第八話:ひなり
次の日、予定通り俺たちは朝から部室に集まっていた。俺は真一が遅刻せずに来られるのかと心配していたのだが、明梨から聞いた話では、驚くことに一番初めにきていたのは真一だったらしい。みんな集まったのをみた真一は、一旦目を閉じたあと、カッと見開いて叫ぶ。
「ついにこの時が来た。第一回、『私のほとばしる情熱を見よ! 真の芸術王決定戦』を始め――」
「ないわよ」
真一のボケに明梨が華麗にツッコむ。こいつらなんだかんだ言いながら、いいコンビだよな。流石幼馴染みと言ったところか。
「おい、明梨。せっかくの僕の見せ場が台無しになっただろ。どうしてくれるんだ」
真一は明梨に向かって抗議をしたが、明梨はそんな真一の反応をまったく気にしないで
「そんなことより早く絵を見せ合いましょう。時間がもったいないわ」
と言って、自分の絵を机の上に乗せた。俺も同意見だったため、明梨が置いた隣に絵を置く。続いて智香も絵を置いた。
「おいおい、僕を無視するなよ。みんなノリが悪いなぁ」
真一はブツブツ呟きながら、智香の絵の横に自分の絵を置く。
こうして全員分の絵が並んだ。俺の絵についてはご想像に任せるが、……うん。なんかみんな個性的だな。明梨の絵は、所謂少女漫画のヒロインみたいな絵だった。明梨曰く、
「昔から女の子の絵を書くと、こんな感じになっちゃうのよね」
だそうだ。今さらながら、明梨がこの部に来たのは必然だったのではと、一瞬考えてしまった。
真一の絵はというと、正直本当にあいつが描いたのか疑うほどにうまかった。なんでこいつはこんなにうまく絵が描けるのに美術の点は低いんだ? 俺が疑問に思って聞いてみたところ、
「僕は興味ないものを綺麗に書こうなんて思わないのさ。林檎なんかを描いて、一体何が楽しいんだよ。結芽ちゃんを描いていたほうが断然有意義だと、いつも僕は思うんだよね」
と、特に胸を張ることなく答えた。こいつは天才なのか馬鹿なのかよくわからないときがあるな。
そして最後に智香の絵だが……、正直に言うとお世辞にもうまくはない。輪郭が曖昧で、なにより色づかいがあまり綺麗ではない。しかし、なぜだかその絵からは智香のそのキャラクターへの愛情をものすごく強烈に感じた。
「私、元の絵を写すのは得意なんですが、自分で描くとこんな下手な絵になってしまうんです。笑っちゃいますよね」
智香はそう言いながら「あはは」と、儚げに笑った。俺はそんな智香を見て、なぜだかたまらなく悔しくなった。そして気付くと、智香の頭に手を乗せて撫でていた。
「確かにお前の絵は、お世辞にもうまいとは言えない」
俺がそう告げると、一瞬智香の表情が曇る。
「けどな、お前の絵からはお前のこのキャラクターに対する気持ちがすごくよく感じ取れるんだ。この絵を見ていると、お前の『大好き!』って気持ちがわかる。俺はすごく良い絵だと思うぞ」
俺は智香の頭を撫でながら、思ったことを素直に伝える。それを聞いた智香は少し照れながら、
「ありがとうございます。純先輩」
と言い、「えへへ」と笑った。あぁくそ、本当にこいつは可愛いな。俺はずっと智香の頭を撫でていたい衝動に駆られた。しかし、後ろから聞こえた「おい、なんか神聖なる部室でいちゃついているやつらがいるぞ」と言う声が聞こえてきたので、仕方なく智香の頭から手を退ける。
「あっ」
いや、智香。そんなに残念そうな顔をするなって。彼女は少しシュンとした様子で自分の頭を軽く撫でていた。
「あれ、止めちゃうの? いいのよ? あたしたちに遠慮せず、いちゃついていても」
「そうだぞ。僕たちはいないと思っていいんだからな。存分に二人の世界に浸ってくれていいんだ」
明梨と真一は「むふふ」と言いながらにやけた顔で、俺たちをからかってきた。
「うるせぇよ。俺たちはそんなんじゃないっての!」
「そ、そうですよ。からかうのは止めてください。それよりも部活を続けましょう! そうです。それがいいのです。さぁさぁ」
智香と俺はそう言った後、自分の絵を片付けは始める。真一と明梨も智香の必死な様子を見て満足したのか、まだにやけながらも絵を片付け始めた。俺が絵を鞄にしまっていると、急に智香が駆け寄ってきて耳元で、
「せ、先輩。明日渡したいものがあるんです。放課後、お時間を頂いてもいいでしょうか?」
と、小声で聞いてきた。
「あぁ、別に大丈夫だぜ」
俺が笑いながら了承すると、智香は嬉しそうに笑った後、お辞儀をして真一と明梨の元へ走って行った。
放課後。俺が担任の鈴木と進路についての二者面談を終わらせ部室に行くと、智香と真一がなにやら真剣に語り合っていた。
「真一先輩。あなたは分かってないです。神楽耶たんは巫女服こそが至高だろ常考」
智香が鼻息荒くそう言うと、真一はやれやれといった風に首を横に振った後、
「分かってないな、智香は。確かに巫女服は、凛とした雰囲気を持つ神楽耶ちゃんにピッタリの衣装だと思う。だが、神楽耶ちゃんのスレンダーな体型に合っているのは、間違いなく浴衣だ。あの浴衣から覗く白いうなじの素晴らしさは彼女の魅力を何倍にも膨らませる。そのことが分からないお前ではないだろう?」
