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第六話:戦友

 次の日の朝。昨日のことを真一に伝えようと立ちあがると、当の真一のほうから俺の席にやってきた。

「おい、純。どうしたんだよ、その顔。ひどく男前になってるじゃないか。喧嘩でもしたのか?」

 真一が、茶化すように言いながらも心配そうに聞いてくる。その理由は明白だ。昨日の春木野の件で、俺は色々なところを負傷したため、顔のあちこちに絆創膏を貼っていたのである。そんな俺の様子を見て、思いやりの塊である真一は放っておけなかったのだろう。  

 実は、顔中に貼られた絆創膏の半分は別にそこまでひどい傷はない。そのため、実際はまったく必要がないので剥がしても良いのだが、貼った張本人に、

「明日会うまでは剥がしちゃだめですよ」

 と、今にも泣きそうな顔で念を押されたので、なんとなく剥がせなかっただけなのである。

 それに、昨日の俺には『絆創膏を剥がさずにいけば、今みたいに真一を心配させてしまう』なんて当たり前のことを考える余裕すらなかったのだ。


 ~前日・智香の家にて~


 俺の身体が負った傷は思った以上に多かった。お腹には痣が出来ていたし、顔はすり傷だらけだった。疲労感がすさまじく、結局俺は、一時間ばかし智香の家で寝てしまった。その後目を覚ますと、目の前に心配そうに瞳を潤ませた智香の顔があった。

「純先輩、大丈夫ですか?」

 智香が声を震わせながら聞いてくる。

「なんだ。どうしたんだ、智香。そんな泣きそうな顔をして」

 何が何だかわからず、俺は智香に訊ねる。すると、智香は彼女の澄んだ茶色の瞳から一筋の涙をこぼして、むせび泣きながら話し出す。

「だって純先輩があまりに安らかな顔で寝ているから、もしかしだらこのまま起きないんじゃないかとか考えてじまったんです。こんなことになるなら……こんなことになるなら、いっそ、出会わなげればよか――」

「智香、それ以上は言うな」

 俺は、智香の頭に手を乗せて、彼女の言わんとすることを止めた。

「俺はお前に出会えて良かったと思ってる。だから、そんな悲しいこと言うなよ」

 智香の頭を撫でる。俺はこうすれば智香が泣き止んでくれると勝手に考えていた。だが、いつもと違い智香は泣き止まず、何か寂しげな表情で「それでも私は」と呟くと、部屋から出てどこかへ行ってしまった。智香の部屋に一人だけで残される。居心地の悪さが半端じゃなかった。どうすればいいのか分からずオロオロしていると、智香が目を赤くしながら、何かを持って戻ってきた。

「ごめんなさい。もう大丈夫です。救急箱、持ってきました」

 そして、俺は顔中に絆創膏をべたべた貼られたのである。勿論俺は抗議したが、智香の強情さと泣き顔に結局折れたのは俺のほうだった。

 そういえば、智香のお父さんはいつ帰ってくるのだろうか。今日の出来事について、俺には報告する義務があるのではないだろうか。そう考えた俺は、智香に確認することにした。

「なぁ、智香」

「はい? なんですか? あ、動いちゃだめです! 上手く貼れないじゃないですか」

「わ、悪い。あのさ、今日、お父さんは何時ごろ帰ってくるんだ?」

 俺の問いを聞いた智香が、ピタッと手を止める。心なしか表情が硬くなった気がする。 

「え、えっと、なぜですか?」

 緊張した面持ちで智香が聞き返してくる。問いに問いで返すなよ。まぁ、いいけど。

「今日のことについて、俺の口から報告しなくてはならないと思ってな」

「あ、なんだ。そういうことですか」

「お前はどういうことだと思っていたんだ……」

 智香は、俺の考えを聞き、なぜかホッと胸をなでおろしていた。なんだと思っていたんだ、こいつは。俺が呆れていると、智香は急に真剣な顔になり、

「今日のことについては、純先輩が報告する必要はありません。というより、お父さんの耳には入れたくないんです」

 と、重い口調で言ってきた。

「報告する必要がないって……。そんなわけには行かないだろ! 仮にも自分の娘が危険な目にあったんだぞ! 親としては知っておかなくちゃいけないことだろうが」

 俺が語気を強めて話すと、智香は静かに首を振る。そして、俺には到底理解しがたいことを平然と言った。

「私は、お父さんに憎まれていますから」




 ~現在~

 


