第二話:再会
翌日の朝。俺は耳元に置いていた携帯電話の着信音によって目覚めさせられた。いきなり起こされたことにイライラしながら画面を見ると、一通のメールが届いていた。
「こんな朝っぱらに誰だよ」
受信箱を開くと、送り主は水無月さんだった。なんだか嫌な予感がしたが、無視するわけにはいかないため仕方なしにメールを開くと、
「今日の朝、部室に来てください。お待ちしてますですよ。せ・ん・ぱ・い。朝にかわいい後輩の女の子からお誘いメールが来るなんてこれなんてエロゲw」
という内容の、部室への強制召集メールであった。ご丁寧に昨日撮られたキメ顔写真(ゲームで負けて撮られた)まで載せて。
「……はぁ、なんなんだよ。本当にさ」
俺はため息をつくと、上体を起こして時計を見る。5時半。なんだってこんな早い時間にメールしてくるんだよ、畜生!
寝起きで重い体に鞭打ちベッドから降りる。身体を解すために軽く伸びをした後、部屋を出て下の階への階段をゆっくり降りていく。
あくびをしながらリビングのドアを開けると、優枝が鼻歌を歌いながら朝ごはんを作っていた。
優枝はどうやら俺に気付いていないようで、心底気持ちよさそうに最近よく耳にするJ-POPを口ずさんでいたが、俺の存在に気付くとピタッと歌うのを止めて、目を見開いたまま固まる。
「……お、おはよう。なんだかご機嫌だな。優枝」
何とも気まずい雰囲気の中、俺がなるべくあたりさわりのないように話しかけると、優枝は恥ずかしさからか急に顔を真っ赤にさせる。そして次の瞬間、机にあった雑誌を取って俺に思いっきり投げつけてくる。 顔面直撃。ナイス投球。
「いたなら早く話しかけろよ、馬鹿野郎!」
優枝はそう叫ぶと、つけていたクマの描かれたエプロンも外さないままリビングを出て行ってしまった。
なんなんだよ。俺は悪くないだろ。……ないよな?
鼻をさすりながら自分に問いかけるが、当たり前だが答えは返ってこなかった。
優枝が朝ごはんを作るのを途中で放棄してしまったため、仕方なしにカップラーメンを作って食べていると、よれよれのティーシャツを着た、我が家一番のだらしない奴が、ボサボサの髪を掻きながら、リビングの中に入ってきた。
「あ~。よく寝たぜぇ。おっ! おはよう馬鹿息子」
そいつは、ケタケタ笑いながら俺の背中を叩いてくる。何でもいいが、人が食べている最中に背中を叩くな。むせるだろうが。
「おいおい。あんたに言われたくないぞ、駄目人間」
俺が横目で非難するように見ながら言ってやると、駄目女は怒りだす――わけではなく、さらに笑い声を大きくしながら去っていく。この駄目人間の名は渋谷奉子。俺たちの母親であり、一応名の知れた小説家だ。一回スイッチが入ると中々部屋から出てこないため、長く伸びたこい茶色の髪の毛は所々痛んでいて、常にボサボサだ。昔、手入れしたほうがいいのではと言ったことがあるが、本人曰く「面倒くさいし、どうせすぐにまた痛み出すから必要ないわよ」だそうだ。それなら別にとやかく言うつもりはないが、せめて、人前に出るときくらいは手入れしてほしいと思わなくもない。
とにかくこのとおりの性格のため、家事全般はほとんどやらない。決してできないわけではないのだが面倒くさがってやらないため、ご飯の時間はバラバラ。洗濯は皺だらけなんていうのも日常茶飯事だった。そのためか優枝が家事をやるようになったのだ。つまり優枝が何故家事をやっているのかというと、一言に母親のせいだといえる。
なぜ長女である美愛姉がやらないかって? 美愛姉は家事があまりできない。洗濯をすれば洗濯機を泡だらけにするし、皿を洗えば……もうわかると思う。うん。つまりそう言うことだ。
考え事を止めて時計を見ると、すでに7時半だった。そろそろ行かないと何されるか分からないし、行くとするか。行きに捨てるゴミ袋を片手に持って、俺は家を出た。
部室に着くと案の定にやにや顔の真一と、同じくにやけた顔の水無月さんがいた。
「水無月さん。頼むから、あの写真消してくれよ」
俺は部室に着くなり水無月さんにお願いしたが、水無月さんは、
