VS水使い
暗闇に聞こえるのは、僅かな水しぶき。
私が床に広がる水たまりを跳ねる音。
もちろん、これはただの水。
だけど水は紅く光る。
壁に立てかけられたろうそくが揺らめき、それは灯る光を受けて紅く煌めいて私のナイフ捌きを映す。
巨像を背に受け、それはまるで熊が血を流すように―――
―――戦え……!
聞こえてくる低い声。
「このぉ!」
私はナイフを振り回しては、ほくそ笑む相手に斬りかかる。
だけど――――振りが遅い。
なんとなくだけど、緩慢さを感じる。
腕の振り。
脚の動き。
思考力。
何もかもが何か霧に包まれたかのような、一種、腹の底からこみあげる不快な鈍さやためらいを感じさせる。
気持ち悪い――――
「くぅ……!」
「――――ふふっ、後の浮遊都市で暴れたミスティックダイバーと聞いてどんなものかと来てみれば。
まるで子どもだね、君……」
そう呟く白ローブの男は変わらずフードの奥で笑っていて。私は後ずさると共に水たまりを刎ねた。
「むかつく物言い……」
ピシャリと跳ねる雫が尾を引いて宙を舞い、揺れるろうそくの炎を受けて薄闇の中紅く滲む。
焦りに歪む私の顔を、如実に映す――――
「アンタ何者よ……!」
「僕? 君も知っているんじゃないかな?」
そう言って少しおどけた感じで、杖を片手に頭を振る少年に、苛立ちが増す。
頭にくる。
気に入らない――――
「何でもいいから脱ぎなさいよぉ!」
振りかぶったナイフは虚空を斬り裂き、風を抉り弾丸の如く私の手から飛び出す。
だけど、相手は避ける。
おかしい。
首を振るだけで避けられるような速度で投げていないのに、相手がうけたのはフードが裂けるという被害のみ。
そして、相手の顔が割れて、薄暗い黄昏の闇の中、私の目に映るのは子どもの顔。
―――紅い目。
ニヤリと歪む口元。
見開いた眼球は、こちらを捉えて引きつったまま笑っていている。
今にも壊れそうなくらいに―――
「……ひひっ。鈍い……!」
そう言いながら、少年は手に持った杖を振るった。
バシャッ
蒼い石を讃えた杖の先端からは、巨大な鉄球の如き大きな水球が吐き出されて私の腹部を重く叩いた。
「げぼぉ!」
吹き飛ばされるままに、滑る床を滑りながら水しぶきが宙を舞う。
それでも手折れているままには行かなくて、私は床を滑りながら体勢を立て直し、慌てて視線を上げた。
そこには宙に激しくはためくローブ。
飛び出す影は天井に映り、まるで蝙蝠のよう―――そこには杖を振り上げ飛びこむ少年がいた。
「ひははははは!」
―――これなら当たるッ。
「戯れてんじゃないわよぉ!」
前後に引き絞られるチャンバー、硝煙が尾を引き排莢口から飛び出す空薬莢。
銃口から飛び出す弾丸は小さく、それでも少年の身体を抉っては、背中から血飛沫が尾を引く。
―――笑っている。
落下しながら、その目はハッキリと私を捉えている。
杖を振り下ろす動作は止まらない―――
「ぐぅううううう!」
「弱い弱い弱い弱い弱いヒハハハハハハハハッ!」
火花が黄昏の闇の中に花開いて、私は体勢を崩しつつ、ナイフ一本で相手の杖捌きを辛うじて受け止める。
それでも片膝が水たまりに吸いつき、押し込まれて身体が崩れる。
腕が震える。
息ができない。
苦しい――――
「ぐぅうううう!」
「弱いんだよぉ! 一回死んでリセットして来いよぉ! リセットしてもらったらぁ!?」
「もうしてるわよぉ!」
「少ないんだよぉ、もっとしろもっと死ね、もっと死んでしまえぇええええええ!」
――――狩られる側。
この子は、ずっとそうだったんだ。
可哀想だと思った。
「死ねしねしねしねしねしねしねぇええええ! 僕は何百回とあの森で殺され続けたんだ!
森を出たら最初は車に引きつぶされた、今度は街の外に仲間に連れ出されて殺されたんだ!
優しいと思ったら首跳ねてにやにや笑ってた! わかるかよぉ!」
「重たい……!」
「どいつもこいつもヘラヘラ笑いやがって、腹の底じゃ何考えてるかわかりゃしない! 皆僕の事を殺そうと思ってる! 見下している!