 昨日は結局、いくら問いただしても、あの言葉以上のことは聞き出せずにそのまま解散となった。父親に娘が憎まれるなんてよっぽどの事情が無ければ起こりえない。

 今の俺にはそこまで踏み込んで話を聞くことは出来ないし、そんな資格は、ただの部活の先輩というだけの関係である俺にはない。そのため、強く問いただすわけにもいかず、結局それ以上の詮索は諦めなくてはならなかった。

 俺が気難しい顔をしていたのだろう。真一が俺の肩を掴んできた。 

 突然肩を掴まれたことで、俺の意識は思考の中から現実に戻される。

「おい、純。一体何があったんだよ」

 真一が真剣な表情で訊ねてくる。そんな真一の様子に、こいつにだけは、昨日の春木野でのことを報告するべきだと覚悟を決めた。

 怒鳴られようが、殴られようが構わない。それが、昨日智香を泣かせてしまった俺自身への罰にもなるだろう。そんなことを考えながら、俺は口を開く。

「真一、お前に昨日あったことについて報告しておく」

 俺の様子が、思ったよりも思い悩んだものになっていたのか、真一は緊張した面持ちで、

「分かった。大事な話みたいだからな。部室で聞くよ」

 と言い、部室に向かって歩き出した。俺もその後についていく。


 部室に着くと、そこにはなぜか智香がいた。

「あれ? 純先輩に真一先輩ではないですか。なぜこの時間に部室に……はっ! さては今度のコミケの対策会議ですかに? 流石お二方。こんな早い時期にもう準備し始めるとは。私も見習わないといけないですねぇ、デュフ」

 どうやらだいぶ本調子に戻ったみたいだな。俺はそのことに安心するのと同時に、昨日の出来事を智香の前で話していいのか迷っていた。すると、智香が

「純先輩。大丈夫ですよ」

 と、笑顔で話す許可をくれた。どうやら智香は、俺がこれから何を話すのか分かっているようだ。俺はまだ少し心苦しさを感じながらも、真一にすべてを話す覚悟を決めた。

「真一……実はな。昨日――」


 俺が話し終え真一の顔を見てみると、そこには今まで見たことがないほど顔を怒りで引きつらせた真一がいた。

「真一。お前の言いたいことは分かる。俺のことは好きにしてくれ」

 そう言うと、真一は右腕を振りあげた。俺は目をつぶって覚悟を決める。

「やめてください! 真一先輩」

 その腕を智香が掴んで止める。すると真一は、

「止めるな、智香。僕は――僕は許せないんだ。僕の大切な後輩と親友を傷つけやがったそいつらが! お前たちがそんな目にあっていたっていうのに、何も知らずに『俺幼』を観ていた僕自身が!」

 と、声を荒げながら叫んだ。おい、なんだよそれ。

「なんでだ……なんでなんだよ! なんで俺に怒らない! なんで俺を殴らないんだよ。俺は智香を危険な目に合わせたんだぞ。もう少しで取り返しのつかないことになったかもしれないんだぞ! なのに、なんで――なんで俺を殴ってくれないんだよぉっ!」

 知らずうちに涙が流れてきた。真一が俺のことを殴らないことが――罪を裁いてくれないことがとても理不尽なことに感じる。分かっている。これは、俺が真一に対して勝手に望んだことだ。そう。俺は真一に自分を裁いてもらうことで、再び智香との関係を修復したかったのだ。

 おそらく、智香は今回の件について俺が責任を感じる必要はないと考えているはずだ。そのため、たとえ俺が今ここで真一に殴られなくても、俺たちの関係は勝手に修復していくと思う。だが、それでは駄目なのだ。

