Ore:原石
( *´ー`)さて、いたずらの意味がわかる人、います?
満開の花吹雪
5本の木がそれぞれに咲き盛り、誇らしげに花額を揺らす。
ほんのりと色付いていながら、透き通った花弁は、八重の花房から風に舞う。
まるで花弁の雪に埋まっていくようだ。
儚く淡いそれは、豪奢に広がる蒼髪にも撒き散らされて、奇妙に雅な光景を演出していた。
最前まで、激しく自分を求めてきた男は、今は胸に顔を埋めるようにして眠っている。
日差しも、触れ合っている肌も暖かい。
華衣はなるべくそうっと蒼い髪を撫ぜながら、穏やかな幸福感に溜息をついた。
決して他人には心を許さない男が、自分の腕の中で、いとも容易く眠ってしまう。
長い蒼髪を解き、穏やかな寝顔を見せるその姿は、華衣だけが知っている事。こういうことで幸福になる自分は、実に女なんだなと、妙に可笑しく感じた。
カリスト公国筆頭魔導士グレン・カドフェイが、幾多の花を愛るように数多くの女性と浮名を流していたのは周知の事実。しかも、相手は全て飛び切りの美女ぞろい。
そんな彼が、いきなり全部の関係を清算して、たった一人に執着した時、その対象となった本人ですら、仰天したものである。
およそ、今までの相手とは正反対(見た目が悪いとは言わないが)の、おまけに魔法の失敗で連れてこられた異世界人である自分の何処が気に入ったのか? 真意を測りかね、ただの気まぐれと反発して逃げ回ったのは半年前。
それでもグレンは、軽口の応酬を交しながら、徐々に華衣の心に忍び込んできた。
彼が洒脱な言動の後に隠し持つ、闇そのもののように密やかに…
そして、華衣は理解した。その闇の奥で、冷え切っているもう一人のグレンが、癒しと温もりを華衣に求めていたのだと。
それは、この魔導士が仕掛けた罠だったのかもしれない。人の心を絡めとり、自由にできる傀儡師だから。
けれど、華衣は見てしまった、闇の中で凍える心を。
もう一人の彼を。
見た限りは、知った限りは、もう知らない振りは出来なかった。人に弱みを見せないように虚勢を張り、自分で自分の肩を抱きしめる姿は、正に華衣そのものだったから。
清濁併せ持つこの男を、一切合財受け止めようと覚悟を決めたのは何時だったか、気がつけば、自分から抱き締めていた。
それ以来、グレンは華衣の腕の中だけで眠る。
でないと眠れない、とまで言われると、何だかむず痒く、枕代りにするななどと、例によって反発してしまうのだが、そんな些細な喧嘩の後、やはりグレンは華衣の腕の中で眠るのだ。
グレンが微かに身じろいで、背中に回されていた腕がぱたりと落ちた。
穏やかな寝息は変わらない。
投げ出された左手を手に取り、長い指をじっくりと眺めてみる。
印を結んで呪を繰り出し、時には剣を持ち。紅茶を入れ、女を誑かしてきた手は、実に繊細で綺麗だ。そのくせなよやかな印象は与えず、しっかりと男らしい大きさと厚み、そして重さを持っている。整いすぎた顔と同じで、嫌味なほど綺麗な手。
これで毎日土いじりをしているのだから、かなり勿体無い真似をしているのかも知れない。
ふと、薬指の指輪に目を止めて、華衣は小さく笑った。
先ほどの会話が思い出される。
一人だけ、さっさと指輪をしている男に、彼女は大いに不満だった。
「グレン、なんであたしは指輪しなくて良いの?」
お揃いを欲しがる彼女に、華衣はしなくても良いとまで言われて、彼女は口を尖らせた。
二人で同じ指輪をしてこそ、互いの所有権を表明できるのではないか? 第一、一人だけなんてずるい。
そうまくし立てる恋人に、グレンは実に鮮やかな笑みを返して寄越した。
「いいんだよ、これは『一つの指輪』だからな」
「へ?」
「カイが前に教えてくれたろう? この世に一つだけの絶対の指輪さ」
はっきり言って呆れた。それは、華衣の世界の長編ファンタジーに出てくる、悪名高い『一つの指輪』の事だろうか? だとしたら、何が嬉しくて、そんな縁起でもない物つけたがるのか?