「私の名前も呼べないのに、消せるわけがないのですよ常考」
と言って、まったく取り合ってくれなかった。なぜそんなにも、自分の名前を呼ばせたいのだろうか。俺には、彼女の考えがさっぱり理解できなかった。
水無月さんは、昨日のほとんどの時間を使って(まぁ、30分くらいだが)俺に、目を見て名前を呼ばせる練習をさせた。(これもゲームで負けたためだ)
しかし、結局俺は最後まで、水無月さんの顔を直視しながら会話できなかった。そのため仕方なしに昨日は解散となったのである。
「なぜ純先輩は、私の名前を呼べないですか。ゲームの中のキャラクターですら簡単に名前を呼び合いながら会話しているというのに。ねぇ、真一先輩」
水無月さんが心底不思議そうに、前に座っている真一に話題を振ると、真一は何度も頷くことで彼女の意見に同意した後、呆れた顔で俺を見てきた。
「仕方ないさ。純だからな」
いや、それはプログラムだからな。現実はもっと複雑なんだよ。君が見た目に反してかなりのオタクのようにさ。……なんて言えない俺はヘタレなのだろうか。いや、真一の馬鹿っぷりに比べたら、ヘタレのほうがまだマシか。
昨日分かったことだが、水無月さんはあの真一と語り合えるほどのオタクだった。あいつと小一時間、エロゲのキャラクターについて語り合えるなんて常人ではないと思う。真一は並大抵のオタクではない。それを説明するのには、数時間以上かかるためここでは省くことにするが、エロゲの裏設定から、キャラクターの場面ごとの発言の意味などを、事細かに話せるやつなんて真一くらいだろう。おっと、話しが脱線してきたな。つまり、そんな真一と語りあえるというのは、並大抵のことではないのだ。そんなことを考えていると、急に肩をつつかれて意識を現実に戻される。
「それで、今日純先輩をここに呼んだ理由はお分かりですか?」
「……昨日の入部についての返事を聞くためか」
俺がそう言うと、彼女は椅子から立ち上がり、ガッツポーズのような格好で嬉しそうに笑いながら、首を何度も縦に振った。
「うーん。昨日一日考えたが、この部に入る理由がないんだよな。確かに俺はオタクに対して偏見とかはないが、俺は別にアニメとかエロゲとかに興味はないし……」
俺が正直に自分の気持ちを告げると、見る見るうちに水無月さんから笑顔が消えていく。
「そうですか……」
水無月さんはさっきとは打って変って心底悲しそうな顔になる。そして、俺に断られたことで明らかに傷心しながらまた椅子に座りこんでしまった。そんな彼女の様子を見て、俺の中の良心が痛み始めたとき、再び彼女がゆっくり立ち上がり、瞳を潤ませながら呟くように話し出した。
「どうしても……どうしても駄目ですか?」
彼女の必死の訴えを聞き、俺の中の気持ちが揺れる。それと同時に、少し前に交わした真一との約束が頭に浮かんできた。真一のほうを向くと、また真一があの時と同じ顔をして俺のことを見ていた。
「えっとな、入るのが嫌なわけじゃないんだ。ただ、やはり俺としては何か理由がほしいわけで」
俺がそう言うと水無月さんは俯いてしまった。あわてて俺は話を続ける。
「あのさ、なんで水無月さんはそんなに俺をこの部活に入れたいんだ?」
なんとか場の雰囲気を変えようと俺が探るように聞くと、水無月さんの体が少しだけビクっと震えて反応する。
「……たいんです」
「うん?」
「じゅ、純先輩は私の本性を見ても否定しませんでした。だから……そんな素の私を受け入れてくれるあなたの――純先輩の気の置けない友だちになりたいんです!」
水無月さんはその体のどこから出したんだというくらい、大きな声でそう叫んだ。しばらく沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、今まで黙っていた真一だった。
「純。どうするんだ」
真一がいつになく真剣な声で俺に聞く。そんな真一の様子を見て、俺はやっと決心がついた。彼女の願いを叶えてあげたい。俺は水無月さんの思いを聞いて、自然とそう思うようになっていた。すぐに机にいって入部届を書き、水無月さんに渡す。