 それでは――俺が自分を許せない。智香とこれからも一緒に笑って過ごしていけない。

 そんなことを考えていた俺の耳に真一の声が入り込んでくる。

「純。どうして僕がお前に怒らなくてはいけないんだ。お前は、ちゃんと智香を守ったじゃないか。お前は本気で智香を守ろうと戦って、そしてちゃんと守り切った。その傷がその証だよ。だから、お前はそれ以上傷つく必要なんてない」

 真一はそこまで言うと、一旦話を切る。そして、智香のほうに向くと、

「智香。純と二人で話がしたい。少しだけ外に出ていてくれないか?」

 と、穏やかな表情で頼んだ。すると、智香は少し悩んだ後、

「分かりました。三十分くらい出てきますね」

 と言い、廊下に出ていった。

 いつもはとても騒がしいこの部室だが、今この瞬間だけはまるでこの部屋だけ世界から切り離されたように静かだった。

 沈黙が流れる。真一は真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。俺も涙を拭いて真一のことを見る。

 次の瞬間、部室の中に鈍い音が響く。――気付けば俺は天井を見ていた。理由は明白だ。俺の幼馴染みが俺を全力で殴ったのである。

「いっでぇ!」

 ただでさえ腫れていた頬に更なる激痛が走り、俺は床の上を転げまわった。普段から優枝に鍛えられているせいか、痛みにある程度耐性がある俺でさえ、この痛みを耐えるのは不可能だった。痛みに苦しんでいる俺の耳に、ひどく冷たい真一の声が響き渡る。

「お前は何も悪くないのは分かっている。さっき言ったことも半分は本気だ。だが、正直なところ僕はお前を許せない。さっきは智香の手前ああいったが、どうしてすぐ動かなかった。なぜ智香を泣かしたんだ!」

 真一が俺の服の胸倉をつかんで、無理やり引っ張り上げる。俺は苦しさから、真一の腕を何度も叩いた。すると真一は我に返って、掴んでいた服を離し「……すまない」と言って俺に向かって頭を下げた。

「はぁ、はぁ、い、いや。いいんだ、真一。俺がすぐに動けなかったのは事実だし、あいつに怖い思いをさせてしまったのは完全に俺の落ち度だ。だから、頼むから顔を上げてくれ。俺のほうこそお前に智香の力になるよう頼まれていたのに、約束を守れなくてごめん」

 俺はそう言うと、顔を上げた真一に向けて頭を下げる。すると真一は、そんな俺に向かって、

「いや、もういい。僕のほうこそ悪かった。もう気にしないでいいよ。そのかわり、ここで僕に誓え。これからは死ぬ気で智香を守るって」

 と、真剣な顔で言うと、急にフッと笑いながら、とんでもないことを言ってきた。

「――好きなんだろ? 智香が」

 一瞬思考が止まった。

 は? こいつはなにを言っているんだ。俺が智香のことを好きだと? 確かに俺は智香のこと大事に思っているし、大切な後輩だと思っている。なにより守ってやりたいって思っているのは事実ではあるが――。

「俺は智香のことが好き……なのか?」

 俺が小さく呟くと、真一が呆れた顔で、俺に向かって、

「おいおい。お前まさか気付いてなかったのかよ。最近のお前は、どう見ても智香のことを気にしているだろうが。はぁ、どうしてこう僕の幼馴染みどもは鈍いのかねぇ」

 と、ため息をつきながら言ってきた。俺は、真一にだけは言われたくなかった。何故なら、(本人は気付いていなかったが)こいつは中学時代にたくさんの女にモテていたのである。まぁ、俺も最近知ったことなんだが。でも、そうか。俺は――。

「俺は、智香のことが好きなんだな」

 正直、自分の気持ちにまったく気付いていなかったわけではない。だが、それを認めてしまうと、間違いなく俺は智香とこれまでのようには付き合っていけなくなる。そのため、心のどこかでその感情に気付かないふりをしていたのだろう。しかし、気付いてしまった以上、もうこの感情を否定することは俺にはできなかった。