冥王の魔力を半分篭められ、魅了された所有者を自滅させ。冥王と、世界の破滅の元となる、すさまじく凶悪な指輪。
物語の中の『一つの指輪』は、祝福とは縁遠い。
そう言えば以前、中世ヨーロッパによく似ていて魔法使いまで居るカリスト公国はファンタジーな世界だ、と言ったのをグレンが面白がり、華衣の世界のファンタジーについて話した事がある。あんな他愛もない話をこの男が憶えていたとは、少し意外な気がした。
「冥王でも気取ってるの? 確かにグレンには似合うかも」
そう言ってやると、彼はまた笑った。鮮やかに、何の屈託も含みもない笑い。華衣だけに見せる心からの笑み。
この笑顔に華衣は弱い。
思わず見惚れていると、グレンが指輪を抜いて目の前にかざした。
「これは、俺とお前を繋ぐ、一つの指輪さ。これをしている限り、お互いに『全てを統べ。全てを見つけ。全てを捕える』何処に居ても必ずだ」
金の指輪は、何の装飾もなく、つるりとしたただの指輪である。
本物の一つの指輪なら、火の中に放り込んだら、グレンが今言った三つの詩文が浮かび上がる。
ひょっとして? と問い掛ける華衣の視線に、グレンは悪戯っぽいウインクで答えた。
口の中でなにやら唱えると、金色の指輪が火で炙られたように赤くなった。そして、その表面に文字が浮かび上がってくる。
細かく設定に凝っているな、と思いつつ、その文字を見る、原作にあるような長々とした詩文ではなく。たった一つ『カイ』と書かれている。
手にとって内側を見れば、そこには『グレン』と浮かんでいる。
それに、指先からぴりぴりと感じるのは、かなり強い魔力が込められていると言う事。
「内側の名前は、指輪をしている者の名前。表側の名前は、指輪が触れる者の名前。カイがそれにキスしてくれたら、術が完成する。二つの宝石を付けて、こいつは一つの指輪になる」
徐々に色が消え、またもとのつるりとした指輪に戻っていく様を見ながら、つい言葉に引き込まれて、口付けを落しそうになり……やめた。
「勝手に、人の人生左右するようなもの、作らないでよ」
指輪を嵌めなおして、グレンが肩を竦める。
「俺の人生も、左右されてるんだけどな?」
そう言われると言葉に詰まる。かってにやって居ろと言い切れない、人のいい自分が恨めしい。
悔しさ一杯で睨みつけてやると、そこには、限りない優しさを浮かべた、琥珀の瞳があった。
「まあ…俺の人生位で、贖えるとは思わねぇけどな…」
声音が変わった事にどきりとする。
グレンの傍に居る為に、華衣が捨てたものを、彼は忘れない。
たった十六の少女が、自分の家族や生まれた世界を捨てる事が、どれほどの事なのか、充分に理解し、全力でその代わりになろうとしてくれる。
気にすることは無いのに、と華衣は思う。
華衣にとっては、何時も「今」が大切なのだから。
グレンという男の全てが手に入るなら、茫漠とした未来しかない自分の世界へ戻るのは、何だか味気なく感じたのも確かな事なのだ。
だから、些細な事に拘っている男の頬を、華衣は思いっきり抓りあげてやった
痛いと抗議する唇に、自分のそれを重ねて、何度も教え込まれた愛撫を返してやる。
会話は立ち消えとなって、恋人の時が再び始まる。
グレンには伝わっただろうか? 華衣にとって大切なのはグレンだと言う事が。
指輪は、午後の日差しを浴びて、柔らかな光を反射している。
指でその滑らかな表面をなぞりながら、『一つの指輪』の別名を考えた。
そう、色々あるけれど、特に有名なのは、『いとしいひと』
指輪に魅了され、化け物に成り果てながら、そう呼びつづけた男は、指輪と運命を共にする。
指輪を抱きしめて、煉獄の炎へと落ちていく。
心を焦がす恋の煉火。体を焼き尽くす煉獄の業火。
お互いを滅ぼし尽くすまで、消えることの無い激情の炎……
それも悪くない。
深く眠っている端正な顔に笑いかける。
「くれるっ言うんなら、貰ってやっても良いか…」
呟いて、左手を持ち上げ、そうっと指輪に唇を寄せる。
自分の心臓のあたりに、不可思議な感覚を憶える。誰かが触れたような、柔らかな、ベールが被せられたような。
これが、彼の言っていた術なのだろう。何故なら、グレンの鼓動を、以前よりはっきりと感じられるのだ。
華衣の微笑が深くなる。
見れば胸の上で、琥珀の瞳がぽっかりと開かれ、華衣を見詰めていた。眠りの残滓を纏って、少しぼんやりとした男に、彼女はにやりと笑ってみせた。
「貰ったわよ。あんたの人生」
ふんわりと、グレンが笑う。
「これで、宝石が2個揃ったって事か…」
言いながら、華衣の指に長い指を絡ませる。
「宝石って、あたしとあんたの事?」
「ああ…」
繋いだ手を放して、男が起き上がると、蒼い髪が逞しい裸身を覆い隠すように流れ落ちる。当然そこに積もった花弁が、華衣に降り注いだ。
きゃいきゃいと花弁の雨に歓声を上げる恋人を助け起こして、そっとその頬に触れる。
「ねぇグレン。二つの宝石ってどんなのかな?」
「ん? そーだな。琥珀と茶水晶だな」
それは二人の瞳の色。
「ラピスラズリとヘマタイトかも?」
二人の髪に擬えて。
グレンの微笑が深くなった。
「ま、どっちにせよ、片方は原石だけどな」
途端に、華衣の口が尖る。どうやらどっちが原石かわかっているらしい。
「宝石に変えてくれるんでしょうね?」
原石を宝石にする、と言うのは、以前のグレンの口説き文句。
しかし、男は首を振った。
「いいや」
「何で?」
大いに不満気な恋人へ、グレンはそっと囁く。
「磨いたら、削れる部分が勿体無いだろう?」
返事はそのまま、唇の中に、吸い込まれてしまった。
END
ただいちゃついているだけの、平坦な話です。話題に上る「一つの指輪」は、勿論、アカデミー賞5部を持っていった、例の作品です。(笑