「へ? いいんですか?」
水無月さんは、差し出された入部届けを受け取ることも忘れて俺の顔をじっと見る。
「ああ。俺も今日からここの仲間に加えてもらうよ。よろしくな――智香」
俺が少し照れながら答えると、それを聞いた智香の表情がパァっと明るくなる。よっぽど嬉しいのか、しばらく唇を噛んでプルプル震えていたが、少し経つとまた部室に入ってきたときと同じにやにや顔になって、
「デュ、デュフフ、やっと名前で呼びましたか。初めから素直にそうしとけばよかったのですよ。ヌフフ、私の見事な演技のおかげで、ついに先輩の入部届を手に入れました。みなぎってきたぁーーーーです!」
と拳を上に振りあげ、心底嬉しそうに言った。
「智香、そんな顔で言っても説得力ないから。涙がでてるぞ?」
真一の奴、言わないでいてやればよかったのに。智香の目から一筋の涙が流れていた。俺は、智香の照れ隠しに追い回される真一を見ながら、こんなありふれたことに涙を流す彼女の今までの人生が気になっていた。
その日の夜、風呂から出て髪の毛を乾かしていると、携帯電話のランプが点滅し画面にはメールのマークが表示されていた。「誰からだ?」と思いながらメールを開くと、差出人は智香だった。内容を見ると、『二次元研究会の活動について』と書いてあった。活動日時、不明。活動場所、空き教室。主な活動内容、二次元をひたすらに愛でる。
「……おいおい、よくこんなのが部活として認められたな。どんな裏技使ったんだよ」
と、入部したことを少し後悔しながらさらに読み進めると『細かいことは、明日昼休みに部室で詳しく説明をしますので、できれば来てください。よろしくです』と書いてあった。
「できればってなんだよ。急に大人しくなりやがって」
俺は苦笑いを浮かべながら「了解。明日の昼休みな」と返信した。
「ふぅ。疲れたなぁ。なんだかここ最近濃い一日を過ごしている気がするぜ。……あれ? このメール、まだ続きがあったのか」
俺がなんとなくメールをもう一度見返してみると、まだ続きがあることに気付いた。ボタンをひたすら下に押し続けると、長い空白スペースの終わりに「ありがとうございます」と短く書いてある。それだけで、まぁいいかなんて思う俺はそうとうお人好しなのか、それとも……。はぁ、もう寝よう。うん、それがいい。
☆ ☆ ☆
結局あまり眠れず朝を迎え、俺は寝不足のまま学校に向かっていた。すると、分かれ道から、肩まである栗色の髪を揺らしながらどこか見覚えのある女子が歩いてきた。俺が誰だか思い出そうとしていると、向こうも俺に気付いて近づいてくる。
「おはよう」
「え? あ、あぁ。おはよう」
彼女は親しげに笑いながら俺に挨拶をしてくる。しかし、誰だか思い出せない俺は結局ぎこちない挨拶しか出来なかった。
「なに? その生返事。……もしかしてあたしのこと覚えてないの?」
彼女は、笑顔から一転して鬼のような形相で俺に詰め寄ってきた。かなり怖かったため、とっさに「覚えている」と嘘をつきそうになるのをこらえ、正直に答える。
「わ、悪い! 正直君が誰だか分からない。……俺たち、会ったことあったか?」
これ以上彼女の神経を逆撫で無いように気を付けながら慎重に聞くと、怒っていた顔がとたんに曇る。そして彼女は俯いて小さく「そっか」とつぶやき、そして、顔をあげたときにはもう元通りの笑顔になっていた。
「ごめん。あたしの勘違いだったみたい。……じゃあね、さようなら」
俺が呼び止める間もなく、その女の子は走りさってしまった。
「なんだったんだ? 今の」
釈然としないながらも、俺は学校への道のりを再び歩きはじめた。
学校に着くと、なぜか真一が俺の席に座っていた。その堂々たる座り方にむかついたので後頭部をチョップしてやった。
「お前、俺の席でなにしてるんだよ」
俺がそう言うと、真一は痛みを我慢しながら、
「人生について考えていた」
と涙目になりながら答えた。
「お前の人生なんて知ったことかよ! 自分の席でやれ」
と言いながら、さっきと同じ場所を強めにチョップしてやると「む、無念だ。グフ」と言いながら真一は倒れた。相手するのも面倒くさいので放置しよう。
