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我ながら、忍耐強くなったものだ。人生、日々修行だな。えりかの体操服の入った袋を持って駅まで送る途中、そんな風に思う。湊に言われるまでもない。下僕稼業も板についてきたよ。最近、えりかから話しかけられる時、軽く命令口調だけれど、それにも慣れてきたよ。
達観すると力が抜ける。放課後、ふらっと湊と一緒に四組に行って、ごく自然に修に話しかけると、うれしそうに応えてくれた。戸川は相変わらず嫌味な言い方をするけれど、そういう言い方をするやつなんだ。悪意があるわけじゃない。なんだ、なんでもないじゃないか。えりかは怒っていたけれど。
「そいつらは敵なんだよ」
って。はあ。ため息が出る。
「違うよ、僕の友達だよ」
というと、ばかじゃないの、と鞄を投げられた。避けたら床に鞄の中身が散らばったから、しゃがんで拾い集めていたら、修が手伝ってくれた。
「なんで避けるのよ。
佐倉君は私の物に触らないで。キモい。もうやだ、バカ」
「なら、自分で拾えば」
「伊月君のせいでしょ、あんたが拾いなさいよ」
なんでこんなにぎゃんぎゃん怒られないといけないんだ。ただ、散らばったノートや教科書を拾おうとしただけじゃないか。意味がわからないよ。修がおろおろと立ちすくんでいる。可哀想に。いいよ、僕が一人で拾うから。床に片膝をついて散らばった物を集めて整えて鞄に仕舞った。四組の教室にいた全員が、憐みのような視線を向けてきているのを感じる。情けなさで泣けてくる。いや、本当には涙は出ないけど。とっくに、何かがマヒしている。僕の何が、えりかを苛立たせるんだろう。鞄を軽く叩いて汚れを払って、優しい笑顔を心掛けて彼女に差し出した。
「はい、危ないから、もう投げちゃだめだよ」
パシ。
ああ、こういう時、なんていうんだっけ。親父にも殴られた事ないのに、だっけ。や、マジで親からも顔を殴られた事ないわ。頬がジリジリ痛くて、口の中に薄く鉄の味がする。痛み以上に屈辱的だ。えりかは僕から鞄をひったくるように奪うと、教室を飛び出して行ってしまった。
「伊月、大丈夫? ハンカチ冷やして来ようか」
「いや、大丈夫だよ、ありがと。僕も帰るよ。またね、修」
また修に泣きそうな顔をさせてしまった。この切なさは、いつになったらマヒして慣れてくれるんだろう。
「いっち、なんで北澤と付き合ってんの?」
最近、えりかは友達と昼食をとることが多い。なので、今日も湊と教室でランチだ。
「なんで、って」
「もう、いい加減いいんじゃねえ?
あそこまでされて。少なくとも、楽しそうにはみえねえよ」
そういえば、なんでだろうね。キスしたから? 修を守るためだった気がする。いやでもそれは、修が藤森さんと付き合い始めて、大丈夫になったんだよね。僕が、えりかの事を好きだから? 好き、なんだっけ? もそもそとパンを食べ続ける僕をみていた湊が、大きくため息を吐く。
11月に入って町がクリスマスに染まり始める。どこもクリスマスソングが流れて、ツリーは色とりどりに飾り付けられて、お店の窓にも白く、トナカイやソリの絵が描かれている。また、去年の事を思い出す事が多くなっていた。クリスマスに修と二人、ジルエットでバイトしたっけ。片桐さんが仕事を教えてくれて、修のギャルソン姿は可愛くて、早瀬が有紗さんと食事に来て。楽しかったなあ。
「ねえ、ちゃんと聞いている?」
「え」
「もう。クリスマスのプレゼントだよ。
ドレスウォッチが欲しいなって言ったの」
へえ、そう。パパかママに買ってもらえるといいね。とは、言えないけど。寒いなあ。なんかもう、すごく寒さが身に染みる。