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えりか、君の望みはいったいなんなんだ。僕にそんな事をさせて、何の得があるんだ。
「できない」
体がぐらぐら揺れている気がする。
「それは、できないよ」
えりかの顔が、みるみる恐ろしく歪んでいく。
「土下座ならする。君の望むことなら、できる限り叶える。
今までも、これからもね。
けれど、もうこれ以上、こいつらと距離をとる事はできない。
すごく、大事な奴らなんだ。もう関わらないなんて言えない」
話しながら感情が昂ぶって、涙がこぼれる。一瞬驚いたような表情を浮かべて、すぐにきっと睨んで、手を振り上げる。ああ、また殴られる。叩きたいなら、そうすればいい。目を閉じて少し俯く。とん、と胸辺りを押されて、よろけるように一歩下がった。バシ、という派手な音のわりに痛みはない。目を開けると、僕とえりかの間に、修。とん、と押された僕の胸辺りには修の手があって、もう片方の手で自分の頭を押さえている。
「修、大丈夫か?」
「修君」
湊と早瀬が交互に声を掛ける。僕を庇って、えりかに殴られたのか?少し怯えたように目を見開くえりかの顔を呆然と見る。
「いくらなんでも、暴力はよくないんじゃない?」
えりかに詰め寄る早瀬の袖を、修が引く。
「早瀬君、大丈夫だから」
周囲がしんとする。
「北澤さんと伊月が、僕を嫌っているのは、
君に教えてもらってわかっているよ。
なるべく、二人には関わらないようにしている。
僕の作ったものを壊したいなら、そうしていい。
どんなに時間がかかったって直すから。
けど、伊月は、君の事が好きなんだよ。
好きな人にわかってもらえないのって、すごく辛いんだよ。
僕には何をしてもいい。けれど、伊月にひどい事を言うのはやめて。
もう、伊月を叩かないで」
修。
また頬を涙が伝って落ちた。何か言おうとして、言葉にならない。その時、昇降口の方から、どいて、通して、と声が聞こえて、迷惑そうな顔をした人たちの壁が無理やり分けられた。ふと脳裏に、どこかの国の狭い路地を、猛牛が人を追いながら走るという祭りの映像が過った。人垣から飛び出してきた猛牛がぶつかった、だん、という鈍い音がして、えりかが弾かれて尻餅をつく。
「ちょっとあんた、修に何するのよ!」
猛牛、じゃなくて、藤森さんが仁王立ちになって座り込んだままのえりかを怒鳴りつけた。目を見開いて、えりかが身を乗り出して口を開く。
「な、なによ、私は」
「しらばくれようとしたって無駄だからね。
教室からみていたんだから。この暴力女!」
「暴力はそっちでしょ、だいたい」
「こんなおとなしい無害な子に手を上げるなんて、どういうつもり?
ちょっと修、どこ叩かれたの? みせて。
ここ? やだ、赤くなっているじゃない。
こんな、赤く腫れるほど叩くなんて、あんたおかしいんじゃないの?」
最強のマシンガンだと思っていたえりかに、口を挟ませない。修は前髪を上げておでこを全開にされて、
「ちょっと、麻琴、やめてよ」
と、少し迷惑そうに眉を寄せておずおずと抗議をしながら、でも、無抵抗にされるままになっている。校舎を見上げると、教室の窓からも見下ろす生徒の影がみえる。藤森さんもきっと、騒ぎに気づいてこのやり取りをみていたんだろう。