「お願い。無視せんといておくれやす」
「なんだ、そのエセ京都弁は。京都に行って、現地の人に土下座してこい。朝から無駄な労力を使わせんなよ!」
とどめの一撃を放ち、真一を黙らせることに成功した。
「ふぅ、悪は滅びた。さて、予習するか」
そうこうしているうちに、ホームルームが始まり、挨拶や出欠確認が終わる。そして朝の連絡のとき、俺を予想だにしない出来事が襲った。
「え~。お前たちに報告がある。今日から、お前たちに仲間が増えることになった。入ってきてくれ」
先生が廊下に向かって声をかけると、一人の女子が教室に入ってきた。みんなが騒がしくなるなか、俺だけは何も声が出せなかった。なぜなら、その女子はさっき道で話したあの女の子であったからだ。俺が混乱していると、さらなる衝撃が俺を襲う。
「自己紹介を頼む」
「はい。私の名前は、夏目明梨と申します。今日からみなさんとこの学校で共に勉強させていただくことになりました。よろしくお願いします」
明梨の凛とした姿勢や話し方にクラス中から割れんばかりの拍手が起こる。そんな中、俺の頭の中には別の思考が浮かんでいた。
「夏目明梨? え、まさか! あの明梨なのか」
俺は明梨という人物に心当たりがあった。小さい頃、俺と真一が一緒に遊んでいた少女の名前が明梨だったのだ。つまり、もし彼女が『幼馴染み』の明梨なのだとしたら、夏目は俺と真一の幼馴染みということになるのである。
明梨は確か8年前までこの町にいた。しかし、親の都合で突然引っ越していったため、それ以来住所も分からず連絡が取れなくなってしまった。
もう一度、目の前の女の子を見る。確かに明梨の髪の色は茶色だったし、昔からかなり可愛かった。だが今目の前にいる彼女は、昔とは比較にならないほどにすごく綺麗になっているし、あのころの明梨の髪は長かったのに対して、目の前の彼女の髪の長さはショートである。それにこれが一番重要だが、昔の明梨はあんなに女らしくなくて、外を一日中走り回っているような活発な少女だったのだ。そのため、全くと言っていいほど確信が持てなかったのである。
俺は真一の席に顔を向ける。どうやら真一も同じことを思ったらしく俺のほうを向いていたため、視線が合った。しばらくお互いを見つめていたら、真一が急に照れだす。なんだあいつ。心底気持ち悪い。後で十字固めの刑に処してやる! 夏目のほうに視線を戻すと、転校生に起こりがちである質問攻めにあっていた。
「夏目さん、どこから転校してきたんですか?」
「朱紅高校です」
「趣味はなんですか?」
「料理とテニスです」
「彼氏はいますか?」
「……ノーコメントで」
クラス中からの質問にテキパキと答える夏目。そんな様子を眺めていたら、先生の怒りの声が教室中に響き渡った。その途端、教室中が静まり返る。
「質問は後にしろ。ホームルームが終わらんだろうが。夏目、お前の席は渋谷の隣だ」
先生がそう言うと、彼女は軽くうなずき俺の隣に歩いてくる。そして、自分の席に座る直前に俺のことを横目で見て、隣の席に座る。夏目が座ったのを確認すると、先生がまた話し始める。
「よし。夏目も座ったことだし、これでホームルームを終わりにする。お前たちの気持ちも分かるが、あまり夏目を困らせないように。それと、一時間目は移動教室だから遅れないようにな。日直」
日直の号令でホームルームが終了したと同時に、夏目の周りに人が群がってくる。本当にあの明梨なのか聞きたかったのだが、とても聞けるような状態ではない。
「仕方ないから、真一に罰を下しにでもいくか。明梨には後で隙をみて話しかけることにしよう」
そう考えて、俺は真一の席に向かう。その後、教室中に一人の憐れな男の断末魔が響き渡ったのはいうまでもない。
その日の午前の授業をそつなくこなし、ついに待ちわびた昼食になった。俺はなんとか夏目と話せないかと思い、隣の席を見ると、彼女はすでにそこにはおらず、代わりに委員長の双葉とその友達の岡部が立っていた。
「ねぇ、純君。夏目さんどこに行ったか分かる?」