「真一。俺は智香が好きだ。これからあいつのためになんだってすると、ここに誓う。だから、隠さずに教えてほしい。お前は智香の何を知っているんだ。一体智香に何があったんだ?」

 俺は真っ直ぐ真一の目を見ながら問う。真一はしばらくジッと俺の顔を見たあと、ゆっくりと話し始めた。

「……あれは智香が中学二年生、僕が三年生のころの話だ」


 ~二年前~


「ふう、今日も無事に昼食のパンを買えたし、早く教室に戻るとしよう。純の奴がお腹の空き過ぎで猛獣と化しかねないもんな。なんだって、普段はあんなに周りの空気が読めるやつなのに、飯のときだけは豹変するんだろうか。幼馴染みの僕でさえ、いまだにあいつのそこだけは理解できないんだよな」

 僕は、そんなことを考えながら校舎の一番西側にある階段をのぼっていた。この階段が一番、僕たちの教室に近いからである。ちなみに僕たち三年生の教室は三階にある。その理由は、職員室がある三階を三年生の場所にすることで、進路や受験のことを相談に行きやすいようにすることと、問題を起こさないように監視しやすくするためらしい。

 一階から二階へ二段飛ばしで駆け上がって、いざ三階への階段をのぼろうと上を見たら、なぜか階段の途中に、黒い長髪を前に垂らして俯いて座っている一人の女子がいた。僕はその女の子のことを知っていた。彼女の名前は水無月智香。僕が一年前に知り合った、僕にとって放っておけない人物であり、僕の後輩である。

「こんなところで何しているんだ?」

 僕はなるべく怖がらせないように、声を抑えて彼女に話しかけたのだが、水無月はビクッと体を震わせた。そして怯えた表情で顔を上げて、僕の顔を見るとオドオドしながら挨拶してきた。

「あ……こ、こんにちは。藤岡先輩」

 水無月は挨拶をすると、また顔を伏せる。その時、すぐに伏せてしまったため一瞬しか見えなかったが、彼女の目から一筋の透明な物が流れていたことに気がつく。心なしか少し腫れていたようにも見えた。

「水無月。どうしたんだ? なんで泣いているんだよ。もしかして僕、知らないうちにお前になにかしていたのか!?」

 僕が彼女の肩を掴んで強めに問いただすと、彼女は急に顔を上げて、焦った表情を見せる。

「ち、違います。先輩は関係ありませんから。私は大丈夫ですから。気にしないでください」

 水無月は僕にそう言うと、また顔を伏せてしまう。そんな彼女の様子にただならぬものを感じた僕は、他人の事情に首を突っ込みすぎるのは良くないと分かりながらも、事情を聞かずにはいられなかった。

「気にしないなんてできるかよ! それなら、なんで僕のほうを向かないでずっと俯いたままなんだ。お前のその様子はどう見ても何かあったはずだ。僕は二次元の女の子にしか興味はないが、流石に知り合いの女の子が泣いているのを見て、放っておけるほど薄情な人間じゃないぞ」

 僕が少し強めの口調で自分の考えを告げると、水無月はゆっくりと顔を上げ、キョトンとした表情で僕を見る。そして少し経つと、急に「フフっ」と、小さく笑った。なぜ彼女がそんな反応をするのか僕には全く見当がつかず、しばらく唖然としていた。

「フフ、なんだか最後のあたり話がズレてきていますよ。……でも、ありがとうございます。あなたのおかげで少しだけ気が楽になりました」

 水無月はそう言うと、小さく笑みを浮かべた。

 少し間が空いて、彼女がまた話し出す。

「実は……私、クラスに友だちがいないんです。元々、人とあまり接してこなかったせいか、人とのうまい接し方が分からないんです。そのせいかクラスで孤立してしまって。今まではそれだけだったので、まだ良かったんです。勿論寂しかったですが、我慢できましたから。けれどそれは、この間、私が描いた絵を見られてしまってから変わってしまったのです」

