表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

薄っぺらな信頼に、一粒の胡椒を添えて。

作者: 食人さん
掲載日:2025/12/21

 薄情という言葉がある。僕にはどうにもその言葉は理解できなかった。薄情であることの何がいけないのかはわかるが、かといって薄情でないふりをするのもどうにも気が引けた。演技が下手な僕にとっては、いつかボロが出そうで怖かったのだ。それをなぜ咎めようというのか。人の性格には良し悪しがある。なぜ、薄情は悪しとして扱われてしまうのか。これが理解できなかったのだ。


 僕の友人の母親は束縛が強めだったという。テストで満点を取れなければ虐待をされるし、かといってテストのための勉強だと言って徹夜をしようとすると、めちゃくちゃに咎め出す。僕も会ったことはあるが、あそこまでめちゃくちゃな人間は後にも先にも彼女だけだと言えるほど、言葉の節々に矛盾が見られた。

 僕は矛盾に厳しい人ではない。人は一枚岩ではないから、長期的な目線では矛盾が生じてしまうことなどままあることだ。だが、それでも許容できないほど、彼女は短期的に矛盾し続けていた。僕にはそれが恐ろしく見えた。

 友人は強かった。どんなに理不尽な物言いをされたとしても、それに従ってその場をおさめていた。そんな生活に耐えられるだけの精神力を持っていた。一度僕は彼に、苦しくないのかと聞いたことがある。彼は僕にただ苦笑いをして、それで会話は終わってしまった。強さというのは時に孤独を生む。僕だって、考えればわかることだった。僕に解決することはできない。むしろ、話してしまうことによって関係が悪化して仕舞えば。そんなことを彼は思っていたのだ。彼はなまじ強かった。そのせいで、人に頼ることがどれだけの悪影響を生むのかだけを気にして、自分は一人で耐えようとし続けてしまっていたのだ。

 彼は、獲物のいない砂漠に一匹佇む狼だったのだろう。彼にとって友人とは、たまたま降り注ぐ雨であり、信頼を置く対象ではなかった。

 いつだったか、彼のそのような態度が気に食わないと言って、彼に対して嫌がらせをしようとした輩がいた。その時に、その輩が言っていたのが、「薄情」という言葉なのだった。

 薄情とは、なんなのだろうか。この問いを僕が抱いたのは、この時が初めてだったように思える。

 たかだか親しくもない友達に一歩踏み込まれて、ただでさえ不快なのに、また一歩引けば今度は白状と言われる。彼も、限界に達してしまったのだろう。黒板の欠席欄には、常に彼の名前が書かれるようになった。

 しかし、そこから15日後、急に欠席のところが忌引に変わった。彼の母親が、死んだそうだった。僕は心底嬉しかった。彼の心労の元となっていたものがこれにより断ち切られる。これほど嬉しいことはない。そう思っていた。

 だが、彼にまた出会った時、彼は目を常に濡らし、そして赤く染めていた。

「一体どうしてそんなに辛そうなんだ。お前が苦しかった理由はその母親にあるじゃないか。むしろ、せいせいしているものだと思っていたよ」

 僕はそう聞いてしまった。歯に衣も着せずに。

「なんてことを言うんだ君は。あんなんでも、一応母親は母親だったってことなんだよ。僕が学校に行かなくなってしまった心労で死んでしまったんだって。元々限界だったんだよ。あんなんでも、ずっと僕を心配して、いたんだよ」

 なんともまあ変な話だと思った。

「そんなん母親の無駄な心配だったんだろう、どうして君が気に病む必要があるんだ。ただの自業自得だと笑ってやれば良いじゃないか。母親はお前のせいにしたかっただけじゃないのか」

 そんなことを言った瞬間、彼は僕に全力で平手打ちをした。

「なんて薄情ものなんだ、君は」

 彼はそう言った。その声は怒りと涙で震えていた。

「君は自分の家族が自分のせいで死んだと言われて、そんなふうに冷静に分析して親のせいにできるのかよ」

 僕はこの時点で、彼のこの言葉をずっと胸のうちに残すことになるとは、微塵も思っていなかった。

 家族愛というものが僕にはよくわからない。親がもし死んだ時、僕がそこで悲しんでいる姿がどうにも想像できないのだ。漫画などでは簡単に感情移入して、悲しむことができる。僕は今回だって感情移入したつもりだった。だけれど、どうしても彼から話を聞いていた分には、彼の母親には怒りしか湧いて来ず、こんなふうに悲しむことになるなんていうのは想定外だった。

 つまるところ、彼も薄情ものだったということだろう。少なくとも、僕が聞いてきた話だと、そういう結論に至ってしまう。僕の目の前で親のことをぐちぐち言って、感謝の話は微塵もしない。これもまた、薄情の一つだったのだろう。

 彼は結局学校に帰って来れることはなく、しばらくして岐阜あたりの親戚を頼って転校して行った。

 僕は思う。結局、薄情なんてものは人と人とが結び付かなきゃいけない社会において生まれたただの宗教、つまり虚構だった。ただ一人で生きてきた彼にとって、そのような宗教は一切必要ではなかった。むしろ、疎ましかったんだ。

 この世界には多様な生き方がある。彼のような一匹狼のような生き方もまた一つの生き方だったはずだ。僕はこの社会が、多文化主義だのなんだのを謳っているくせに、他人を大事にしない生き方を排斥し続けているように見えてならない。冠婚葬祭で親戚に感謝を述べる場面が設置されていることから読み取れるように、人間はきっと神に何がしかを祈っているのではなく、他の人も同じ気持ちで、この人を思い続けているのだろう、自分も、この人を思えているのだろうと、確認したいだけなのだ。だから、自分と考え方が違う奴は排斥しなければならない。それこそが「情」というものであり、「薄情でない」ことの証明だから。

 世界とは、多数派の感情によって回っている。少数派が排斥されることによって、世界は回っている。僕はこのことは大いに結構だと思っているが、自分の家族の死を想像した時、どうしても排斥された友人の顔と重なってしまって、この世界に反抗せざるを得ない気持ちに駆られるのだ。

 ところで、だ。友人は確かに強かったが、ただ親に従うだけだと言うのには違和感があった。本当に強ければ、反抗したければ反抗できたはずだ、というのに最近気づいてしまったのである。反抗せずずっと逃げていたことも、もしかしたら彼の薄情だったのかもしれない。深読みだが、いいのだ。薄情という概念は他人が言えばそれで存在することになるんだ。虚構なんて、そんなくらいがちょうど良いさ。

 さて、今日もニュースにて逃げた人が映される。富士山の岐阜側の登山道にて、16歳が投身自殺、か。ままよくあることだ。同い年の自殺など。

 逃げれる奴は勇気のある奴だ。自分のレールに反抗できるんだから。ただ、他の数ある強大な虚構に反抗しきれなかっただけの、哀れな人々と言い換えられもするのだけれど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