「いや、知らないけど」
双葉の質問に首を振りながら答える。
「沙月。探しに……行く?」
「う~ん、そうだねぇ。夏目さんと話してみたいし」
二人はそう言うと、廊下のほうへ向かって歩き出した。
「なぁ、それなら俺が探してこようか?」
「え? どうして純君が探しに行くの? あ、もしかして美女に囲まれてお昼御飯が食べたいとかかなぁ~? うふ、純君もなかなかプレイボーイだねぇ」
俺の提案に、双葉がにやけながら笑えない冗談を言ってくる。双葉の言っていることに一瞬だけ魅力を感じてしまった俺はとてつもなく情けない気持ちになった。俺だって高校男子なんだよ! ……誰に言い訳しているんだか。
「違うっての! ちょっと、夏目に聞きたいことがあるからそのついでだ」
「……ナンパ?」
岡部まで笑えないことを言い始める。このままじゃ話が進まない。
「と、とにかく行ってくるから、お前らは教室にいろよ」
そう告げて、双葉たちに止められないうちに夏目を探しに、足早に教室を出た。授業終了からまだあまり経っていないので、そんなに遠くには行っていないだろうと考えながら明梨を探していると、廊下の曲がり角から手招きが見えた。もしかしたらと思い、そこに行ってみると、案の定そこには夏目がいた。
「ちょっと着いてきて」
そう言うと、夏目は俺の手を引いて階段を上っていく。なんかデジャヴだな、この感じ。まるで数日前の出来事を繰り返しているみたいだ。心配になって夏目を見る。心なしか手を引いている彼女の顔が赤い気がしたが、おそらく俺の気のせいだろうと思い直した。階段をどんどん上に上っていることから、目標地点は屋上だと思い至った俺は、
「変なところに連れていかれなくてよかったぁ」
と少し安堵しながら、夏目とともに階段を上っていく。階段を上り終え、横開きのドアをスライドさせて開けると、突然目に入ってきた日光に少し目がくらんだ。今日は晴れて気持ちがいい天気だ。真一が寝ているのも分からなくはない――って真一?
「よう、親友。お前も日向ぼっこしにきたのか?」
呑気にそんなことを言ってくる真一。
「なんで真一がここにいるんだ?」
と、疑問に思っていると、こちらを振り返った夏目がその理由を話しはじめた。
「あたしが呼んだのよ。久しぶりに幼馴染みで集まりたかったから。久しぶり、純。真一」夏目の『幼馴染み』という言葉を聞いて、俺の中の疑惑が確信に変わった。
「じゃあ、やっぱりお前は8年前まで一緒に遊んでいたあの明梨なんだな」
俺がそう言うと夏目――いや、明梨は真顔でコクリと頷く。そして突然、俺に向かって頭を下げてきた。
「朝は睨みつけたりしてごめんなさい。8年も会っていないのだから分からなくて当然なのに。理不尽……だったよね」
明梨はシュンとなりながら、俯いてしまう。俺はそんな明梨の様子に一瞬固まってしまい、すぐに答えられなかった。しばらくして思考が再開すると、あわてて明梨に話しかける。
「いや、俺のほうこそごめん。言い訳になるが、明梨のこと覚えてなかったわけではないんだよ。ただ、お前が昔に比べて綺麗で、女らしくなっていたから、記憶の中のお前と結びつかなかっただけで……」
俺が真顔でそう言うと、明梨はキョトンとして、すぐに顔を真っ赤にした。そしてそっぽを向くと、
「急にそんな恥ずかしいこと真顔で言わないでよ。……恥ずかしいなぁ」
と、胸をおさえながら言った。そんな明梨の様子にさっきまで感じてなかった気恥ずかしさを感じた俺は、明梨のことを直視できなくなってしまう。俺たちの間に漂っている甘酸っぱい空間に耐え切れなくなった俺は、さっきからそこで寝ている馬鹿に視線を移した。
「ところでだ。お前、さっきから起きてるだろ」
俺がそう言うと、俺に向けた背中がビクッと震える。
「……ぐがー」
こいつ俺のこと馬鹿にしているのか。いや、もしかしたら本当にこれで騙せると考えているのかもしれない。真一ならありえるな。とりあえずこのままじゃ話が進まないし、優しく起こしてやるか。
「真一くーん。そろそろ起きましょうねぇ」