 彼女はそう言うと、自嘲気味に笑った。

「絵を見られた? そのくらいなんともないんじゃないか?」

 僕が疑問を口にすると、水無月はゆっくりと立ち上がり自虐的に「アハッ」と笑うと、僕の疑問に答えた。

「見られた絵がただの風景画や人物画などならよかったのですけどね。私が描いていたのは、これだったのですよ」

 彼女はそう言い鞄の中からノート取り出す。そしてアニメキャラが書き写してあるページを開き僕に渡して立ち上がると、再び話し出す。

「それを見たクラスメイトの反応は多分先輩の想像通りです。退屈を紛らわす良いおもちゃが見つかったと思ったんでしょうね。それから私は、ほぼ毎日悪戯されるようになりました。最初は筆箱。次に上履きを隠されましたね。そして最近は、私が絵を描いていたノートの中身をグシャグシャにされました。ご丁寧に中に『キモイ』って文字付きでね。アハ、アハハ、キモイんですって! そうですよね。私みたいな友だちもいない、根暗な女がそんな絵を描いていたらキモいですよね。分かっていますよ、そんなこと! でも、いいじゃないですか。こんな私でも一つくらい楽しみがあったって! 少しくらい自分の自由にできる世界があったって! ダメだっていうんですか。それすらも私には許されないっていうんですか! そんなのって! ……そんなのってないじゃないですかぁ。うぅ」

 水無月はずっと内に秘めていた思いをぶつけるように叫び、終わったと同時に崩れるように座り込んでしまう。

 普段物静かな水無月が、こんなに感情を荒ぶらせて叫ぶなんてよっぽどのことだ。彼女と知り合って一年ほどしか経っていない僕でも、それくらいの事は分かる。

 それに彼女の様子が、話す前と今とでは目に見えて変わってきていた。目は虚ろで、どこを見ているのか分からない。それなのに、目以外の表情は全く変わらず自分を蔑んでいるかのように口元を歪ませて笑みを浮かべているのだ。僕はそんな彼女の様子を見ていられなかった。それと同時に水無月をこんな状態にした奴らに煮えたぎるような怒りを覚える。

「ゲス野郎が!」

 僕が怒りで顔を真っ赤にしながら、彼女の教室に向かうため歩き出そうとしたら、急に後ろから腕を引っ張られて止められた。

「藤岡先輩。やめてください。あの人たちは悪くないんです。悪いのはきっと私なんです。だからきっと、私が悪いところを直せば、彼らも私のこと認めてくれると思うんです。そうすればきっと、彼らとも友だちに――」

「なんだよそれ。これだけのことをされて、まだ友だちになれるなんて考えているっていうのか。そんなの不可能だし、そんな希望を持つ必要なんてないだろ」

 そう彼女に伝えようと一瞬考えたが、今の彼女にはなにをいっても通じなさそうだと考えなおして、結局その言葉は胸の中にしまっておくことにした。

 自分の考え方がおかしくなっていることにも気づかないほどに水無月は傷つき、これ以上傷つかない方法を無意識に考えてしまうほど弱っている。僕は彼女の虚ろ目と笑みから、それを理解する。では、彼女を救うにはどうすればいいのだろうか……。それを考えたとき、一つの考えが浮かんだ。

「水無月。僕の話を聞いてくれ」

 僕が訴えるような口調で話しかけると、水無月は僕のほうに視線を向けてきた。

「いいか。お前を一方的に傷つけるような奴らを友だちなんて呼ばないし、友だちになる必要なんてないんだ。お前に必要なのはそんな奴らじゃない。本当にお前に必要なのは、お前を理解し、たとえどんなに傷つけあっても、許しあい助け合える、心の底から信頼しあえる存在だ」

 僕がそう告げると、水無月は視線を左右にあわただしく動かしながら、

「で、でも、私は友だちの作り方さえ分かりません。ただでさえ人と話すのも得意ではないんですよ? 普通の友達をつ、作ることすらできないんです。だ、だ、だからそんな存在でき、できっこないです」

