ。
凱旋門は女性を象徴し、エッフェル塔は男性を表しているように思える。「凱旋門(Arc de Triomphe)」は男性名詞で「エッフェル塔(Tour Eiffel)」は女性名詞だが、そんなことはどうでもよかった。
セーヌ川沿いを歩きながら、街と人々を見た。道でシャンパンを売る売り子、露店、バラの花を売るインド人、アジア系の観光客、不思議なくらい美しい女たち。年末の賑わいの中、さまざまな人が通り過ぎていく。
ただ歩いていた。別に憂鬱だったわけではないが「私が今消えてなくなっても世界にはなにも影響を及ぼさない」というなんだか当たり前で、当たり前にしてはならない様な、ありきたりを、ありきたりにしてはいけない。そんな気分だった。