手の関節を鳴らしながら、真一のもとへ歩いていく。すると真一は、運動部顔負けの俊敏な動きで起き上がり、
「おはようございます。隊長!」
と、背筋をピンと伸ばして俺たちに向けて敬礼した。真一の意味不明な行動に、明梨が「なにこいつ」と言いたげな顔で軽く引いていた。まぁ、普通ならそう言う反応になると思う。真一の行動に慣れてしまったことに軽く絶望しながら、明梨に説明をする。
「あのな、明梨。真一はもう8年前のあいつじゃないんだ。今の真一は俗にいう『オタク』で、たまに奇怪な行動をするんだ」
明梨は俺の説明を聞き驚愕の顔を浮かべたあと、真一を見て心底嫌そうな顔をした。俺は真一に同情しながら、再び意識せずに明梨と話せる雰囲気に戻してくれたことに関して感謝する。
「いや、流石に奇怪は言い過ぎだと思うんだけど……まぁ、いいや。ところで、明梨」
敬礼をやめた真一が、俺がここにきてから初めて明梨に話しかけた。
「なに? 真一」
流石は幼馴染。もう真一に対して普通に接している。そのことに対して感心しながら、真一の次の言葉を待っていると、真一の奴はまたも意味不明なことを言い出した。
「明梨は僕の幼馴染み。つまり、これから僕のことを毎日起こしに来てくれるんだよな。いやぁ、悪いね」
「……なんでそうなるの」
明梨が呆れた顔でそう言うと、止めとけばいいのに真一は続きの言葉を口にした。
「だってエロゲの世界では、幼馴染みはそうするものだからさ!」
何を言っているんだ、こいつは。ほら、明梨がお前のこと軽蔑の目で見ているぞ。今回は完全に真一が悪いため、流石に俺もフォローのしようがなかった。
「はぁ、もういいわ。純、また放課後に話をしましょう」
明梨は疲れた顔でそう告げると、入り口にむかって歩いて行った。
「え? え? どうしたんだ。なんで解散になってるの?」
真一は自分の言動のせいでこうなったことを理解していないらしい。俺はたまにお前のお気楽な脳が羨ましくなるよ。明梨が教室に戻り話が終わってしまったので、俺も教室に戻るため入り口に向かい歩き始めた。すると真一が、
「純も戻るのか? 僕と一緒に昼休みが終わるまで日向ぼっこしていこうぜ」
とキメ顔で誘ってきたが、無視して階段を降りる。後ろから真一の、
「僕一人にするなよ~」
という声が聞こえたが、聞かなかったことにして俺は教室への道のりを小走りで帰った。
教室に帰ると、明梨は双葉たちと昼食を食べていた。その様子を見たら、意地汚い俺のお腹が「グ~」と鳴りだす。よく考えたら昼ごはんを食べてなかったことに気付き、急いで購買に食べ物を買いに行こうと廊下を歩き出したとき、何かが引っかかった。
あれ? 俺なんか忘れてないか?
『細かいことは、明日昼休みに部室で詳しく説明をしますので、できれば来てください。よろしくです』
「そうだ! 智香に呼ばれていたんだった!」
智香との約束を思い出した俺は、空腹感も忘れて急いで部室に向かった。しかし――。
「……いない」
既に部室には誰もいなかった。教室に入って周りを見回してみると、机の上にプリント(どうやら手書きのようだ)が丁寧に並べられていた。その様子を見て、俺は心の底から思った。
「俺……最低だ」
☆ ☆ ☆
その日の放課後。俺は一刻も早く部室に行きたかった。智香に昼休みの件を謝りたかったからだ。しかしこんな時に限って、掃除場所は一番面倒くさいうえに、一番時間がかかる教室掃除だった。俺はとにかく早く終わらせようと、いつもの倍以上の勢いで掃除をしたが、せいぜいサボり魔がいない分を埋める程度の時間しか変わらなかった。その噂のサボり魔は今頃、部室でのほほんとしているだろう。
「部室に行ったら智香に謝る前にあいつをどうにかするか」
と、そんなことを考えながら掃除を終わらせて、いざ部室に行こうと教室を出ようとしたとき肩を叩かれた。後ろを振り返ると、そこには明梨がいた。そう言えば昼のとき、放課後に話す約束をしていたことを思い出した。しかし明梨には悪いが、あまりゆっくり話している時間はない。手短に済まそうと俺は決心し、その旨を明梨に伝えようと口を開きかける。ところが、俺が話し出す前に、なんと明梨のほうから助け舟を出してくれる。
