聖女の奇跡 ― 崇拝と違和感
王都レミリア。
雪のような花弁が空を舞い、陽光を反射して白金に輝いていた。
その中心――聖堂前広場は、すでに人の熱で満ちていた。
王族も、貴族も、そして平民さえも押し寄せ、誰もが一方向を見上げている。
「聖女様だ!」
「光の御子が、今年も奇跡を起こされる!」
歓声は祈りのようであり、同時に狂気にも似ていた。
子どもが花束を掲げ、老婆が膝をついて泣きながら手を合わせる。
群衆の熱が、まるでひとつの巨大な信仰の塊となって脈打っていた。
高台の玉座には王と大神官が並び立つ。
その視線の先――純白の祭壇に、ひとりの少女が姿を現した。
白銀の髪が光を受けて揺れる。
金の瞳は、まるで神そのものを映す鏡のように澄んでいた。
聖女ミリア。
この国が“神の奇跡”として崇める存在。
群衆:「聖女様! 光の御子に祝福を――!」
司祭長:「神は汝の手に、奇跡を託された!」
その声が空に溶けた瞬間、ミリアは静かに微笑んだ。
その微笑みは穏やかでありながら、どこか“計算された安らぎ”のようでもある。
ゆっくりと両手を掲げると、広場の空気が震えた。
風が止み、鳥が鳴くのをやめ、すべての音が一拍遅れて凍りつく。
そして――光が、降り注いだ。
白金の輝きが天から流れ落ち、聖堂の尖塔を伝って地を照らす。
群衆は息を呑み、次いで歓喜の叫びを上げる。
幼子の泣き声さえ、それを讃える歌の一部となる。
だが、空気の奥にわずかな焦げの匂いが混ざっていた。
誰も気づかぬほど微かに。
聖なる光の裏で、空間の分子が焼けるような熱が漂う。
それでも、人々は祈りをやめなかった。
信仰が理性を凌駕し、狂気が祝福に姿を変える。
その中心で、聖女ミリアは目を閉じていた。
唇がかすかに動く。
ミリア(心の声):「……光よ、穢れを焼き尽くせ。神の名のもとに――」
白金の世界の中で、その祈りはまるで刃のように静かに響いた。
聖堂前広場に、静寂が訪れた。
誰もが息を潜め、聖女の一挙手一投足を見つめている。
ミリアは祈りの姿勢のまま、ゆっくりと片手を差し伸べた。
その前に、病に伏した老人、足を引きずる少女、赤子を抱いた母が並ぶ。
祭壇の上に置かれた聖水壺の水面が、微かに波打った。
ミリア:「――神よ、穢れを祓い、肉体を清めたまえ。」
声は囁きのように柔らかく、それでいて世界の中心に響くほどの力を持っていた。
光の粒が空気の中に舞い、病者たちの身体を包み込む。
群衆が息を呑む。
光は穏やかに――見えた。
だが、その瞬間。
“チリ”と、空気が焼ける音がした。
聖水が泡立ち、湯気が立ちのぼる。
老人の腕に、焼け焦げたような模様が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。
少女の頬には紅潮したような跡が残り、しかし彼女は痛みではなく“恍惚”に震えていた。
群衆:「ああ……奇跡だ!」
「歩ける! 聖女様、ありがとう!」
涙を流し、跪く人々。
誰もがそれを“癒し”と信じて疑わない。
王が立ち上がり、満足げに宣言する。
王:「見よ! 神は我が国に微笑まれた!」
歓声と拍手が広がる。
聖水が蒸発し、白い霧が祭壇を包み込む。
その中で、ミリアはわずかに笑った。
彼女の瞳には、燃えるような光が宿っている。
――それは慈悲ではなく、確信。
ミリア(心の声):「そう……人の穢れを焼き尽くせば、世界は清められる。」
群衆の外れ、祭壇を見上げていた老司祭が小さく震えた。
その白い髭が光に照らされ、わずかに影を落とす。
老司祭(小声):「……これは……焼いている……」
誰にも届かぬほどの声だった。
しかしその囁きだけが、祝祭の狂気の中で、唯一の現実だった。
チャット の発言:
光が降り注ぐ。
群衆の歓声も、王の言葉も、彼女の耳にはもう届いていなかった。
祭壇の上で、ミリアは目を閉じ、祈りを続けている。
その白銀の髪が風に揺れ、金の瞳の奥で微かな光が脈動した。
けれど――その光は、神への敬虔ではなかった。
それは、使命の残響。
彼女の胸の奥で、あの機械のような声が響く。