 と、所々どもりながら言い、俯いてしまった。そんな水無月の様子を見て、僕に出来る最善のことを導きだす。

 僕にできないことを望んでも、絶対に良い結果にはならない。

 ただ僕にできる最大のことをするだけだ。

 今、この状況で僕が出来る最善の行動。それは――。

「お前一人で出来ないなら、僕も一緒にやってやるよ。いつかお前に本当の信頼できる存在ができるまで、僕がお前の力になってやる。今この瞬間から、僕たちは『戦友』だ、智香!」


 ~現在~


「こうして、僕と智香は『戦友』になったんだ。これが僕の知っている智香の過去だよ」

 俺は真一の話を聞いて、絶句してしまった。それほどまでに智香の過去は、俺の想像を超える大きな衝撃を与えたのである。智香は少なくとも一年間、悪くて二年間もそんないじめを受け続けたのというのか。

 俺は智香の受けた苦しみを考えると、真一が何故あんなに怒っていたのかを理解することができた。そんな俺の様子を見て、真一はかすかに笑う。

「どうやらお前も分かってくれたみたいだな。僕も全力で智香を守ろうと動くつもりだった。だけどそれを智香が許してくれなかったんだ。『自分のせいで先輩に迷惑をかけたくない。なんとか自分の力で解決する』ってな。勿論僕はただ見ているなんて嫌だった。でもな、全力で変わろうとしている智香を止めることは僕にはできなかった。だから僕は、せめて智香が気を抜いて過ごせるようにアニメやエロゲの話をした。そんな風に過ごしていたある日、あいつが『今日彼らと話してきます。絶対に来ないでください』と言ってきた。最初は心配で、内緒でついていこうと考えたんだけど、念を押すように何回も言われてしまったため、仕方なく智香の言うことを守ることにした。そして放課後、心配になりながら智香を信じて校門で待っていたら、あいつが顔を赤くしながら歩いてきて、小さく『終わりました』と呟いたんだ。本当にあいつは自分の力で事件を終わらせたんだよ。そしていつの間にか、僕と対等にアニメについて語れるほどの強者になっていたんだ」

 なぁ、真一。最後のところ言う必要あったのか? まぁ、どうでもいいけどさ。

 それにしても、智香は自力でいじめを止めさせたのか。それが本当ならすごい奴だと思うが、はたしてそんなことできるのだろうか? 仮にも智香は自分を蔑むほど傷ついていたのに、自分一人でそんなあっさりと解決できるものだとは、俺には到底思えなかった。 

 しかし、今この場で真実を知るすべはないため、俺は先ほどの真一の話に疑問を抱きながらも、この機会にずっと気になっていたことを真一に聞いておこうと考え、そのことは後回しにすることにした。

「ありがとう、真一。智香の過去については分かったよ。それでだ。ずっと聞きたかったんだが、――お前は智香のことどう思っているんだ?」

 真一の顔を見ながらはっきり告げると、真一は頬をかきながら視線を逸らした。そして、大きくため息をつくと俺の顔を真っ直ぐ見返してくる。

「はぁ。お前はそういう事情について躊躇いもせずに聞いてくるよな」

 呆れた様子で苦笑いしている真一に、

「俺とお前に遠慮なんて必要ないだろ。俺たちは親友兼幼馴染み…だろ?」

 と、いつもは絶対言わないことを笑いながら俺が言うと、真一は一瞬呆気にとられた後、苦笑しながら、

「あぁ、そうだな」

 と言い、すぐに真剣な顔で質問に答えた。

「僕は智香のこと好きだよ。でも、それはあくまで大切な後輩としてな」

「え、ちょっと待て。ならどうしてお前は俺に対して、あんなに必死な形相であいつの力になるように頼んできたんだ?」

 俺が真一の返答にさらに疑問を投げ返すと、真一は自嘲気味な笑みを浮かべながら俺の質問に答える。

「それはな……智香は似ているんだよ。昔の僕に。関係づくりが下手で……どこまでも不器用で……それでも誰かと繋がっていたいと願っている。お前と出会って、『本当の友達』とは何かを知る前の僕にさ」

