太陽の娘
最初に見たのは、白い天井。
最初の事故から助かって、私は一人だった。
一人だけだった。
見上げる天井は寂しくて誰もいなくて、包帯は身体全体を締め付けて私は周りを見渡した。
他に誰もいなかった。
誰もいなくて、私は自然と涙がこぼれた。
パパが死んだ。
ママが死んだ。
皆死んだ。
私だけが生き残って、他に何も残らなかった。
どうして?
なんで私だけ生きているの? どうして皆私をこんな世界に放り投げて、どこに行ったの?
なんで、私は死んでいないの?
なんで。
なんで。
答えは探せどどこにもない。
何年経っても、どこにいこうと、答えはずっと心の深い所に閉まったままだった。
わかっているのに。
理解しているはずなのに、私は答えようとしなかった。
心の闇の底に閉じ込めて、私は知らないふりをしている。
―――闇の底にいけば、答えが見つかるだろうか。
闇に潜れば。闇に心を沈めれば。
私は、救われるのだろうか。
私は……。
遠くで聞こえるサイレン。
近くの路地を救急車が走って、赤ランプが目の前を横切っていく。
その光にビクンとなる二つの肩。
「レナちゃん……」
「レナ……」
闇の向こう、娘の帰りを祈るように毎晩、速比売レナの自室に佇む一組の老夫婦があった。
机の上にあるパソコンは未だにモニターに光を保ったまま動かない事、一か月。
依頼をした少年が消えて未だ報告はなく、二人は蒼白した表情で息が詰まるような毎日を過ごしていた。
それでも、娘の姿はこの部屋になく、チカチカと電灯が明滅する。
「―――お願い……」
「レナ……帰ってきておくれ……」
ボロボロと零れる涙。
祈れど夜に囁けど、今日も便りはなく、二人は少し狭い九畳の部屋の中、震える手でパソコン手を触れる。
その明るく点滅するパソコンは熱を伝える。
それはまるで生きているかのような人肌で―――
「レナちゃん……お願い、あなたの笑顔を見せて……」
「レナ……ワシらの可愛い娘よ……」
――――カチン、カチン……
囁く言葉に呼応し、聞こえる電子音。
その微かな呼びかけに、老夫婦はハッとなって視線を落とすと、そこにはパソコンの画面が僅かに動いていた。
何が起きているのかは分からない。
ただ画面の下部で何かのボタンか表示が点滅しているのだ。
扱い方もわからず、パソコンの見方など当然知らぬ二人は、それでも恐る恐るマウスに手を取った。
「れ、レナちゃんってこうしていたわよね……」
「ああ―――これだ、これを何かするんだ……」
「わかったわ……」
ポインターが僅かに動いて、ゆっくりと点滅するアイコンへと近づいて、しわがれた指が震える。
そして震えた指が偶然に左クリックを押し、ポインターが点滅するアイコンに重なる。
変化する画面。
そこには受信メールの一覧があった。
送信元は、誰かはわからなかった。
受信先はここだった。
メッセージ欄には、何か文字が描かれていた。
『 なんで
私は
生きているの?』
言葉はそれだけだった。
二人はハッとなって、その言葉に目を奪われながら互いに震える言葉を交わした。
「なに、かしら……」
「確か、電子メール……じゃったか」
「メール?……お手紙かしら?」
「―――レナじゃ……」
「……レナちゃんなの……?」
およそ十秒ごと。
メールは次々とやってきて、老夫婦はその同じ宛名からのメールを一つずつ開封していく。
そして文字を繋げれば、そこにはメッセージが連ねられていた。
『おばあちゃん。
おばあちゃんにはとてもよくしてくれた。ずっと一人だった私にやっと近づいていい人達が生まれたもの。
短い間だけど、私はおばあちゃんがとても好きだった。
おばあちゃんが大好きだった。
おじいちゃんが大好きだった。
いつも頭を撫でてくれた。私がいい点数を取るたびに少し照れくさそうに笑ってくれるのが私は好きだった。
おじいちゃんの淹れるお茶はいつもおいしい。
淹れている時のおじいちゃんの笑顔はとても好きで、大好きで、私はずっとおじいちゃんのそばにいたかった。
大好きだった。
大好きだった。
だけど、私は誰かをいつも不幸にしている。
いつもいつも、私の傍で誰かが死んでいた。誰かが死んで助けられなくて、私はいつも泣いていた。
しんでほしくない。
誰も死んでほしくない。
一人にしないでほしくない。
だれも離れてほしくない。
なのに、みんなどこかに行く。どこかに離れて行って私はいつも一人になる。
怖いよ。
こわいよ
こわい
しにたい
死ねば私も追いつけるのに。
死ねばみんなのところにいけるのに
しねばみんな。
しねば
しねばしねばしねばしねばしねばしねば――――』
メッセージは届き続ける。
後は全て同じ文字の繰り返し。
二人は涙を流していた。
だけど、自分達の言葉を届ける術がわからず、二人はただ流れ続ける言葉の奔流にただ立ち尽くすしかできなかった。
ただ、涙を流すことしかできなかった―――
「レナちゃん……レナちゃん……!」
「死ぬな……死なないでおくれ……こんな若い命を……レナ……!」
「いや……いやぁ……」
―――全て、愛しき者の為に。
聞こえるのは優しき声。
頭に聞こえる、風の音色。
クイッ
老婆の手が勝手に動く。
気がつけば、勝手に老夫婦はメールボックスの返信ボタンを押して、送信元にメッセージを送り返していた。
頭の中の文字が自然とメッセージ欄に浮かんでいく。
「レナちゃん……」
「レナ……」
言葉が連なり、声が闇の底に届く。
二人は彼女に手を伸ばす――――
―――死にたい……。
死ねば、パパのところに行けるのだろうか。死ねばママの所に行けるのだろうか。
だって、誰もいないんだもの。
ここには誰もいない。
私を叱ってくれる人もいない。
私を好きだと言ってくれる人もいない。
誰もいない。
ずっと一人。
誰も止めてくれない、誰も殺してくれない。
正義が何よ。
死にたい人間をどうして止めるの? 自殺しようとする人間をどうして止めるの?