声:「汝、穢れを見逃すな。世界を正せ。」
冷たい、感情のない音。
それは祝福ではなく“命令”であり、彼女の思考に刻み込まれたプログラムのように響いていた。
ミリアは静かに息を吸い、唇を動かす。
ミリア(心の声):「私は神のために生きる……人の穢れを焼き尽くす、それが救い。」
掌を見つめると、まだ微かに“焦げた光”が残っていた。
その黒ずんだ輝きを、彼女は“純粋な証”だと信じて疑わない。
人々が讃え、花びらが降り注ぐ中――
ミリアの微笑は静かで、美しく、そして恐ろしく均衡していた。
彼女の信仰はもはや祈りではない。
それは、前世・金沢博の「正義」そのものの延長線だった。
ミリア(心の声):「あの日、私は光を放った。
そして今も――この手で、世界を清め続ける。」
鐘の音が鳴り響く。
群衆は歓喜し、国は祝福に包まれる。
だがその中心に立つ聖女の心だけは――
静かに、確実に、狂気を継承していた。
群衆の波の中で、ひとりだけ動かない影があった。
白い日傘を差し、淡い青のドレスを身に纏う少女――リカ。
王侯貴族の娘たちが熱狂の声を上げる中、彼女だけは微動だにせず、ただ祭壇を見上げていた。
その眼差しは、年齢に似つかわしくないほど冷ややかで、まるで観測者のようだった。
リカ(心の声):「……光、じゃない。あれは……熱。」
彼女の視線の先、聖女ミリアの周囲に揺らめく白光。
人々はそれを“祝福の輝き”と呼ぶ。
だがリカの鼻腔をくすぐるのは、違う匂い――焦げた空気。
リカ(心の声):「……焦げる匂いがする。」
群衆の歓声が遠ざかっていく。
視界の輪郭がぼやけ、色が失われ、音が消える。
――代わりに、別の光景が蘇る。
青い閃光。
瓦礫が舞い上がり、世界が白に塗り潰される。
その中心で、笑う男の影がいた。
リカ(心の声):「あの光……知っている。」
胸の奥で何かが痛んだ。
心臓の鼓動が早まり、指先が微かに震える。
群衆の歓喜と拍手の中で、彼女だけが冷たく震えていた。
リカ(心の声):「なぜ……あの光を、私は知っているの?」
風が吹き抜け、日傘の縁がはためく。
その瞬間、ミリアが壇上から視線を向けた。
二人の視線が――ほんの一瞬だけ、交わる。
ミリアの金の瞳の奥で、何かが“燃えていた”。
それを見た瞬間、リカの胸の奥で、
忘れていたはずの“炎の記憶”が再び揺らめいた。
リカは小さく息を吸い、言葉にならぬ呟きを漏らす。
リカ:「……あの目……やっぱり、あなた……」
聖女の祝祭の中で、誰も知らない“再会”が始まっていた。
鐘の音が鳴り響いた。
金と白の光が、王都レミリアの広場を覆い尽くす。
人々の歓声、祈り、涙――それらすべてが混ざり合い、祝祭はひとつの信仰の熱と化していた。
聖壇の上で、ミリアが両手を天へ掲げる。
彼女の姿はまるで神そのものの化身のように神々しく、
その周囲には幾千もの光の粒子が舞い、宙を満たしていく。
群衆:「聖女様! 神よ、我らに祝福を――!」
ミリアの金の瞳がわずかに揺れる。
胸の奥で、かすかな違和感が疼いた。
光に包まれる中、ふと――視線の先に“ひとりの少女”の姿が映る。
白い日傘、冷たい瞳。
すべての熱狂の中で、ただ一人だけ微動だにしない影。
ミリア(無意識に):「……貴女は、誰……?」
その呟きは祈りの声に紛れ、誰にも届かない。
だが、群衆の後方でリカは確かにそれを聞いた。
日傘の下で、リカは静かに唇を開く。
リカ(小声で):「……貴女の光を、私は忘れない。」
その言葉は風に溶け、どこにも届かない――けれど確かに“空”が反応した。
雲の奥、見えぬ空間に転輪の幻影がゆっくりと浮かび上がる。
淡い金と黒の線が絡み合い、かすかな音を立てて回転を始める。
そして、誰の耳にも届かぬ“声”が、世界の深部から囁いた。
声:「……観測、再開――」
光と影、祝福と拒絶。
二つの魂が再び世界の舞台で交錯したその瞬間、
レミリア王国の空に、見えぬ歯車が静かに噛み合った。
祝祭の鐘は鳴り止まず、
その音の中に――運命の胎動が密かに鼓動を打ちはじめていた。