「純、急いでるの? あまり話す時間がないならまた今度にしようか?」
明梨は少し残念そうにそう提案してくれたが、放課後の件に関しては、先に約束をかわしたのは明梨とである。そのため、俺の都合で約束を蔑ろにするのは憚られた。しかし、時間がないのもまた事実であるため、せめてもの誠意として、急いでいる理由だけは伝えておくことにした。
「ごめん。ちょっと部活に行かなくちゃならなくて急いでいるんだ。また今度でもいいか?」
俺がそう言うと、明梨は急に瞳を輝かせて、
「部活? なんか楽しそう! あたしも連れてってよ」
と、身を乗り出しながら俺に頼んできた。
「お前は来ても楽しくないと思うぞ? やることがやることだし……」
俺は思ったことをそのまま言っただけなのだが、どうやら明梨の対抗心に火をつけてしまったようで、
「行ってみないと分からないじゃない!」
と言い張り、ドアの前から動こうとしない。そのため、仕方なく連れていくことにした。ここで時間をロスしているほど、俺に余裕はない。一刻も早く智香に謝らなくては!
「それに、明梨も部室に行けば嫌がって帰るだろ。なんせあいつはいるし、あの部屋だからな」
そんなことを考えながら向かっていたら、すぐに例の空き教室に着いた。今さらになって明梨を連れてくるべきだったのか悩んだが、すぐに「いまさら考えても、もう手遅れだな」と考え直し、教室のドアを開ける。するとそこにはフィギュアを上に掲げて、小踊りしている智香の姿と、それを満足げに眺めている真一の姿があった。智香の踊っている姿を見た明梨は、
「何あの子……」
と、小さく呟く。まぁ、何も知らない奴がこの光景を見たらそう思うよな。明梨の反応は普通のものだと思う。俺がそう考えながら、明梨にこの部活について話そうと後ろを向いたとき、予想外の明梨の発言が俺たちを驚かせた。
「すっごく可愛いじゃない!」
その場にいた全員が目を点にして黙り込んだ。そして、次の瞬間俺と真一は、
「なんだよ、その反応!」
と、突っ込まずにはいられなかった。明梨はそんなことは気にせず、智香のほうへズンズンと近づいていき、勝手に自己紹介を始めた。
「初めまして。あたしは夏目明梨と言います。今日、この学校に転校してきたの。あなたの名前は? ぜひ教えて!」
明梨が怒涛の勢いで自己紹介すると、智香も少し顔を引きつらせながら、
「えぇっと、わ、私の名前は水無月智香です。一年生でございます。よろしくお願いしますです。そそそそれと、あ、あまりグイグイ来られると困るのですよ。まぁ、な、な夏目さんはすごく可愛らしいので悪い気はしませんが。デュ、デュフフ。可愛い女の子に迫られるなんてこれなんてエロゲ。幸せすぐる」
と、困っているのか嬉しいのか分からない自己紹介をした。まぁ、おそらく嬉しいんだろうな。智香が今までどう過ごしてきたのかは知らないが、学校であいつと女子が一緒にいる姿なんてあまりみたことがないから、この学校で女子の友達は少ないのかもしれない。そんなことより、俺には明梨に聞きたいことがあった。
「なぁ、明梨。お前はオタクが嫌いなんじゃないのか?」
先ほどの真一に対する反応を見るとそうおもったのだが、明梨は俺の質問を聞くと、
「あたしは別にオタクが嫌いなわけじゃないわよ」
と、なんでもないことのように真顔で答えた。そこで俺には、さらに新しい疑問が浮かんだ。
「それなら何で真一は駄目で、智香は平気なんだ?」
なんとなく想像できるのだが、一応俺が聞いてみると、明梨は心底面倒くさそうに、
「だって、久しぶりに会った幼馴染みにあんなこと言うような奴を、好きになれるわけないじゃない。ちなみに言っておくと、あたしはあの瞬間からあいつを幼馴染みとは認めないことにしたから」
と、答えた。俺はどう反応していいのか分からず、「そ、そうか」としか返事を返せなかった。ふと気になって真一のほうを見ると、明梨の言葉を聞いた真一は完全に魂が抜けたように放心状態になっている。しかし、これについては完全に自業自得であるため、まったく同情は沸かなかった。
