〈 序 〉
彼にはいくつもの〈ルール〉がある。
ルールその1、質問はなし。
でも、たとえ質問してしまっても、彼は案外答えてくれる。――たとえば、そう、こんな風に。
「大学では何を勉強しているの?」
「畜産だ」
「妹さんは環境学部なのよね? 家業を継ぐために一緒の学部で一緒に勉強しているのかと思っていたのだけど」
「目的は同じだ」
「目的?」
「………増やすんだ」
彼はこちらを見向きもせずに質問に答える。だけど、大切な答えを言う時だけはゆっくりとこちらを向いて、視線をしっかりと合わせてくる。まるで、得物を見据える狩人のように。
でも、これは人との交流が面倒だからとか、そういうわけではないのだ。単に、彼は朴訥なのである。
あと、彼は意外と気持ちが態度に出やすい。だから、質問なんてしなくても、分かってしまうことが結構ある。
アルバイトも終わって帰るという時に、店主である私の弟は彼に店で売っている油揚げやら豆乳プリンやらをお裾分けしてあげているのだけれども。彼はそれが嬉しいのか、弟の「ほら、今日の分。おつかれさん」の言葉を聞くと、普段はしっかり仕舞ってあるはずの耳としっぽをもふっと出すのだ。顔色を変えることなく品物を受け取る彼だけど、嬉しいのか耳が微かにピクピクと動いているのが、私はとても愛らしいと密かに思っている。
ルールその2、理由は聞くな。
これは、多分、彼が口下手だから。でも、大体は行動を見ていれば聞かなくても分かることばかりだ。
ルールその3、時間は厳守。
このルールに、うちの店はとても助かっている。むしろ、お客様からもすこぶる評判が良いものだから、配達の注文がすさまじく増えた。結果として、大学での評価点がいまいちなものとなってしまっているようだ。テストの成績は群を抜くレベルらしいのに、出席回数が足を引っ張ってしまっているのだ。彼の本業は勉学なのだから、これは本当に申し訳ないことだと思う。
でも、彼が最も順守している〈ルール〉のために、彼は出席よりもアルバイトを優先させているみたいなのだ。その〈ルール〉というのが――
〈 妹 は 最 優 先 〉
彼は妹さんと一緒に住んでいる。でも、仕送りで足りない分をアルバイトで稼ぐということも、家事も、全て彼が一人で行っているそうだ。それは全て、妹さんを学業に集中させるためである。そして、妹さんの幸福のためなら、どこにでも赴き、どんな無茶でも可能にするのだ。
でも、だからといって、彼がすさまじくシスコンであるというわけでもない。彼にとって、家族が大切で何よりも大事なだけなのだ。そもそも、畜産を大学で専攻しているのも、一族存亡のためとか何とか言っていたし。
そんな〈家族を愛してやまない彼〉だが、時折、私に笑いかけてくれる。そして、作業の合間にはらりと落ちてしまった髪をスッと耳にかけ直してくれて。
「良い毛艶だな」
(訳:髪、きれいだね)
笑いかけてくれるとはいっても、口の端が僅かに持ち上がる程度で、無表情といえば無表情だ。でも、あのガタイに似合わない、つぶらな愛らしい瞳がほんの少しだけ優しさを帯びていて。
それだけで、私の鼓動は早まり、私は呼吸をすることを忘れてしまうのです。
―――これは、朴訥な彼と私が〈つがい〉になるまでの、硝煙の香りが立ち上り血と涙と汗が無駄に流れる、壮大なようで地域密着型な恋愛ストーリー(?)である。