 真一はそこまで話すと、一旦話を止め、真剣な表情になると俺に向かって再度話し出す。

「なぁ、純。僕が何で、智香の『本当の友達』ではなく、『戦友』になったと思う?」

 真一は、俺の顔をまっすぐ見て聞いてきた。俺は真一が何を言いたいのか分からず、口を開いては考え込み、また口を閉じていた。そんな俺の反応が予想通りだったのか、真一は俺が答えないまま、また話し出した。

「簡単だ。僕では完全には智香を救えないことが分かっていたからだ。もし、僕があの時、智香の望む存在になっていたら、きっとあいつは僕に依存して他の人との関係づくりを止めてしまったと思う。それだけは回避したかった。僕は確かに智香を救いたかった。けれどそれは、表面だけじゃなく心もだ。でも、僕ではあいつの心までは救えないのは分かり切ったことだった。何故なら、あのころの僕は、根本では智香とそう変わらなかったからだ。あのころの僕はまだ弱かった。だから、本当の意味であいつを救える相手を探したんだ。本当は僕があいつを救ってやりたかった。そうすることで僕は今までと違う自分になれると考えたからだ。けれど、まだ自分すら救えていない僕には、あいつを救える存在となりえるとは思えなかった。だから僕は、自分に出来ることをすることに決めたんだ。僕に出来ること――それは、あいつの『本当の友達』ではなく、一緒に戦う仲間『戦友』になることで、あいつの一時的な心の拠り所を作ること。そして、戦友としてあいつを救える相手を共に探すことだ。それがあの時の僕の最善策だと考えた。そして、その時から僕は、出来る限り智香のことを見守り続けた。その結果、あいつは昔に比べて大分回復したと思う。そこで、僕は自分に出来る、最後の行動に出た。それはお前と智香を会わせることだった。……最初から分かっていたんだ。智香を救えるのはきっと、純。お前だけだと」

 真一は話し終え、力強い瞳で俺を見つめた後、

「純。僕はお前になら智香を任せられると思っている。だから――純、頼む。智香の支えになってやってくれ」

 と言い、頭を下げてきた。俺はそんな真一の姿から、真一の覚悟と幼馴染みだから分かる俺への頼みを読み取った。真一の頼み。それは――。

「真一。後は俺が引き受けた。必ず智香を守ると約束する。だから、もう無理するな。もう休んでいいんだぜ」

 俺がそう告げ真一の肩を二度叩くと、真一の目から一筋の涙が流れ出す。

「っ、くっ、っふぁ、ぁぁぁぁあああっ!」

 真一の頼み。それは俺が智香のことを引き受けることで、『自分はやり遂げたのだと教えてくれ』ということだった。そう。いまこの瞬間、真一は長かった使命をやり遂げたのだ。真一はこれでやっと心から休むことができる。

 この二年間、真一は一人で智香を支え続けた。きっと真一にとって、この二年間は本当に戦いだったのだと思う。真一は『智香が自分に似ている』と言った。つまり、智香を近くで支えていくというのは、真一自身の弱さを近くで見せ続けられることと同義なのだ。それはよほど辛いことだっただろう。きっと、その間にはいろいろな葛藤や自分の力不足への絶望などがあっただろうし、何度挫折しそうになったことか想像もできない。

 それでも真一は智香を支え続けた。俺の親友は遂にやり遂げたのだ。俺はそんな真一の背中をさすりながら、今まで一人の女の子のために戦ってきたこの尊敬すべき戦士の、ひと時の休息に寄り添っていた。智香が悪いのではない。ましてや真一が悪いわけでも。ただ、真一は優しすぎた。きっとこの涙はこの二年間で負った傷を癒してくれるものになると思う。

 三十分後、智香が戻ってきたときに、汚いものを見るような冷たい目で言った『先輩方、まさかそんな関係だったなんて』というセリフで、俺まで泣きそうになったことは秘密だ。

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