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P5

退院した日は、梅雨の中休みで、久しぶりにからっと晴れた。夏を思わせる日差しが、アスファルトの水たまりに反射して眩しい。平日の午前中に諸々の手続きを済ませ、久々に自宅で昼寝をした。

湊に「退院した」とメールをしたけれど、後は他の誰にも連絡できなかった。修は、僕に何を話すつもりなんだろう。早く話したい気持ちと、真実を知る恐怖と。まだ体が本調子じゃない気がする。一応、明日一日は休むことにしているけれど、明後日からは学校に行こう。夕方、まだ薄明かりの残る時間、ふと思いついて買い物に出かけた。明日の朝ごはんを買っておこう。あと、飲み物を何か。家にも用意してあったけれど、外にでたかった。普通の街の空気を吸いたい。財布と家の鍵だけを持ってふらりと街へ出た。


「あ」


「え、ああ」


「神崎君」


北澤さん。

僕の住むマンションは、学校から歩いて十分くらいの場所にある。特に何も考えずにいつも寄る、学校に向かう途中にあるコンビニを目指して、制服姿の彼女と、ばったり会ってしまった。ある意味、いま一番会いたくない人。


「入院、していたんだよね、もう大丈夫なの?」


「おかげさまで。今日退院したところ」


「佐倉君、詳しい事は話してくれなくて」


じゃあ、そういう事で、と通り過ぎようとして、彼女の言葉に、思わず硬直してしまった。黒い何かが湧きあがる。


「修? 別に、そんな親しい訳じゃないし」


「え、そうなの? すごく仲、良さそうと思っていたんだけど」


「病院にも、来なかったくらいだよ。湊と早瀬は来てくれたけれどね」


彼女には関係ない事だと、頭ではわかっていたけれど、思わずムキになって半ギレでそう吐き捨てた。北澤さんは、少し視線を落として何かを考える風にしてから、ちらりと僕を見た。


「佐倉君から、何か聞いている?」


「修から? いや、別に」


「そっか。

 本当に、私が思っていたより、佐倉君と神崎君、

 親しいわけじゃない、って事かもね。

 それか、佐倉君が、すごく照れ屋って言うか、

 恋愛話みたいなのが苦手、とか」


恥ずかしそうに肩をすくめる彼女の笑顔に、ずきん、と胃のあたりが縮む。恋愛話って、なんだ? 修と北澤さんの間にある、恋愛に関する事で、僕に報告して然るべき事があるってわけか。


「さあね、かなり奥手だとは思うけど」


「神崎君は、なんとなく慣れてそうだよね、いいな」


「慣れている? いいなって、何が?」


できる限りにこやかになるように、感情を抑えて言った。よく考えれば、相手をする必要なんてなかったけれど、決定的な答えを知りたかった。修を、どう思っている? 二人でどんな会話をしている? 僕が知っていて当然なのに、修が隠している事ってなんなんだ?


「神崎君の彼女だよ。大事にしてくれそうじゃない? 羨ましいな」


で、私の彼氏の修は相手にしてくれないからつまんないって? どくんと鳴る心臓と、ぐらぐらする意識、陽は沈みかけているというのに、じっとりと蒸し暑い大気が冷静な思考を邪魔する。

北澤さんの表情と言葉、うまく言えないけれど、発する雰囲気に、異様にイライラした。僕がまだ実家の方にいて、リュシオル学院の中等部に通っていた頃、定期的にこんな目と声で僕に近付く女が現れた。僕の家、コウサキの財力だかステータスだかが目当てなのか、僕自身に興味があったのかは知らないけれど、中学生だった僕に、こんな風に、媚びるようにすり寄ってくる女が。北澤絵梨花は、何を企んでいるんだろう。修の友達である僕に、こうして近付こうとする意味は? 将を射んと欲すれば、ってやつか? まさか、男にはとりあえず媚びておこう、なんてキャラだったとか?


「僕に恋人がいるなんて、誰から聞いたの? そんなのいないよ」


「そうなんだ? でも、もてるでしょ?」


こういったやり取りも、距離を詰めようと図りあう時に、よくある。こっちの答えは(そんな事ないよ、もてないよ)っていう否定でもいいし、(まあ、そこそこね)という肯定でもいい。恋愛ゲームのフィールドに持ち込むための布石みたいなものだ。今まで相手にしてきた女は、どこか遊び慣れたような年上ばかり。親父の会社のヒト、友人の姉、その友だち。時に、友人の母親。言葉遊びは、慣れたもの。高校生女子なんて、楽勝。

修に、あんなに積極的にまとわりついているクセに、僕にまでそんな風に接する彼女に、不快感と、ちらりと、邪心が芽生えた。修から、引き離してしまおう。こんな不誠実な事、修には相応しくない。壊れてしまえばいい。今なら、簡単にイケる。


「そんな事ないよ。北澤さんの彼氏の方が、羨ましいよ」


「えー、うまいなあ」


「本当だよ。ちゃんとした彼氏がいないなら、立候補したいくらい」


さっと彼女の表情が変わる。


「それ、本当? 本当に、いいの?」


なんだ、このリアクション。狙いはしたけれど、うまくいき過ぎ、というか。突然の、予想外の反応に理解が追い付かない。本心が読めず、顔を見つめていると、じんわり涙を浮かべている。


「うれしい、私も、ずっと神崎君の事、好きだったんだ。

 佐倉君に協力してってお願いしていたんだけれど、

 なかなか動いてくれないから、

 神崎君、実は彼女とか好きな人とか、いるのなって、

 私じゃだめなのかなって諦めかけていたの」


え。


「でも、神崎君、いつも私の方みていたでしょう?

 それで、本当はちょっと気づいていたんだ。諦めないでよかった!

 あ、いけない、今日は急いで帰らないといけないの。

 明日から学校行ける?

 あー、ほんと、すごくうれしい。

 本当に、佐倉君から何も聞いてないの?

 神崎君とそんなに仲が良い訳じゃないのなら、

 仲を取り持ってって頼んだ時、

 ちゃんとそういって断ってくれればいいのにね?

 ま、佐倉君の事は、もういいか。また、学校でいろいろ話そうね。じゃ」


え。


ええ? 今、何が起こった? 僕の横をすり抜けて走っていく彼女の背中をぽかんと見送った。え、いや、うれしいって、何が? え?

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