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P10

いろんな思いが浮かんでは消える。修の顔を見れば、こうしてノートに並ぶ文字に触れれば、愛しさが胸を満たす。けれど、離れてしまえばそれっきりになってしまう気もする。

修は、母親から普通の体ではないと言われ続けていたせいで、子供を作ってはいけないと思い込み、誰かの特別になる事を拒否していた。けれど、それも大丈夫になって、もう誰とだって自由に恋愛していい。できたら、まだずっと先の話だけれど、結婚して子供とかに囲まれて、っていう人生を歩んで欲しい。修はエリート街道まっしぐらって感じがする。その時、僕との事は汚点になるんじゃないだろうか。僕の家族はどうでもいい。けど、修のお父さんやおばあちゃんはどう思うだろう。そんな事、ちょっとでも考えればわかっていたはずなのに、好きだからしょうがないって思いだけで突っ走っていた。押し通そうとしていた。怖い、と思った。学校の中でも特に人気の高い女子たちが争うように修に好意を寄せているのなら、このまま友達に戻った方がいいのかもしれない。誰かが修のそばに立って、特別な存在になって、愛しげに見つめられて、触れて、抱きしめられる事を思って、こんなに苦しいとしても。


自分のバカさ加減には呆れるばかりだ。せっかく修が、あんなに丁寧にノートをまとめてくれていたのに、実力テストの結果は、特進Aコースで七位、前回より順位を落としてしまった。ここはやっぱり、ノートのお礼と、修の頑張りに応えられなかった事を謝りたい。それ以外の事はまた後でもいい。実力テストが終われば、夏休みはもう目前。何か簡単なプレゼントを渡そう。何がいいだろう。新しいノート、いや、今の状況なら、後に残らない物がいいかもしれない。渡した物を見るたびに、あの日の事を思い出させるのは嫌だ。なら、食べ物か。

そこまで考えて、修の好きな食べ物が一つも思いつかないことに愕然とした。お昼はいつもお弁当を作って来ていた。卵焼きなんかが入っている、定番のおかず。じいちゃんが創ったフランス料理店、ジルエットで食事をしたとき、このハンバーグおいしいねって言っていた。でもそれは、ハンバーグが好きっていうのとは、意味が違う。修の家に行った時はクッキーをお土産にした。元々は、修の彼女だと勘違いしていた、飼い犬の唯ちゃんのために買ったものだったけれど。あれもおいしいって食べていたけれど、普段はあんまり、好んで食べていないって感じだった。去年一年間、ほぼ毎日そばにいて、一体何を見ていたんだろう。


小さな包みを鞄に忍ばせて学校へ行った。この暑さだから、日持ちがして、あまり嵩張らない物、と店員に相談したら、和三盆を勧められた。修のイメージは、やっぱり、洋菓子より和菓子って感じ。指先ほどの小さな花や金魚、波や千鳥の形のパステルカラーのお菓子は、見た目も上品で優しく、可愛くて修のイメージにぴったりな気がした。僕から四組に行ったら、また邪魔が入ってしまう。お礼を渡したいからと修にメールを送ると、気を使わないでいいのに、会うとしたら、二人きりじゃなければ、と返信が来た。意味を図りかねてそのまま湊にメールの画面を見せると、いいよ、付き合うと言ってくれた。昼休みの後半、食事が終わってから早瀬も含めた四人で会う事になった。


待ち合わせの時間に中庭に行くと、猛烈な暑さと日差しに人は疎らだった。蝉の声が全方向から降りしきる。濃い影を落とす木の下のベンチで修と早瀬が待っていてくれた。僕たちを見て、修は、優しい、寂しげな笑顔で迎えてくれた。胸が詰まる。やっぱり、この人が好きだ。


「修、ノートのお礼が遅くなっちゃってごめん。すごく助かったよ」


「でも、あんまり役には立たなかったかな、七位でもすごいけど」


「ううん、今回の成績は、完全に僕の自己管理不足のせい。

 最近、他の事ばっかり考えて、つい、勉強、疎かにしちゃって」


はっと修の目が揺れる。


「そっか、そうだよね」


あ、他の事って、いや多分、誤解させた。


「体調はどう? 手術してから、もうなんともない?」


「うん、暑いし、プールはだるいから、体育はサボっている」


そういうと、あんまり無理しない方がいいよ、と、笑ってくれる。


「これ、少しなんだけど」


ハガキ大の紙袋を差し出すと、少しだけ戸惑ってから受け取ってくれた。


「ありがとう。もしかして、干菓子?」


「え? えっと、和三盆、って言ったかな」


今度は心から嬉しそうな、華やかな笑顔を見せてくれた。うるさ過ぎる蝉の声は、逆にあたりをしいんとさせた。すごく静かだ。この力強い空気。強い日差しも熱も、たち込める湿度も。その中で修は、なんて儚げなんだろう。揺れる陽炎に溶けて消えてしまいそうだ。体の質感はちゃんとそこにあるのに、存在感自体が。抱きしめたい。頬に、髪に触れたい。たった数週間前まで、望んで手を伸ばせばすぐに叶えられたその願いが、今はこんなに遠い。

僕の顔を見上げる修の表情が一瞬で強張る。怯えたように、冷たいものが過った視線を左下の地面へ落とす。突然の変化に、言葉が出ない。


「伊月」


絞り出すような声に、じっと修を見る。


「お願い、もう少しだけ、もうちょっとの間、時間が欲しい。

 しばらく、僕に優しくしないで。お菓子ありがとう。じゃ、またね」


強張って、無理やり浮かべた笑顔で早口でそう言い、新館へ向かって小走りに中庭を横切っていく。じゃ、僕も行くよ、と、控えめに声を掛けて、早瀬も修の後を追った。残された僕と湊を、ジーワジーワという蝉の声が包んだ。


「戻ろうぜ。汗がやばいわ」


わかっているけれど、体が動かない。湊が呆れたようにため息を吐いて肩を落とす気配がした。


「さっき、修の事、好きだって思っただろ」


思わず湊へ視線を移す。


「可愛いなあ、とか、抱きしめたい、とか?」


「なんで」


「なんで? 隠す気があった上で、あんな目したのか?」


そう言いながら手の甲で額の汗をぬぐい、うなじの後ろを撫でる。


「修が、どうして二人きりでは会わないって言ってきたのか、わかるか?」


ちらりと僕の表情を見て一呼吸開けてから続ける。


「単に、彼女がいるヤツと会うのに、

 誤解がないようにとか、そういうのかと思ったけど、

 男同士でその気遣いもおかしいよな。

 なんつうかさ、二人きりで、お前にあんな目されたら、

 自分を抑える自信がないからじゃないのか?」


蝉の声を打ち消すように、自分の鼓動の音がうるさい。


「いっちはふった側なんだからさ、少しは気遣ってやれよ。

 俺は、お前の事ダチだと思っているけど、それは修に対しても同じなんだよ。

 あんまり勝手やって修を追い詰めるんなら、そのうちいい加減キレんぞ?」


「うん」


うん、わかった。今ので、充分わかった。僕が修のそばにいるのは、よくない。こんな思いを抱えたままの僕の存在自体、修にとっては、よくない。

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