この街だってそうだ、気に入らない気に入らない気に入らない!」
「耳元で我鳴るなぁ!」
―――だけど、これを許すわけにはいかない。
私は彼を蹴飛ばすと、吹き飛ぶ彼へとナイフを投げて、拳銃の銃口で着地する人影を捉えた。
だけどナイフは避けられて床に突き刺さり、弾丸は展開した水の壁に吸い込まれた。
そして弾丸が弾き返されて、立ち上がる私の頬を掠める―――
「―――君さぁ。まだ自分が勝てるとか思ってるわけぇ……?」
「そうよ……」
「無理だよ……こういうのはね、経験とスキルと金がものをいうのさ。僕はこれで二カ月この世界をさまよった。
わかる? 僕上級者なんだよ」
「リスキルしか受けてないような人間がソレを言ってもなんの説得力にもならんわ」
「知った風な口をきくなよぉ!」
そう言いながら笑っていて、私はため息もそこそこに唾棄すると自分のガントレットを覗きこんだ。
―――蒼いバーが殆どない。
既にシールドは欠損状態にある。常時回復システムなので、回復速度自体がかなり遅い。
そして何より、紅いバー、体力も削れている。
まずい。
ジリジリと詰められている感じは、昔カードゲームでパーミッション(許可)を連続で受けた様な感じである。
「僕はなんだってした、仲間を裏切った、それでクラスポイント一杯もらった、もうすぐクラスレベルが上がるんだ。
それで……お前みたいな奴をもう一度ボコボコにするんだぁ!」
「……はぁ」
深いため息をひとつ。
心を落ち着かせ、何をすべきかを考える。
今の状況。自分に置かれている異常事態。そして自分の装備、次に出る行動、そしてその結果。
――――水。
私は目を開くと、辺りに広がる水たまりを見つめて、思わず苦い表情を浮かべてしまった。
そして、階上、四階の踊り場の手すりに寄りかかる少年の背中を見て一言。
「……水属性の特殊効果?」
少年はニッコリと微笑んで頷いた。
「属性状態異常は武器、魔法、技によって確率が異なっている」
「ダメージがなかった……」
「怖いでしょ。属性はダメージを受けることが必要条件じゃないんだよ。水属性は特にそう」
「……ダメージなしで、水浸しが広がるのは、あんたの武器、か」
「―――ひひっ」
「MODは攻撃時のウォーターレジストダウン……或いはドライブアビリティか」
「両方だったら?」
「とんだド変態やろうね……!」
「イノシシじゃなんだよ、君と違ってね」
―――水は講堂全体に広がっている。
となれば、空中戦をやるか、とにかく相手が放つ水から離れないといけない。
どうするか――――
「――――死んでよ」
「……いやよ」
「なんでさ……勝ち目ないよ君には」
――――戦え。
聞こえるのは、低い獣の声。
「死ねよぉおおおおお!」
「……ごめん被るわッ。ミスティックドライブ!」
『ドライブアビリティ発動!』
―――あたりが真っ暗に変わっていく。
それでも時の止まった感覚は薄く、目の前の敵はゆっくりとこっちに近づいてきているのが見える。
時間がない。
息を止めたまま、私は足元の床に照準を合わせて、振り上げた拳をめり込ませた。
めり込んだ拳は深々と―――ソレと共に亀裂が放射状に床を走り、大きく床が岩塊と共にめくれあがる。
足元が衝撃に深く凹んでいく。
全てがゆっくりとした時の流れの中に起きる―――
「かはぁ!」
息を吐き出せば晴れていく暗闇。
時は元に戻り、飛び退く動きは緩慢で、それでもクレーターが半径約五十メートルにわたって床に広がった。
吸い込まれていく足元の水たまり。
慌てて引いていく少年の足元すら飲み込んで、クレーターは周囲の長椅子を吸い込んでいく。
そして巨大な大穴が足元に広がり、巨大な貯水槽が出来上がった。
足元から、水はなくなった。
「……バカ力」
「水属性の特殊効果はスローストリーム、動きのみを緩慢にするだけで攻撃力はそのままなのね」
「―――ふふっ」
「後水がなくなって特殊効果が消えたってことは、その力水を張っている時だけ確実に特殊効果が発動する魔法なのね。
そうでしょ……幸一」
「正解。エルドナの絡め手って呼ばれる水術の一つだよ」
「気持ち悪いことしやがって……」
後は一緒だった。
飛び出して殴って、相手の顔が変形するくらいにボコボコにして、腹が抉れるくらいに身体を蹴飛ばした。
少年はされるがままに、ただ表情も乏しく俯いたまま殴られている。
物言わぬ人形のように。
これが彼の処世術で、私はそれでも殴らないといけない。
私は―――
―――戦え……戦い血を流せ。
声が聞こえる。
ずっと、ずっと戦いながら私の意識を抉り、何かが語りかけてくる。
「……うっさいわねぇ!」
気にいらない。
誰かに指図されるのも、誰かにへりくだるのも。誰かをいたぶるのも、キライなの。
だから、私は―――
――――戦え……戦い続け、そしてあの悪魔を見つけよ。
「うっさいうっさい、たかがでかいだけで見ているだけで、熊の分際でぇ、指図しているんじゃないわよ!