―――死なせてよぉおおおおおお!
―――やめなさい、やめるんだ!
―――いやぁあああああ! パパぁ、ママぁああああ!
私に未来なんてあった?
希望なんてあった?
こんなくそったれな人間に何かほんの少しでも望みでもみたの?
とんだ茶番よ。
ただ若いから、ただ幼いからそんなのを見ただけで、何もない。
錯覚しているだけ。
見ないふりをしているだけ。
何にもない。
私は空っぽなの。
本当に詰めるべきものは何もなくて、未来も希望もなくて
本当は何もない。
ならいいじゃない、殺してよ。死なせてよ、何もないなら未来もないなら消えてしまえばいい。
死んでしまえばいい。
私は……私は――――
「レナちゃん……」
―――――――――あ……。
「レナちゃん……疲れたの?」
―――――――――ああ……。
「おばあちゃんね、レナちゃんが頑張っている所、ずっと見てきたの。短い間だけどそれでもあなたを知るには十分な時間だわ……。
元気な子、笑顔の素敵な子。お料理を頑張るレナちゃん……いつも楽しそうだったわ。二人きりだった私達に希望をくれたの……」
「レナ……おじいちゃんもそうだ。……ワシに、ワシらに本当によくしてくれた。肩を何度ほぐしてくれたか……なんど公園で遊んだことか。
お前は、いつもワシらと一緒にいてくれた……」
――――おばあちゃん……おじいちゃん……。
「レナちゃん……いつも一緒にご飯を食べて、いつも私達に微笑みかけてくれた。あなたの笑顔が私達の宝物よ。
何もない、二人だけの空っぽな家に、光が差したのよ」
「ああ……いつもムスッとしていたワシを元気づけてくれたのは、お前だ……いつも微笑んで楽しそうにしていて。
お前がいてくれて、ワシらがこの上なく嬉しい……。
お前は、ワシらの太陽だ……」
――――死にたかった……。
「わかるわ……息子も早く他界して、私達も何度死のうと思った事か……」
「だけど……そんなワシらの下にお前が来た。お前がワシらにほほ笑んでくれた。だからワシらは生きようと思った。
もう少しだけ、この余生をお前の為につくそうと……レナ、ワシらはお前の為に生きておるんだよ……」
「レナちゃん……辛いわね、苦しいわね……本当なら、もっとお話をしてもっと気持ちを分かち合えば良かった。
だけどね、死ぬ必要なんてないの……だってレナちゃんはこんなにも素敵な女の子だもの……」
―――違う……そんなことない。
皆私のせいで死んでいった。私がいたから、皆遠くに行ってしまって、私はずっと一人で。
「ならワシらがおるよ。ワシらがずっとおる。死んでも消えても、ワシらはお前とずっと一緒だ……」
「レナちゃん……泣かないで……私達はずっと傍にいるから。どこにもいかないから」
「レナ……お前はワシらの太陽だ……太陽が泣いたら晴れないだろう」
「笑って頂戴……一緒に生きましょう。一緒に頑張りましょう、辛いことがあったら手を繋いであげる。泣きそうになったら一緒にいてあげる。
だってあなたは私達の、大切な娘だもの……大切な、何よりも大切な娘だもの」
――――パパ……ママ……。
「さぁ……もう少しだけ、頑張りましょう……笑ってもう少し頑張って、家に帰りましょう、レナちゃん」
――――私……空っぽじゃなかった。
「レナ、お前の淹れるお茶が欲しい。お前のくれる笑顔が欲しいんだ。また居間で一緒にテレビを見て笑おう。
一緒に夏祭りに行って、一緒に落ち葉で焼き芋を作ろう。
一緒に、ワシらといておくれ……」
――――こんなにも、こんなにも大切なものがあった。
気づかせてくれた。
おばあちゃんは私が元気な子だって言ってくれた。
おじいちゃんは私が太陽の様だって言ってくれた。
私は、私という存在が集まってできていて、私は誰よりも私のままで。
私は――――
――――さぁ、参りましょう、『炎』を讃えし子よ……。
ボッ……
暗闇の中に、火の爆ぜる音が聞こえる。
暗闇がフンワリと、何か赤い光の中に散らされていって、淡い輝き我私の背中を優しく照らした。
振り返れば、そこには暗闇に光る何か。
輝く光は力強く、闇をかき消し、足もとまで照らして、私を導く。
闇に輝く光が、私を呼ぶ。
私は、手を伸ばす――――
――――王よ……この娘に力を与えたまえ……。
その光は―――とても暖かくて、まるで子どもの手のような熱っぽさだった。
ギュッ
その光は私の手を握り返す。
『炎』となって、私の手の中で燃え盛る―――