そこで話が一旦途切れたので、俺は自分の要件を済ませるために智香を呼ぶ。
「智香、ちょっといいか?」
俺が呼ぶと、智香は少し気まずそうに、手を後ろに組んでやってきた。
「昼休み、部室に行けなくてごめん。どうしても外せない用事が出来てしまって、お前との約束を蔑ろにしてしまった。本当にごめん!」
俺は智香に向かって、深く頭を下げる。その様子を見た智香は、優しい声で俺に話しかけた。
「……純先輩。もう気にしなくていいですよ。『できれば』って自分から言ったのに期待した私が馬鹿だったんです。それにどうしても昼休みじゃなければいけなかったわけではないのですから。……でも、もし本当に悪いと思っているなら、今度一緒に春木野に行って、私の好きなもの買ってくださればいいです。も、勿論、無理やりとは言いませんけど」
おいおい、結構現金だな。しかし、どうやら許してくれるようなので俺は心底安心した。――あれ? これってもしかしてデートの誘いなのか? いや、そんなことないか。ちなみに、春木野というのは地名で、大規模な電気街であるが、アニメやゲームのグッズを取り扱っている店も多いことから『オタクの聖地』と呼ばれている場所である。
俺たちの会話が終了するのと同時に、いつの間にか復活していた真一が、明梨に話しかけ始めた。
「明梨さん。僕が悪かったです。どうか昔のように付き合ってください。お願いします」
「こっちこないでよ。気持ち悪いから」
明梨の辛辣な言葉に、真一の目から涙がこぼれる。
「うわぁ、真一先輩泣いているですね。純先輩いいんですか? 放っておいて」
智香はそう言いながら、俺を横目で見てくる。確かに今回は少し言い過ぎな気もする。仕方ない。少し注意しておくことにしよう。
「明梨、流石に今のは厳しすぎないか?」
「あいつが気持ち悪いことばかりしているのが悪いんでしょ。それに純だって、あいつにいろいろ言っているじゃない」
明梨は拗ねたような顔で抗議してきた。「お前は子どもか」と思いながら、明梨の抗議に答えてやる。
「あのな、確かに俺もあいつにいろいろと言っているのも事実だが、俺はあいつが泣くとこなんか久々に見たぞ。それに、男の俺に言われるより、女のお前に言われるほうが傷つくことだってあるだろ? それにな、あいつは馬鹿でオタクだけど、変わってないところだってあるんだ。まだ再会したばかりで今の真一を否定するのは違うんじゃないか?」
俺がそう言うと、明梨は何か考えるように顔を曇らせて真一を見た。そして、真一に近づくと小さく「ごめん」と言った。
しばらく経ち真一が泣き止むと、智香が場の雰囲気を変えるように、声を張り上げて話し始めた。
「そ、そう言えば、え、えと、あ、明梨、せせせ先輩はこの部に入ってくださるのですか?」
まだ明梨に対して接し慣れてないのか、智香は少しキョドリながらそう言って、入部届とペンを取り出してきた。そう言えば、明梨はそのあたりのこと考えていたのだろうか。最初はすぐに帰ると思っていたのに、まだこの部にいるってことは脈ありのように思えるけど……。
「うーん。あんまり深く考えてなかったんだよね。でも智ちゃんは可愛いし、純が一緒なのは楽しそうだし、……今の真一を見極めるためにも、この部に入るのも悪くないかも知れない」
明梨はそう言うと、智香から入部届とペンを受け取り、とても達筆な字で記入して智香に渡す。そして、真一のほうを向くと、
「もし、あんたに少しでもいいところが残っていたら、接し方を考え直してあげる」
と、少し顔を赤くしながら言った。
「デュフー! 新しい仲間ゲットなのです。しかも、女、念願の女の子ですよぉ。もうこれは、パーティーを行うフラグが立ったとしか言えません。さぁ、レッツパーティーでござるよ、キリ」
智香は相当嬉しかったのか、いきなりパーティーをやると言い出した。しかし、その日はみんなの持ち合わせがなかったため、後日改めて行うことになった。余談だが、その日の智香はいつもに比べ、目に見えるほどウキウキしていた。