私は速比売レナよ! 手前の都合で踊らされるようにはできてないのよぉ!」
殴り飛ばす拳は鼻先に当たり、顔に拳がめり込み、少年の身体が文字通り吹き飛んで行った。
そして吹き飛ぶ教会の分厚い扉。
吹っ飛ばされる少年は土埃を引いて地面に横たわっていた。
息が切れる。
さすがに帰り血の付いた拳は痛くて、私は赤らんだ手を払い痛みを取りつつ、教会から出た。
そこには、まだ立ち上がろうとする少年がいた。
――――ニィ。
笑っている。
「……くっさいわね、アンタ」
「―――強いねぇ……君さ」
「リスキルしたっていいと私は思う。だけど次ソレをされるのは結局自分自身って事なの……」
「―――僕は被害者だ!」
「上等よぉ! だったらこんな所で燻ってないで、復讐相手の首でも取りに行きなさいよ! 勝手な理屈並べて悪意だけばら撒いてぇ!
背筋が凍るほどに気持ち悪いのよぉ!」
拳が股めり込んで、彼は大通りを滑っていく。
それでも、彼はまた立ちあがって、歩み寄る私の前に立ちはだかろうとする。
「僕は……強くなるんだ」
「私は彼らじゃないわ。あんたの悪意の肩代わりをしてやる事も出来ない。誰もそんな事は出来ない。
感情は自分で処理しなさいよ、でなきゃもう一回殺してあげる」
「……僕は……僕は……!」
「吐いた血反吐を自分で啜る気概を持って生きる―――来なさい、本気で相手するから」
「……殺してやる」
――――来る。
「……ガントレットぉ!」
「――――ドライブアビリティ……」
ポツリ……ポツリ……
雨。
ふと視線を上に上げれば、そこには雲があった。
だけど、それはただの雲じゃない。
紅くて、まるで錆びた鉄の様な紅さで、ボタボタと垂れる水滴がまるで血の様に重たく降り注いでいた。
蒼く広がっていた空の景色は一瞬で赤黒く染まる。
街の景色はどんよりと紅い霧の中に沈んでいき、人気がドンドンと減っていく。
そして雨脚が強くなる。
その紅い雨は、まるでカーテンの如く、目の前に立つ少年の輪郭すらぼやけさせるほどに強くなる。
真っ赤な水たまりが、私の足元に広がる―――
「アシッド・ブラッド・レイン……」
「―――水、か」
「……わかるでしょ……。今のこの環境がどれだけヤバいか……」
重たい雨に打たれ俯きながら少年はニヤリと笑う。
その白いローブは紅く染まり、私は重たい血の雨の滴を受けながら、顔に張り付いた神を掻き上げた。
息ができないほどに苦しい雨の中、私は腰に差した拳銃を捨てる。
どのみちもう撃てないだろう―――トレンチコートを脱ぎ棄て、私はガントレットに囁きかける。
「コートに装填したMODを回収。行くわよ」
『マスター……この状況』
「シールドの回復状況は?」
『―――現在シールドゲージが逓減中……かなりまずいです……この雨機械類を故障させる力を持っています』
「なら殴り合い、か」
『でも……!』
「是非も無く、ただ戦うのみ―――あんたが望むって言うのなら、望み通り叩き潰してやるわよぉ!」
『ま、マスター……?』
「行くわよ、ポカリスエット! こいつ倒したらあんたをボコボコにしてやるぅ!」
『アポクリファス様ですぅ!』
石畳の地面をければ、跳ねる紅い水しぶき。
紅い血の雨を潜り私は駆けだす。
その紅い雨のカーテンの向こうに敵を捉え、きつく握りしめたこぶしを振り上げて風邪を斬る。
息を吸い込む―――
引きがくどい?この後の全然展開を考えてないんだよん(*´ω`*)