と、熱く語った。そんな真一の話を聞きながら唸っていた智香だったが、急にハッと何かに気付いたような顔をした。
「真一先輩。私たちは大きな勘違いをしていたかもしれません。彼女に似合う服装。それはズバリ白の袖なしワンピースに麦わら帽子ではないでしょうか!」
智香が言ったことに、真一は驚愕の顔を浮かべた。
「そ、そうか。ワンピースが醸し出す清楚な雰囲気。袖がないことによってあらわになる白く細い人形のようなきれいな腕。何よりそこに麦わら帽子を足すことによって清楚ながらも健康的な雰囲気を生み出すことができる。智香、お前は天才か。今僕たちは新たな可能性に気付いてしまったかもしれない」
真一の額から汗がつたう。正直こいつらがなにを言っているのか俺にはさっぱりだが、とりあえず本人たちは楽しそうなので放っておくことにする。
そういえば明梨はどこ行った? さっきから見ていないが。
周りを見回してみると、俺がこの部に入ってから無理言って作ったフィギュアスペース(教室の後ろのほうに段ボールの棚を作った)の唯一フィギュアが置かれていない机一個分くらいのスペースにはまり込んでいる明梨を見つけた。なんでこんなところに? なんとなく注視していると、なにやら何かブツブツ呟いていることに気付く。
「スレンダーな女性には浴衣が似合う……か。う~ん、今年は浴衣新しく買おうかな。それであいつに見せたら、流石のあいつも可愛いって言ってくれるかも。ふふっ、頑張ろう」
……女って大変なんだな。誰に見せたいのか分からないが、明梨、俺は陰ながら応援しているぞ。頑張れ、明梨。お前ならきっと大丈夫だ!
「はぁ、なんか俺だけ暇みたいだし、漫画でも読むか」
そう思って近くにあった漫画を手に取り読み始めると、思った以上に面白い内容だった。
キャラクターの個性が分かりやすく、親しみやすい。何よりストーリーに無駄な部分がなく、だらだらした部分が全くないため読んでいてあきないことが衝撃だった。
俺は知らずうちに作品の中に引き込まれていたらしく、
「あの~、先輩。そろそろみなさん帰るですよ。先輩は帰らないのですか?」
と、智香に話しかけられるまで時間の経過に全く気が付かなかった。まだ漫画の世界から完全に戻ってきていない俺が、しばらく放心状態でボーっとしいると、そんな俺の様子を見て、突然智香が口とお腹を押さえながら笑いだした。
「く、くくく、せ、先輩、今すご~く面白い顔をしてますよ。そんなにその漫画面白かったですか? まぁ、当たり前ですけどね。先輩。その本のタイトルを見てください」
智香は俺の顔を真っ直ぐ見ながら、嬉しそうに言った。智香の指示に従って本の表紙を見てみると、そこには『放課後の鐘の鳴るころに』と書いてあった。
ん? まてよ。このタイトルどっかで聞いたことあるぞ。いつのことだったか。えっと、あれは確か……そうだ! 智香と春木野に二人で行った時に、智香が欲しがった人形のキャラクターが出ている作品の名前がこれだったな。
「なるほど。確かにこれなら智香がはまる理由も分からなくはないな。面白いよこれ。ほとんどアニメとかを見たことがない俺ですら引き込まれる、独特の世界観を持っている」
俺は表紙を見ながら淡々と感想を述べる。するとそれを聞いた智香は、誇らしそうに胸を張って早口でしゃべりだした。
「それは私が部室に持ってきたのでござるよ。キリ! フヒヒ、ひなりちゃん可愛かったでしょ? あの頑張りやだけど、中々うまくできない不器用っぷりが非常に萌えるのですよ、デュフフ。先輩にも、私のひなりちゃんへの愛が理解できたようで何よりでござる、デュフ!」
智香はニヤニヤ顔であの人形を鞄から取り出す。お前持ち歩いていたのか。だから最近、急に鞄を大きくしたんだな。あまり気にしていなかった疑問が意図せず解消した。
それにしても、智香の意見に賛同するのは悔しいが、確かにひなりのキャラクターは俺も可愛いと思った。神谷ひなり。『放課後の鐘が鳴るころに』のメインヒロインで主人公大好きっこ。いつも主人公のためにいろいろなことをするのに、なぜか失敗する。それでもいつか主人公を振り向かせようと、頑張り続けるひたむきさと頑張りやところがとても魅力的なキャラクターである。
「確かにお前がなんであんなにその人形を欲しがったのか、なんとなく理解はできたよ。お前の言う通り、魅力的なキャラクターだと思う」
俺が正直な感想を述べると、智香はニヤニヤ顔から一瞬で真面目な顔になり、「決定ですね」と呟くと、
「用事が出来たので先に帰るのですよ。疾風のようにサササ」
と言いながら、走って行ってしまった。疾風と言う割にはかなり遅かったが。
「なんなんだあいつは」
まぁ、いつも通りのことだし気にしないほうがいいか。さて、俺も帰ろう。
後悔先に立たずという言葉がある。俺はこの言葉の意味を大事な人が目の前で傷ついているのを見ることで、嫌になるほど知ることになるとは、この時の俺には想像もつかなかった――