P4
入院、五日目くらいの夜だった。
傷の痛みを庇いながら病院内を歩くくらいじゃ、早すぎる消灯時間に、寝付くのは難しかった。薄暗い病室の外は、しんとしているけれど、誰かが動く気配が伝わってくる。白い天井を見あげていると、胸がムカムカ、ジリジリして、悪い考えばかり浮かぶ。
禁止されていたけれど、堪えきれず、布団をかぶって、こっそり修に電話をした。コールの間、ドクドクという鼓動が、耳の奥に響いて、泣きそうになった。
「もしもし? 伊月?」
ケータイ越しの修の声に、ざあ、と、一気に血液が体中を駆け巡る感じがした。
「起きていた?」
「うん、そろそろ寝ようかなって思っていたところ」
「そっか」
しばしの沈黙が、僕の何かを締め付ける。戸惑うように、修が言葉を続けた。
「体調、どう?
伊月も、もう寝る時間なんじゃないの?」
「体調は、まあまあ、だけど、なんだか眠れなくて。
修は、どう? 体調」
「体調?」
「風邪、ひいていたんじゃ?」
「あ。ああ、えっと、うん、大丈夫だよ」
風邪をひいたなんて、ウソだったんだ。純粋さは残酷だ。ウソを隠しきれない修。ぎゅっと胸がつまる。なんで、そんなウソを。
「修は、何をしていたの?」
「何って、別に……。
眠れないなら、看護士さんに相談してみたら?」
なんだろう。どこかよそよそしい。まるで、早く電話を切りたいみたいに。抑えようとしても、唇が、声が震えてしまう。聞くべきじゃない、追い詰めるべきじゃないとわかっていても、感情が止められない。
「修」
名を呼ぶと、再び沈黙が降りた。電話の向こうで、どんな表情をしているんだろう。
「あのさ、何か、僕に隠していない?」
「え?」
ぞくり、と、血液が冷たくなった気がした。発音で気付いてしまった。
この「え?」は、「なんでわかっちゃったの?」の、「え?」だ。
「風邪をひいてお見舞いに来られないっていうの、ウソだったんだよね?
ずっと、気になっていたんだよ。
隠されるくらいなら、本当の事を知りたい」
何を隠している? まさか。けれど、でも。耳に押し当てたケータイの向こうで、小さなため息が聞こえた。
「伊月が退院したら、ちゃんと話そうと思っていたんだ。
今は、体を治す事だけ考えて。何も考えないで、寝て」
「修、それって、北澤さんと関係ある事?」
(北澤さんと、付き合う事にした)
頭の中に、修のセリフがちらりと過った。そんなはず、ない。僕が考え過ぎているだけだ。修は、笑って否定してくれる。頭の中の大部分を占めている答えはそれで、ほんの僅か、芽生えてしまった不安を、拭いたいだけだった。甘えて、安心させて欲しかっただけだった。けれど、三度訪れた沈黙は、残酷に僕の問いを肯定した。
「とにかく、今は。もう、時間も遅いし。
伊月が元気になったら、会って、ちゃんと話すから。ごめん」
「それは、何に対するごめん、なの?」
「後で話すよ。とにかく、寝よう。体に良くないよ。
ね? おやすみ。切るね」
待って、という間もなく、通話終了を告げる音が響いた。体が揺れる程、心臓が強く脈打つ。
なんで? なんで?
その言葉ばかりが繰り返される。入院の一週間は、長く、けれど、振り返れば病室での事なんて、何も思い出せないくらいにあっという間だった。