魂視(ソウルサイト)の覚醒
教会の夜は、静かすぎた。
石造りの廊下を抜け、リカは音を立てぬように扉を押し開ける。
図書室の中には、ただ一本の蝋燭が燃えていた。
炎の輪が床に落ち、淡い金の光が古い書物の背を撫でている。
その静寂の中心――まるで世界から切り離された小さな舞台のような空間に、リカは立っていた。
彼女の呼吸が、わずかに白く浮かぶ。
どれほど経っても眠れなかった。昼間の儀式の光景が、何度もまぶたの裏で焼き付いて離れない。
リカ(心の声):「……この目。昼間、確かに見えた。あの光の裏に、黒い炎が……」
彼女は机の上に置かれた銀の鏡を手に取る。
月光が反射し、揺らめく炎が鏡面を照らした。
そこに映った自分の瞳――それは、かすかに金色を帯びて輝いていた。
だが、その奥。
光の内側に、ゆっくりと黒い影が蠢いている。
まるで“何か”が、彼女の眼を通して世界を覗き返しているようだった。
リカは息を呑み、鏡から目を逸らす。
その瞬間、蝋燭の炎が風もないのに揺れた。
ページの隙間から古書の紙が微かに鳴る。
夜の教会が、まるで彼女の目覚めを見守るように――静かに呼吸をしていた。
静まり返った図書室に、柔らかな靴音が響いた。
リカが顔を上げると、入り口の影からひとりの男が現れる。
銀縁の眼鏡に、穏やかな笑み――若き神学者、セドリック司祭だった。
彼は腕に数冊の古書を抱え、蝋燭の明かりに照らされたページを何気なく閉じる。
しかし、すぐにその視線がリカに向けられた。
淡い光を宿す彼女の瞳を見た瞬間、セドリックの微笑がわずかに止まる。
セドリック:「……眠れない夜ですか、リカ様。」
リカ(少し肩をすくめて):「……はい。少し、気になることがあって。」
彼はゆっくりと机の向かいに腰を下ろし、彼女の瞳をまっすぐ見つめた。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、その光が二人の顔を交互に照らす。
セドリック:「その瞳――神の御印、ですね。」
リカ:「……御印?」
短い沈黙ののち、彼は低い声で言った。
セドリック:「“魂視”。神が真実を見極める者に与える、祝福――あるいは、呪いです。」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。
蝋燭の火が細くなり、壁に映る影が伸びる。
リカは無意識に胸元を押さえ、囁くように問う。
リカ:「……呪い、なのですか?」
セドリック(静かに微笑んで):「真実を見つめる者は、時に神に見放される。
それでも見る覚悟があるなら――それは、祝福となる。」
リカの瞳がかすかに揺れた。
その瞬間、蝋燭の炎が再び強く燃え上がり、鏡に映る二人の姿を照らす。
その光の奥で、彼女の瞳に宿る金の輝きが、確かに“別の世界”を映していた。
リカ:「見えたのです。聖女の中に――黒い炎が。
光ではなく、焼き尽くす力。……それを“奇跡”と呼ぶのですか?」
言葉は震えていたが、その瞳には確信があった。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、二人の影が床に長く伸びる。
セドリックは黙ってその言葉を受け止めた。
驚きでも否定でもなく――むしろ、どこか安堵の色を浮かべながら。
そして、静かに頷いた。
セドリック:「……やはり、貴女にも見えたのですね。」
彼は手にしていた古書を机の上に置き、指先でその表紙を撫でる。
金箔の文字が蝋燭に反射し、薄く光を放った。
セドリック:「私も感じていました。聖女の祈りの後には、焦げた匂いが残る。
水は蒸発し、空気が焼ける。――それを奇跡と呼ぶなら、神の救いはあまりに残酷です。」
リカは唇を噛みしめた。
その反応を見て、セドリックは小さく息を吐く。
セドリック:「けれど、貴女がそれを“見た”というのなら……きっと、この国の信仰の奥底に、誰も触れられぬ真実がある。」
リカの心に、言葉にならないものが広がる。
恐怖でも疑念でもなく、初めて感じた“理解される感覚”。
リカ(心の声):「この人は――私を信じてくれる。」
蝋燭の炎が、二人の間で静かに揺れた。
その光は暖かいのに、なぜか世界の底を覗くように冷たかった。
この夜、聖女の奇跡を疑う二つの魂が、初めて同じ真実を共有した。
蝋燭の炎が、静寂の中で長く揺らめいた。
その橙の光の下で、二人の影がゆっくりと寄り添う。
リカは机に両手を置き、まっすぐにセドリックを見つめていた。
その瞳の奥で、淡い金が燃える。
恐れはもうない。残っているのは――決意だけ。
セドリックはしばらく彼女の瞳を見返し、
やがて、聖職者としての理性を断ち切るように言葉を落とした。
セドリック:「――協力しましょう、リカ様。
真実を暴くために。たとえ、それが神を敵に回すことになっても。」
その声音は祈りではなかった。
むしろ、誓いに近い響きを持っていた。
リカはゆっくりと立ち上がり、蝋燭の光を見つめる。
炎がその瞳に映り、まるでかつての“爆炎”の残光が甦るようだった。
リカ:「……ええ。今度こそ、私は“奪わせない”。
光に焼かれた者の名にかけて。」
言葉の終わりと同時に、蝋燭の炎がひときわ大きく揺れた。
壁に映る二人の影が重なり、一つの形を描く。
まるで天を裏切る契約――“堕天の盟約”を交わす瞬間のように。
静寂の中で、微かに神の声が揺らめいた。
声:「干渉、確定。因果、変質を開始――」
だが、二人にはもう聞こえない。
この瞬間、聖なる秩序に抗う“反逆の物語”が、静かに産声を上げた。
図書室の静寂を、微かな風が撫でていった。
ページの隙間に潜んでいた空気が震え、
机の上の古書が――ひとりでに、音もなくめくれる。
カメラが高く引く。
蝋燭の炎が、小さな宇宙のように二人を照らしている。
リカとセドリックは無言のまま、その頁を見つめていた。
そこに刻まれた古代文字――
歪んだ文様のような線が、淡く光を放つ。
「観測者」
「転輪」
「再構築」
古書が低く唸るような音を立て、
風もないのに、周囲の空気が微かに歪んだ。
声(神の声・遠くで):「観測、逸脱。魂干渉、進行中――」
その瞬間、蝋燭の炎が青に変わる。
闇の中で、光と影の境界が反転する。
リカの金の瞳が青く瞬き、セドリックの胸の十字が鈍く輝いた。
次の瞬間――すべての光が、音もなく消える。
暗転。
静寂の奥で、転輪が再びゆっくりと回転を始めた。
新たな因果の鎖が、確かに――動き出していた。




